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水蛭子の恋患い

水蛭子(ひるこ)の恋患い 【風邪】

作者: 紅羊

06月11日【風邪】


01

 火曜日のコンビニには新商品が並ぶ。新製品を謳うPOPは小さいながら鮮やかな縁取りで輝いている。全ての新商品が未だ棚に並び、また残っているのか定かではないものの、帰路の途中にあるコンビニの棚には見慣れない四種類のデザートが置かれていた。

 「これも買おう!」

 牧野結花はそう言うと、立花健吾が持つかごへと新商品のデザートをひとつずつ入れていった。既に500mlのスポーツ飲料が三本、スナック菓子が二袋、のど飴が一袋、マスクが一セットなどが入っており、かごは俄かに重みを増している。

 「こんなに要るのかね?」

 片手で持てないほど重い訳ではなかったが、2キロ近い重量を支えるかごの柄は指に食い込んでいた。中身は風邪で欠席した篠塚愛美に提出物を届ける序に見舞いでもと結花が選んだ手土産の品々は、寧ろ彼女の嗜好品を勝手に選んだようにしか見えなかった。

 半ば呆れるように「もういいだろ」と苦言を呈した健吾は、更に二つほど菓子を追加しようとする結花の応答を待たずにかごをレジへ持って行った。バイトなのか、愛想の悪い出迎えの挨拶を口にしつつ、かごの中の商品をレジに通していく中、結花は手に持った二つの菓子を放り込んだ。

 「これは私の分。後で食べよーね」

 ニッコリと微笑み、有無も言わせぬ要望を一方的に告げられた健吾が「彼女の願いは断れませんな」と皮肉とも取れない冗句と共にぎこちない愛嬌を返した。

 合計は二千円を超えていた。ふと開いた財布には使うタイミングのなかった二千円札が入っており、健吾は愛想の悪い店員への嫌がらせも兼ねて二千円札の二枚を手渡した。

 少しだけギョッとした店員がまるで偽札の真贋を改めるように一瞬だけ硬直するのを横目に結花は購入した商品をビニールに詰め込むと、レジの横のショーケースに入ったコロッケを追加で注文した。

 コンビニを後にした二人は愛美の住むマンションへを目指した。駅から歩いて行くには些か遠い愛美のマンションは、しかしながら郊外と呼ぶほど遠い場所に立っている訳ではなかった。その他の十五階建て以上のマンションに比べれば市街地や駅にも近い場所である。また市内でたったひとつの二十五階建てであり、最も高いマンションでもあった。勿論、家賃も相応に高かった。

 マンションは立ち寄ったコンビニからも充分に望む事が出来た。天気が愚図ついている所為か、灰色の雲に覆われた空を被っている。雨が降りそうな兆候はなかったものの、件のマンションから帰る場合、少しだけ帰路が遠回りになってしまう結花はお見舞いも早くに終わらせたかった。

 「篠塚のマンションって初めて行くわ」

 「まぁね。敷居は高いかもね。私も何回か行った事があるだけだし」

 コロッケを頬張りながら結花がモゴモゴと言った。

 「風邪か。インフルエンザかな?」

 「感染うつるかもって?普通の風邪でしょ」

 「人に感染すと治るってよく聞くよね。都市伝説かね」

 「何でだろ?あ、でも私が風邪を引いたときは感染してあげる」

 揚げ物の油で幾分か潤いに似た輝きの増した唇を突き出した結花の冗談に、健吾は「看病くらいは」と敢えて真面目に返事してやった。

 「ま、現実にはお見舞いが関の山だろうけどね」

 他愛ない会話が暫くと続いた。先日の試験の結果、視聴率が思うほど伸びないテレビドラマの無理な展開、取り敢えず強行採決ばかりの国会の審議、健吾には疎いファッションの流行、爆弾を使った国内での事件、週末に予定しているデートの内容など話題も尽き掛けた頃、二人は目的地であるマンションに到着した。

