部長の不安
「先輩方から学ばせていただいたことがたくさんです。そして、今日このステージが盛り上がったのも先輩方のお陰です。今後、この経験をコンクールに生かしたいと思っています。今日は本当にありがとうございました!」
パチパチ……。
皇城と北原の解散式だ。
「ありがとう。じゃあ、皇城のー……部長、高城、挨拶」
「はい。中学生のみなさん、こちらこそありがとうございました。中学生のフレッシュな若々しさで、私たちも見習って元気に演奏することができました。みなさん、是非皇城高校へ来てくださいね。今日はありがとうございました」
にっこりと笑う高城。
「「ありがとうございました!」」
パチパチと拍手が起こる。
パートの先輩と握手をして、お礼を言って……中学生たちは、まだまだ帰宅への道は遠かった。
あと一踏ん張りだ。そう、気の抜けかけた楽器運搬が待っていた。
*
「「せーの」」
茉莉花と凛奈は、2人でチューバのケースを階段で運んでいた。
「凛奈ちゃん、もうちょい手前に来て」
「は、はい」
なかなか重い。チューバは基本10kg。プラス、ケースの重さと、小型な楽器を担当している者にはなかなか辛い重さだ。
うっ、と力を入れて一歩一歩降りて行く。
「わっ」
急に、茉莉花が立ち止まり、ふぅっと肺に溜まった息を吐き出した。
「茉莉花先輩?」
「ん?ううん。なんでもない。ごめん、行こっか」
そう言ってまた動き出そうとした瞬間、かくりと膝が折れ曲り、彼女が真っ逆さまに階段から転がり落ちて行くのが目に映り込んだ。
その時の茉莉花の目はまさに死んだ魚のようで、彼女の目には今一体なにが浮かんでいるのかわからなかった。
少しでも害を減らそうと、チューバを1人力を振り絞ってがっちり掴んだが、呆気なく重さに負け、下方に茉莉花がいたものだから転がり落ちていった。
そして、下にいた和音も巻き込まれ、茉莉花とぶつかって倒れた。
不幸なことに、茉莉花はチューバの下敷きとなってしまった。
「ひっ……」
一瞬でなにが起こったかわからなかった。そんな間抜けな悲鳴をあげて、凛奈は硬直した。
「茉莉花!?」
凛奈が押し出してしまったのか。いや、彼女の顔は白かった。どうしよう、どうしよう。
おろおろしていると、人がどんどん集まる。
チューバを二人掛かりで持ち上げる。
茉莉花は小さくうずくまっていた。和音は幸い軽傷で、少し膝を擦りむいただけだったようだ。
ハッとなって凛奈もどんどん力が戻って行く。
「茉莉花先輩!」
凛奈の足がやっと動いたと同時に小林が人混みをかき分けていった。
騒ぎを聞いて駆けつけたのだろう。
小林が肩を引いて仰向けにさせる。茉莉花は額から血を流していた。目は開いているが一体どこを見ているのだろうか。小林も焦るばかりだ。
だが、それも少しの間で意識を取り戻した。小さく、荒かった呼吸も、随分と落ち着き、いつもの茉莉花が横になっていた。
「すいません、ご心配おかけして……!」
焦って起き上がろうとした。
「馬鹿、ゆっくり起き上がれ」
そんな言葉を無視しながら、茉莉花はぐっと上半身を曲げた。
「いたっ」
傷の痛みが響いたのだろう。
階段の角で額を切ってしまったようだ。
「あ、あの茉莉花先輩」
「凛奈ちゃん」
「すみませんでした……」
ぽかんと口を開ける。
そして、なぜかクスクスと笑っていた。
「やだな。私が勝手に落ちただけなのに。気にしなくてもいいよ」
頭を撫でられる。もう、大丈夫なのか。
「立てるか、あそこに座るぞ」
茉莉花に手を貸し、すみません、と手を伸ばした。
「もう、動き出していい。チューバ誰かいるか。あぁ、三野、楽器の確認もしておいて。茉莉花と一緒に運んでいたのは凛奈か? 今はいいから、あとで事情を聞く。いいな?みんな動き出すように」
テキパキと指示を出す。
「「はい!」」
自分も、倒れた時、周りにあれだけの心配をさせたのだろうか。
ただただ茉莉花の事が気になった。
今は、ソファーに小林と池田と座っている。
もうすでに落ち着いていたようで、なにか話をしていた。
気になるが、動き出さなければ。
振り返って、大ホールへと走り出した。
学校で解散した後、茉莉花は家に帰るなりリビングで崩れてしまった。
「はぁ……」
「おかえり。随分疲れてるみたいね。もう部屋で寝なさい」
「うん」
母は、絆創膏に気付かなかったのだろうか。
前髪で隠していたから大丈夫だろう。明日伝えれば。
2階へ上がり、どさっと音を立ててベッドにダイブする。
「うーん……クラクラする」
今日の楽器運搬で起こった事で、グッと胸が苦しくなる。
もっと努力したい、しっかり指示を出したい。楽器だって今までの何倍も上手くなりたいし、コンクールで関西に行きたい。
これからやりたいことは山積みなのに、今日、意識が吹っ飛んでしまった。
落ちる前は、意識はあった。ただフラッとしただけで、手を伸ばせば大丈夫だと無意識に思っていてほしかった。
なのに、途中で何がなんだかわからなくなって、目の前が真っ暗になって……。気付いたら小林が自分の名前を呼んでいたのに反応できなかった。
自分が1番不安だった事が今日起こったのだ。
意思に身体が追いつかなかった。
これが疲労というものなのだろうか、これからもこんなことがもし起こったら……。考えるだけでも寒気がする。
あと半年。あと半年しかない。
長いようで短い。
「やだな……」
そう呟きながら、目を閉じた。茉莉花の2年生としての1年、部長としての半年はプツリと幕を閉じた。




