母との朝
遂に県大会当日。今日は朝緋は部活が休みなので、いつものうるさい目覚ましは鳴らなかった。スッキリしない目覚めだったが、時計を見ると時間には余裕があって一安心した。
「うっわ、最悪」
鏡を見ると、本番当日過去1番と言っていいほど顔が浮腫んで目元が腫れていた。
簡単に顔のマッサージをして、軽食のおにぎりを作る。朝緋と莉々奈はまだ寝ているようだ。
カッターシャツに腕を通し、いつもと色の違う少し長めのスカートを履く。ネクタイを結んでみるが、未だにいまいちしっくりこない。姿見の前に立って、くるりとスカートをひるがえしてみる。
「おはよう。朝ごはんは食べたの?」
「母さん、」
鏡越しとはいえ、自分の姿を凝視していたところを母に見られて少しだけ恥ずかしくなってしまう。
「まだ食べてないよ」
恥ずかしさを隠そうと目を伏せる。
「どうしたの。緊張してる? 今日もソロ吹くんでしょ」
「え、あー、まあ。緊張してる」
「珍しいわね」
母から見た自分はいつもあまり緊張していないように見えるのだろうか。
おいで、と手招きされる。何かと思いながらも歩み寄ると、歪なネクタイを母の手によってまっすぐに整えられた。
「髪はポニーテール?」
「え?うん、そうだけど……」
「やってあげる」
椅子を姿見の前に置いた母は、そのへんに置いてあった櫛をもって凛奈に座るように促した。
「母さんね、ほんとはあなたをこんな子に育てるつもりはなかった」
「えっ、なにそれ」
突然の発言にびくりと肩が上下する。こんな子、とは。もしや母の期待とは真逆の人生を歩んでしまったのか。
「母さんは凛奈と同じぐらいの歳の頃、家事なんてできなかったもの。勉強してばっかりで、家事はほとんど裕子───あなた達の叔母さんにまかせっきりにしてたから。いつも家の事してくれる凛奈はすごいのよ」
自分を否定されたわけではないと分かり、ほっとしてすとんと肩が下がる。
裕子は、凛奈たちの母の妹、つまり叔母であり、同時に莉々奈の母親である。
「その頃は仲が悪かったの、私たち。受験のために部活しながら年がら年中勉強してるお母さんと部活を楽しみながら家の手伝いをする裕子叔母さん」
「……」
「母さんは中学校は吹部だったでしょ? コンクールの前日に叔母さんとものすごく喧嘩してね。たまにはお姉ちゃんも家事手伝ってよ!ってね。今になったら笑っちゃうわよ、ほんと。でもその日の夜は眠れないし、むかむかするし、最悪だった」
「そう、なんだ」
それはまるで今の自分だ。朝緋と喧嘩して、莉々奈とぎくしゃくして。
「それで次の日、寝起き最悪だなんて思ってた。機嫌悪くて髪ぼさぼさのまま家を出ようとしたら、母さんの母さんが髪を結ってくれたの」
つまりは母は、娘に同じようにしたかったのだろう。いつも適当に縛られる髪は、今日は母の手によって丁寧に結ばれていく。
「コンクールを見に来てくれた裕子がね、本番終わったあとになんだかしょんとしてると思ったら昨日はごめんって急に謝りだしちゃって。私も吊られて謝ったのは今でも覚えてるわ」
母は父に子供たちが喧嘩をしたことを聞いたのだろうか。
「私も、謝れるかな」
「……なんのことかしらね。───いつも母さんの代わりに家事をしてくれてありがとね。ほら、できた」
ぽん、と肩を叩かれ、まっすぐ前を向く。
ヘアゴムで一つにまとめられた後頭部から、ふわりと凛奈特有のくせ毛が下へと落ちていく。
「母さん、ありがと」
母が髪を結ってくれるなんていつぶりだろうか。
なんだか嬉しくて、でもどこか寂しくて口元をきゅっと噤んだ。
「いいえ!」
にっこりと笑う母は、いつ見ても、いつまで経っても美人だ。