 まるでホテルのようなエントランスは靴底の埃を全て吸着してしまいそうな毛並みのカーペットで覆われていた。小さなシャンデリアを髣髴とさせる瀟洒な灯りや、漆のような輝きを写す壁は如何にも高級な佇まいをしており、初めてマンションを訪れる健吾は恐縮するしかなかった。

 「ほら、早く」

 健吾を呼んだ結花はオートロックの扉の傍らに誂えてあるインターホンの前に立っていた。愛美が住む部屋の番号を押すと、向こうから返事が聞こえてきた。後ろに立った健吾には愛美本人の声なのか、或いは家族の誰のものかは判断出来なかったが、不在ではなさそうである。

 挨拶は相手側のどうぞの一言で締め括られるとオートロックの扉が開いた。奥へと入って行く結花に続き、健吾は慌てて後を追い駆ける。慣れない雰囲気に緊張しているのか、少しだけ躓いた。

 「何やってんのぉ?恥っずかしい――」

 「だってこんなホテルみたいとは…」

 「愛美が金持ちなのは有名な話でしょうに」

 マンションの最上階が愛美の住む住居だった。五階ごとにフロアを貫く階段やエレベーターが誂えてある構造のマンションには二十階までが直通のエレベーターも特別に用意されていた。

 エレベーターは地下の駐車場で止まっていた。ボタンを押すと直ぐに上昇した。カゴに乗り込み、最上階の二十五階を指定する。他に誰も乗って来ない密室でも不思議と沈黙が当然のマナーのように感じた二人は終始無言だった。

 到着した最上階は単純に高い場所に位置している所為か、或いは部屋数を少なくしている都合で人の出入などが少ない所為か、見た目だけでなく漂う空気の質も違って感じられた。

 結花の後を追い駆け、愛美の部屋の前に立った健吾は一層と緊張する。結花がインターホンを押すと出てきたのは高齢の婦人だった。エプロンと云うよりは割烹着を着こなした風貌はベテランのお手伝いさんにも見える。

 「こんにちわ。おばさん」

 「はい、こんにちわ」

 顔見知りらしい結花は挨拶すると、隣で肩を強張らせている健吾を紹介した。

 「クラスメイトの立花健吾君。班が一緒だから付き合って貰ったんですけど、愛美に会えますか?提出物を渡したいんだけど…」

 「マナかい?今は起きてるよ。上がって行くかい?」

 「はい、すみません。上がらせて貰います」

 どうぞ、とは言わずに身体を横に退きつつ、手の平を返した婦人に促され、結花と健吾はマンションの一室へと入って行った。

 「お茶でも出そうか。結花ちゃん」

 「いえ、大丈夫です。あ、で、これ」

 高級なマンションの住人には不釣合いな見舞い品を婦人に手渡した結花は臆面もなく「コンビニのケーキです」と言った。

 「どこのだい?」

 質問に結花が答えると、婦人は「あそこの大福が好きなんだよ」と言いながらしわくちゃの笑顔を見せた。

 事のほか好評だった手土産を手渡した結花はどうやら愛美の後に従い、特に寄り道もせずマンションの一室とは思えないほど広く長い廊下を進んだ健吾は、やや奥まった一画へと到着した。扉にはレリーフが掛けられており、愛美の名前が流れるようなローマ字で書かれていた。

 「緊張してきた。女子の部屋なんて初めてだよ」

 「ちょ、私の部屋は何度も来てるでしょ?」

 不満げに言った結花に健吾は弁解した。

 「お前は特別だよ。だからノーカン」

 恋人である彼女は別枠だとおべんちゃらで応じた健吾の言い訳も満更ではなかったらしい結花は口元に現れそうな笑みを噛み締めながらも「そりゃどーも」と簡単な返答で済ませると、愛美の寝室のドアをノックした。

 「愛美、起きてる?入って良い?」

 「うん。大丈夫」

 了解を得てから入った愛美の寝室は一人部屋にしては広かったものの、如何にも女の子らしい色合いと装飾に彩られていた。全体的に白を貴重としており、アクセントに淡いピンクを多用している。家具は特に高級な印象はない。ただ目を引いたのは人ほどに大きいクマのぬいぐるみだった。

