雪と桜の輝く夜
オレの彼女はガンになった。それはなんの予兆もなく彼女を襲った。
付き合って二年目。一ヶ月後の4月2日には結婚式をあげる予定だった。
「私、妊娠したかもしれない」
それが発端だった。オレは無邪気にも飛んで喜んだ。その日、一緒に妊娠検査に行った時、ガンが見つかったのだ。
「まだ、初期段階ですので、手術すれば大丈夫です」
医師がそうオレに告げた。彼女は治るならと手術を受けてくれた。
手術室に入る前、今にも泣きそうなオレを見て、彼女は強がって微笑んだ。
「私なら大丈夫よ。アキラはいつものように、笑って待ってて」
そう言う彼女の手は、小刻みに震えていた。
その後すぐに、手術室に飲まれるように入っていった。
永遠とも思える時間、オレは待っていた。自分の鼓動がこんなにもうるさいと思ったことはない。
手術室のランプが消えた。オレは反射的に立ち上がり、手術室から出てきた医師に近づいて、望んでいる一言を待った。
「他の臓器に転移している可能性があります」
全身から力が抜けた。
まだ確信はないが、注意はした方がいいと告げられ、オレは彼女を連れて帰った。転移のことは言えなかった。結婚式を楽しみにしている彼女のウエディングドレス姿を見ると、言い出せなかったのだ。
しかし、再発は速かった。
結婚式二週間前に彼女は倒れた。今度は転移場所が悪く、手術できないと告げられた。
静かに寝ている彼女の隣で、声を漏らささず泣いた。
助からないと。
翌日、いつの間にか寝ていたらしく目を覚ますと、彼女が笑顔で「おはよう」オレは視線を落としておはようと返した。すると彼女はオレのほっぺをつねって、笑ってよ、と震える声で言った。
その時思った。オレより、彼女の方が不安で、オレより、彼女の方が悔しくて、オレより、彼女の方が泣きたいと。
まだ寒い3月の四週目であった。オレはこう彼女に言った。
「結婚式は予定通りあげよう」
彼女は沸き上がる喜びを顔に出し、静かに頷いた。
4月2日。結婚式。ウエディングドレスを美しく着飾る彼女を見て、誓いのキスをする。そして、彼女もオレもガンを忘れて結婚式を楽しんだ。
このまま、何もなかったら、ガンなんてホントはウソだったなんてなったら、どんなに幸せだったか。
数日が過ぎてからだった。彼女が急に激痛を訴えるようになったのは。ベットの上で叫びながらもがく彼女を見て、堪らず医師に強い鎮痛剤、モルヒネを投与しと貰うよう頼んだ。投与後は落ち着いて、眠りについた。起きたら嘔吐し、その苦しみに涙していた。
そんな日が何日も続いた。
「ねぇ、アキラ。私死んじゃうのかな?」
モルヒネを投与した後、彼女はオレに聞いてきた。オレは答えられなかった。見えている死神と、それを否定するオレの気持ち。
「痛くないんだけど、治らないし、気持ち悪い。怖いんだよね。治ったと思うとまた痛くなって」
わかってあげたかった。一緒に苦しめたらどんなに楽かわからなかった。
「まだ、まだ生きたい。アキラと一緒に笑ってたい。アキラの子ども産みたい。アキラとケンカしたい。アキラともっと遊びたいよ」
悔しかった。こんなにも彼女を追い詰めているガンに何も対処できないことに。彼女の気持ちをわかってあげられないことに。
日に日に細くなっていく手を握り、オレは、
「ずっと一緒だよ」
それが最後のウソだった。彼女だってウソだとわかったに違いなかった。でも、喜んでくれた。
ガンの進行が速すぎた。 1ヶ月足らずで彼女は薬がないと生きていけなくなってしまった。
オレは医師に頼んだ。最後に彼女の好きな桜を見せてあげたいと。
許可が出た。
そうなったら速かった。
まだ満開の桜を見せに、車で遠出してみた。久しぶりのデートである。ただ、何故だか雲行きは怪しかった。
着いたのは真夜中だった。そこは、2人の思い出の場所であった。あの木の下でプロポーズをしたのだ。
車から降りるとやけに寒かった。彼女に上着をかけ、一緒に桜が一番綺麗に見える位置に向かった。これが一緒に見る最後の桜だった。
「あ。雪」
季節外れの雪を背景に桜の花弁を舞わせた。それはオレの気持ちとは裏腹に美しく咲き乱れ、輝かしく舞い落ちていた。真夜中なのに、それは沈んだ心に響き、泣いているのに笑顔にさせられた。オレの腕の中にいる、軽すぎる彼女はそんなオレに諭すように呟いた。
「アキラ、ありがとう」
オレはそれに応えることができず、ただただ冷たいその体を温めるために抱き締めた。
その3日後、彼女は目を覚まさなかった。オレは泣く他、自分を保つ方法が見つからなかった。
何日も経った後、墓参りに来た。彼女の墓石の前で手を合わせていると、ほっぺをつねられたことを思い出した。
「笑ってよ」
オレは彼女の墓石の前で、笑った。
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