第9話 ……だから言った
声をかけられたのは、夕方だった。
倉庫の前で、ぼんやり空を見ていた時。
「……少し、いいか」
低い声。
振り向かなくても、分かった。
(やっぱり、気のせいじゃなかった)
ゆっくり振り返る。
フードの影。
森で、一度だけ会った人。
顔はよく見えない。
でも、その距離感は覚えている。
「……はい」
短く答えると、その人は通りを指さした。
「人目のないところで」
断る理由は、なかった。
裏路地。
石壁に囲まれた、細い通路。
その人は、私から少し距離を取って立った。
近すぎず、遠すぎず。
「街が揺れている」
それが、最初の言葉だった。
「……はい」
「井戸の近くだ」
「……はい」
全部、知ってる口調。
沈黙。
先に耐えきれなくなったのは、私だった。
「私、昨日は井戸出してません」
言い訳みたいで、嫌だったけど。
「今日は?」
「出してません」
「一昨日は?」
答えに、詰まる。
「……出しました」
正直に言うと、その人は小さく息を吐いた。
怒ってはいない。
でも、安心もしていない。
「だから言った」
その一言が、胸に刺さった。
「この力は、場所を選ばない」
「一度動いた水脈は、簡単には戻らない」
私は、唇を噛んだ。
「……私、そんなつもりじゃ」
「分かっている」
即答だった。
「君が壊そうとしていないことは」
それが、余計につらい。
「でも、結果は残る」
地面が沈む。
建物が傾く。
人が、困る。
全部、現実。
「……私、どうすればいいんですか」
初めて、ちゃんと聞いた。
その人は、少し考えてから言った。
「まず、自分の力を理解することだ」
「封じるか」
「制御するか」
「それとも――」
一瞬、言葉を切る。
「責任を取るか」
重すぎる選択肢。
(高校生なんですけど)
言いかけて、飲み込んだ。
この世界では、関係ない。
「街は、君を疑っている」
「だが、敵だとは思っていない」
「まだ、な」
“まだ”。
またその言葉。
「逃げれば、疑いは確信に変わる」
「残れば、巻き込まれる」
どっちも、地獄。
私は、深く息を吸った。
「……教えてください」
顔を上げる。
「私の井戸魔法、何がまずいんですか」
その人は、少しだけ驚いたようだった。
そして、ゆっくり答える。
「底が、分からない」
「深さも、広がりも」
「この世界では、それを“危険”と呼ぶ」
納得しかなかった。
「……便利そうで、最悪ですね」
「最悪だ」
きっぱり。
でも、続けて。
「だから、放っておけない」
その言葉に、胸がざわつく。
「……手伝って、くれるんですか」
少し間があって。
「状況次第だ」
即答じゃない。
でも、拒否でもない。
通路の向こうで、兵士の足音がした。
その人は、フードを深くかぶる。
「今は、目立つな」
「勝手に井戸を出すな」
「次に揺れたら――」
言葉を止める。
「その時は、俺も動く」
それだけ言って、背を向けた。
「……あの!」
呼び止める。
「名前」
一瞬、立ち止まって。
でも、振り返らなかった。
「今は、いらない」
そう言って、去っていった。
私は、路地に一人残った。
頭の中は、ぐちゃぐちゃ。
でも。
(……一人じゃない)
それだけが、救いだった。
「……責任、かぁ」
重い言葉を転がしながら、倉庫に戻る。
夜が、近づいていた。
この街で、
私の井戸が、
次に何を引き起こすのか――
まだ、誰も知らない。