 「ちょぉッ!!」

 ぬいぐるみではなく着グルミに見える熊に目を奪われる健吾の耳に素っ頓狂な叫び声が届いた。ふと振り返ると、ベッドの上で毛布を力いっぱいに引き寄せる愛美の姿が目に入った。

 「立花君も来てるなんて聞いてないよぉ!」

 風邪の所為か顔を真っ赤に染める愛美が結花を非難した。

 「あれ、言ってなかったっけ?」

 「言ってないよぉ~もう~やぁだ~」

 恥ずかしそうに告げる愛美に健吾も対応に窮する一方で、結花は鞄を漁り、渡すべき提出物を探した。

 「同じ班なんだから良いでしょ?行き先も同じ方向だし」

 「それはそれ、これはこれだよぉ。何で先に言ってくれなかったの?」

 「まぁまぁ」

 愛美を宥めながら結花は提出物であるプリントの束を手渡した。

 「そっちでやって貰わないと困る部分以外は完成させてあるつもりだけど」

 「何でそんなに淡々とするのよ。男子を部屋に入れるなんて初めてなのに」

 「別に減るもんじゃないでしょ」

 「減るもんなんてないけどさ、何かプライベートを覗かれてるみたいで恥ずかしいのに代わりはないよ~」

 顔を伏せた愛美は付け足すように言った。

 「それに風邪だった感染しちゃうかもだし」

 「感染して治るもんなら感染しちゃえば」

 会話に口を挟めずにいた健吾を結花が引き寄せる。

 「ほら、試してみたら?」

 「な、何を試すってんだよ?」

 「そ、そーだよ!」

 また顔を真っ赤に染めた愛美が顔を反らした。

 「冗談だよ。冗談。そもそもどうやって感染すつもりなのよ?」

 「そそそそうだよ!どうしろって言ってんだか!?」

 凡そ健康的な考えではない何かを想像したらしい動揺ぶりに見ぬ振りをした健吾は愛美に訊いた。

 「風邪は治ったの?」

 「まだ、少し熱があるくらい」

 「でも、結構、顔…赤くない?大丈夫?」

 「だ、大丈夫だよ。お昼に計ったけど七度二分くらいだったし」

 「何だ、殆ど平熱じゃん」

 「私の平熱は低いの。六度も切るの!」

 やや声高に主張した愛美をあしらうように結花が会話を纏めに掛かる。

 「ま、いいよ。何れにせよ長居しちゃ迷惑だろうし。寝て食べて元気になりなさいよ」

 「あ、そうだ」

 帰り支度を始める結花に合わせた健吾がふと思い出したように呟いた。

 「コンビニの菓子で申し訳ないんだけどジュースとかケーキを買って来たから食べてよ」

 「何処のコンビニ?」

 「ほら、駅からこっちにある途中の」

 「あ、あそこの大福好きなんだよ。ありがとう」

 「誰も大福を買って来たなんて言ってないけど」

 「買ってないの!?」

 大仰に不満を言い表した愛美を見た健吾が小さく笑った。

 「何?」

 「いや、さっきの人と同じような事を言ってるなと」

 「あぁ~、おばあちゃん。意外とコンビニ行くから」

 「おばあちゃん―――お手伝いさんかと思った」

 「まさかッ?!家にお手伝いさんなんかいないよぉ」

 苦笑し、謙遜する愛美に結花も同様に否定した。

 「あんた、金持ちがみんなそんな訳でもないでしょ」

 言った結花が、さてと、と一息を吐つきながら立ち上がった。

 「じゃぁ、長居するもあれだし。帰るよ。お大事にしてね。あ、提出物で分かんないとかがあったら連絡して」

 「うん。あ、でも、どうせなら立花君のも教えてよ。同じ班で知らないの男子のだけだし」

 「うぅん?じゃぁ、どうせなら他の男子のも教えてあげなよ」

 顎を刳った結花に投げ遣りに促された健吾はスマートフォンを愛美へと突き付けると互いにアドレスを交換した。

 「じゃ、帰るね」

 鞄を背負った結花が健吾を引っ張った。

 「うん。ありがとう、お見舞い」

 「お見舞いってほどの事でもないでしょ。じゃぁ、次は学校で」

 「分かった。じゃーね。立花君もありがとう」

