電話越しの声
「凛奈ちゃん、これ持っていっていい?」
「うん。いいよ」
「りょーかい」
その日の夜、凛奈と莉々奈の2人で晩御飯の準備をしていた。莉々奈がうちに来てからは何をするのも手伝ってくれるから、すっかり楽になっていた。
「朝緋くん、帰ってこないね」
「先に食べようか」
両手を合わせ、2人は「いただきます」と言って口におかずを運んだ。
凛奈はいつも通りの表情をしているつもりだが、内心は少し違った。
あれ以来、莉々奈と2人きりの空間はなかった。
だが、莉々奈は平然としている。
ならばこっちも何もないようにしなければ。
絶対にあの話には触れない。そう自分自身に言い聞かせる。
「あ、凛奈ちゃん」
「はいぃっ!」
突然で声が裏返ってしまった。
「な、何……?」
呆れ顔をしながら、凛奈の携帯を差し出した。
「電話。蒼先輩から」
「えっ、あ、蒼先輩?」
画面を見ると、確かに蒼からだった。
だが、彼はいま長崎にいるはずだ。
「食べてて。もしもし」
リビングを出て、自分の部屋へ行く。
《あー、凛奈。ごめん急に》
《お、彼女と電話か!?》
《ヒュ〜》
《うるせえ黙れ!》
向こうでは蒼1人ではないようだ。
《ごめん、騒がしくて。いま部屋出たから》
「いえ、大丈夫です。それより電話してていいんですか? 先生に見つかったら……」
《大丈夫。いま民泊だから、先生いない》
「そうですか。長崎、楽しいですか?」
《うん。今日、マリンスポーツしてた。明日は福岡行って合格祈願して帰る》
「いいなー。楽しそう」
肩と耳で携帯を挟み、窓を開ける。むんと生ぬるい空気が、凛奈の顔面に触れる。
《おみやげなにがいい?》
「なんでも嬉しいです」
と、窓から外へ上半身を乗り出した。
《部活どう? 明日の本番》
多分、本題はこのことだったのだろう。
「うーん……なんとかはなりそうですけど、やっぱり音が」
《まぁ、3年生が抜けて音が変わらなかったら逆におかしいからな》
「そうですね」
くすっと笑う。
「トロンボーンも、うまくやってたんじゃないかなって思います」
《それならいいけど……。莉々奈、なんか変化とかなかったか?》
「家では、いつもと変わらないです。もしかして、パートで何かあったんですか?」
《いや。なんとなく、元気ないなって》
「そうですか。私もそう思うんですけど。最近いろいろ考えてるみたいだから、そっとしておくべきなんじゃないかなって」
片手で携帯を耳に押し付ける。反対の手は、無意識に親指と人差し指を何度も擦っていた。
《俺も一応パートリーダーだから。なんかあったら相談してくれたらいいけど》
「ですよねー」
会話が終わった。そう感じさせるのは、2人の間の沈黙だった。まだ、終わりたくない。もっと声を聞きたい。
「先輩、明日の本番は見にこられるんですか?」
《明日は、3年生は店番とか手伝いの人以外は見に行かないことになってさ。頑張って》
「そうですか……」
《……まだ、話したい?》
蒼のささやきに、ドキリと心臓が跳ねる。
彼は無理に話題を作った凛奈の事をわかりきっていた。
「い、いえ。すみません、長電話しちゃって。蒼先輩の声が聞けて元気出ました。明日頑張りますね」
《いいよ。かけてきたの俺の方だし。じゃあな》
「おやすみなさい」
プツリ、と電話があっけなく切れてしまった。
「この時間におやすみなさいって、おかしかったかなぁ……」
と、1人赤面をする。久しぶりに蒼と電話をした。
「明日、か。大丈夫かな」
その現状に、空を見上げながら1人ごちる。
いつもに増して輝きが強い月に目をやり、ぴしゃりと窓を閉めた。
「頑張ろう……」
と、不安な気持ちにその言葉をぶつけた。




