本音と後悔
「じゃあね!」
「バイバーイ」
いつものように、バスを降りた。
♪──────
「……! この音……」
To our glorious futureの、フリューゲルソロが聴こえてきた。
クラリネットの音色だった。
「柚子先輩」
いつもの河川敷へ向かうと、彼女はいた。
ゆっくり、彼女に近付いた。
と、柚子は凛奈に気付き、にっこり笑った。
「この曲、好きなんだ。中1の時の東野小のコンサートのOBOGのステージで演奏したやつ。まさか北中もやるとは思ってなかった」
いつもの「こんにちは」の挨拶なしで会話が始まった。
「先輩、関西大会見に来ましたよね」
「……うん」
「どうして、ですか。先輩、吹部のこと、どう思ってるんですか」
「吹部の事はなんとも思ってないよー」
と、キィをカタカタといじるのをやめ、川を見た。
「私さ、昔川で溺れたの。ほんと小さかった時。で、普通なら川を見たくないとか思うでしょ? なのに、私ったら何度もその溺れた川に行って……。私負けず嫌いで頑固だったから、溺れて人に迷惑かけたのがほんと悔しくって。なんでこんなところで溺れたんだろう、って、普通なら怖くなるようなものに何度も触れてしまうんだ。吹部だっておんなじよーなかんじ」
「戻りたいって、思わないんですか」
「ぜんぜん」
そのぜんぜん、と言う言葉は、この間とは何かが違って、ふっきれたようだった。
「本当ですか」
と、凛奈は立ち上がった。
「本当にですか!? 私、小林先生から聞きましたよ! リーダーだから、って言われてたの! そんなに孤立して辛い思いしても関西大会に来るなんて、諦めてないんじゃないですか!? 戻りたくても戻れないのはわかりますよ! 今の2年生だって柚子先輩のことなにも思い出さずに行動してると思わないでください! あれからもう1年立ってるんでしょ? ちょっとくらい大人になってるに決まってますよ! 茉莉花先輩だって、柚子先輩みたいなリーダーになりたいって言ってたし、辞めるときに奈津先輩にとめられてたんですよね?! その時言ったの、本音じゃないんですか!? 優香先輩に言ったの本音じゃないんですか!? もう1度言いますけど、戻りたくても戻れないのはわかります! でも、それを閉じ込めて、演技して……そーゆーのが1番腹が立つんです! トクベツでもいいじゃないですか! 前に先輩言ってましたよね、経験者だから失敗できないって。でもいいじゃないですか、失敗しても! ズタズタになっても、奈津先輩とか、支えてくれる人だっていたはずですよ!」
やけになって叫んだ。
目に溜まっていた涙が溢れおちてきた。
柚子は唖然と凛奈を見つめた。
そして、柚子も立ち上がり、凛奈の肩に手を乗せた。
「ありがとね。そんなに私のこと考えてくれてたんだね。ごめんね、ほんとは、戻りたいよ」
と、腕を顔に押し付けた。
初めて聞いた気がした。柚子の本当の気持ちなのだろうか。それとも、面倒でまた演技をしているのだろうか。
「でも、戻ったら、また私のせいで雰囲気が悪くなっちゃうよ。私がいないほうがいいんだ。正直、すごく悔しいよ。奈津だって、ほんとは人減るのが嫌で……」
「奈津先輩は、本気で柚子先輩のことが好きなんです! 人が減るのが嫌とか、そんな単純な考えで奈津先輩は辞めるのをとめたりしません。柚子先輩を信じてたんです! 尊敬だってしてたんです! だから……だから柚子先輩が辞めちゃって、すごく、ショックだったんです……」
涙が止まらなかった。
別に、自分には関係ないことだとわかっているのに、これは他学年の問題なのに、わざわざ自分から巻き込まれに行ったのだ。
「ほんとに、そうかな」
「そうですよ!」
自信満々に答える凛奈を見て、ふっと笑った。
「どうして、そんなに必死になるのかな」
と、ぽそっと口に出した。
凛奈には聞こえていない。
「私、もう奈津に話す事もないし、凛奈にも話すことはない。人生で後悔することなんて、いくらでもあるよ」
と、スワブを通して、じゃあね、と手を振った。
「先輩、私は待ってます! 他の人が戻ってこないでほしいとか思ってても、私は待ってます!」
柚子は振り向かずに手を振った。
いつもの道をとぼとぼと歩いていた。
今日は、凛奈が来てくれると思って、わざとあの河川敷で吹いていたのだ。
「まさか、あの子があんなことを言うなんて───」
と、夜に染まりかかる空を見上げた。
「ありがとね」
と、震えた声で言った。
柚子は、そこで初めて涙を流した。