 力弱く腕を振った愛美と別れ、リビングで見送ってくれた祖母に挨拶してから二人はマンションを後にした。

 エレベーターは地下まで降りていた。誰か乗ったのだろうか。ボタンを押し、カゴが上がってくるまでの数十秒ほど待たざるを得なかった。

 手持ち無沙汰になってしまった結花が何かを調べ始めた。或いはメールかLINEか、指を忙しなく動かしている。

 健吾もエレベーターの現在位置を報せるランプが十階を過ぎて行くのを横目にスマートフォンでも弄ろうかと手元に出したときだった。画面にメールの着信を告げるアニメーションが小さく踊った。

 「誰から?」

 「篠塚から」

 「早速、送って来たか。空メールかな?」

 興味があるのかないのか、スマートフォンから視線を外さないままの結花が訊いてきた。

 「あ、うん」

 メールのタイトルはテストとだけ書かれている。ちゃんと送れるかどうかを確認したいだけなのだろう事が見て取れた。一応、健吾は本文を確認した。

 「どうしたの?」

 エレベーターが到着し、先にカゴへ入った結花がスマートフォンを仕舞い、やや出遅れた健吾を迎え入れるように顔を上げる。

 「え、―――何でもないよ」

 スマートフォンを仕舞った健吾もエレベーターに乗り込んだ。一階を指定し、ボタンを押した。扉が閉まり、ゆっくりとエレベーターが降下し始める。

 「どうしたの?ボーっとして。ホントに風邪でも感染されたの?」

 エレベーターの室内灯が淡い所為か、或いは壁紙やカーペットが赤みを帯びている所為か、健吾の顔色が赤く見えた結花は冗談半分ながら心配そうに声を掛けた。

 「いや、だ、大丈夫だよ」

 喉を詰まらせ、頬を赤くする健吾は言った。

 「そう?」

 訝しくも特に気にする訳でもなく、健吾の言葉をただ受け入れた結花は何となくだが無性に手を繋ぎたくなった。



02 エピローグ

 立花健吾と牧野結花が帰り、篠塚愛美ひとりとなった寝室は急速に温度を下げたような静けさが余韻を残していた。一方で少しだけ体温が上がったのか、露出している顔や手先はやや熱くなっている。

 リビングの方で祖母と挨拶しているらしい健吾と結花が遠ざかって行く音に途中まで耳を傾けていた愛美は手渡された提出物のレポートの束へ目を向けた。斜めにでも読み進め、自分が担当しなければならない箇所と校正が必要な辺りに目星を付けるべきかと手を伸ばそうとして、愛美は横のスマートフォンを手に取った。

 そう云えば中学校に進学してから男子の知り合いを部屋に入れたのは初めてだった。自分が女子だと、男子とは違うと意識した時から考えれば五年振りくらいだろうか。結花も事前に連絡を寄越せばといいものを、と未だ愚痴を内々に呟く愛美は、ちゃんとメールが届くのか確かめようかとふと思い立った。

 「何て書こうかな―――」

 簡潔に送受信の有無を確認するだけの空メールような内容でも良かったが、愛美は何故か迷ってしまった。不可抗力ながら部屋に健吾を招きいれてしまった事が気持ちに多少の尾を引いているように感じられる。

 「仕方ない…か。良い機会かもしれないしね」

 自らに言い聞かせるように決心した愛美はメールを打ち込んだ。件名にはテストと書き、素っ気無い体を装った。何故か緊張する指先で本文の上段に過剰な空白を挟んでから、出来れば読んで欲しくない、叶うならば読んで欲しいと、矛盾する想いで愛美はメールを打ち込んだ。

 「ホント…熱に浮かされてるのかも」

 顔が熱いような気がするのは風邪の所為だと思いつつも、きっと同じように患っているだけだろうと自嘲した愛美は、書いた内容を改めるように、また悔やむように復唱してからメールを送信した。

 「私は―――立花健吾君が好きです」

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