曹孟徳の調査結果
姓を馬、名を鉄、字を仲誠。異名を『西涼賢者』。
西涼の中で最も私を苦労させた一人。
そして、私の手中に収めておきたかった名士。
彼が死んだと聞いた時、覇王としては悲しくもあったし、嬉しくもあった。
しかし、彼には何度も驚かせられることになる。
なによりも彼の内政の手腕だ。
彼によって当地されていた長安などはかつての元の姿に復興していた。
長安の街の中は治安も良く、浮浪者もいなく、民がみな活気に溢れて復興作業していた。
では復興作業に従事していないものは? それは城外で農地を耕していた。なんでも馬鉄に教えてもらった農法でやると収穫量が増えたらしい。
さらに、街を治める人がおらず、この街を現在治めているのは民の長老だけである。
「馬鉄様がこの長安を治めてくれたおかげで、我々は再び生きることが出来たのです……。曹操様がもし、これを乱そうとするならば我々民一同は全員反抗します」
それを聞いた私は了承し、軍紀を整える一方鐘搖に統治を任せた。
そして、一番の問題が私の南下政策を阻んだ。
異民族問題である。
かつて幽州より北の土地にて霞や凛に鳥丸族討伐を任せて成功させたことがあった。
しかし今回は鳥丸族だけでなく匈奴族を代表とした数多くの異民族が私の西涼平定を防いだ。
秋蘭に何度も討伐をさせたが、無視できない被害を受け最終的には平定を断念するしかなかった。
馬鉄が死んだことでこうなったのだろう。
だから出来れば捕虜にしたかった。
しかし、現実は馬鉄が馬超のために時間を稼ぐために、自分の命を捨ててこのようなことにさせたのだ。
結局私は妥協するしか無く西涼を自治区として認めさせるという融和政策をとるしかなく、そのまま南下政策をとることになった。
だが、【赤壁の戦い】によって私の覇道は終止符を打たれるのであった。
西涼平定問題は馬超を始めとした旧西涼連合首脳陣に任せることによって解決したのだ。
馬鉄のなした功績は大きい。
数多くの政策、数多くの発明、数多くの発想、数多くの戦術。
さすが三傑に劣らずと言われただけである。
最後に私は彼は天の御遣いと同様の人間ではないのかと思う。
なぜならば蜀の劉備、関羽といった首脳の夫であり、天の御遣いである北郷一刀は、馬鉄の政策を読んで天の世界の過去に使われたものだと言っていたからだ。
……それが現実なのかは分からない。本人は死んでしまったからだ。
私、曹孟徳は言おう。希代の奇才である馬仲誠は歴史に名を載せる価値のある人物だと。
本書を持って之を書かせていただく。
異説魏書曹孟徳