第50話 問いと答えの間で
井戸の底は、静かだった。
水はある。
でも、揺れていない。
時間が止まったみたいな場所で、
私たちは向かい合っていた。
――三人で。
管理思想の起点にいる人。
途中で降りた人。
そして、まだ決めきれていない私。
「……ここまで来た」
その人が、先に口を開いた。
「なら、話は早い」
「君は、どうする」
私は、すぐには答えなかった。
頭の中に、
あの村の井戸が浮かぶ。
減っていく水。
静かな諦め。
「我慢できる範囲です」という声。
「……あなたは」
私は、視線を逸らさずに聞いた。
「今でも」
「管理が正しいと思ってるんですよね」
「思っている」
即答。
「世界は、壊れていない」
「不完全だが」
「続いている」
ロウが、低く言う。
「……だが」
「完成もしていない」
その人は、否定しなかった。
「完成させるつもりだ」
「迷いを減らし」
「判断を早め」
「犠牲を最小にする」
私は、苦笑する。
「“最小”って」
「誰が決めるんですか」
「私だ」
迷いのない声。
「あるいは」
「私の思想を継ぐ者だ」
胸の奥が、冷える。
(あ)
(この人)
(本当に、全部決めるつもりだ)
「……ロウ」
私は、横を見る。
「あなたは」
「それを、止めないんですか」
ロウは、少しだけ考えた。
「止めない」
「止める資格が、俺にはない」
「俺は」
「途中で、降りた」
その人が、ロウを見る。
「だから」
「君は、選ばない」
「そうだ」
ロウは、はっきり言った。
「もう、選ばない」
「だが」
一拍。
「彼女が選ぶのは、止めない」
視線が、私に集まる。
空気が、少し重くなる。
「……私」
私は、ゆっくり息を吸う。
「あなたのやり方も」
「ロウの選択も」
「どっちも、分かります」
「でも」
井戸を見る。
「私」
「“正しい答え”を」
「この世界に、固定したくない」
その人が、静かに言う。
「それは」
「世界を、未完成のままにする選択だ」
「はい」
うなずく。
「でも」
「未完成だからこそ」
「誰か一人が」
「全部を背負わなくて済む」
沈黙。
長い沈黙。
やがて、その人が言った。
「……君は」
「危険だ」
「決めきれない者は」
「いずれ」
「もっと大きな犠牲を出す」
私は、首を振る。
「かもしれません」
「でも」
「決めきった結果が」
「今の世界ですよね」
その人は、すぐに答えた。
「そうだ」
「だから」
「私は、正しい」
ロウが、低く言う。
「……それでも」
「証明は、できていない」
その人は、ロウを見る。
「証明は、これからだ」
私は、はっきり分かった。
(ここ)
(交わらない)
価値観じゃない。
善悪でもない。
進む方向が、違う。
「……私」
私は、言葉を選んだ。
「このままだと」
「私」
「あなたにとって」
「都合のいい存在になりますよね」
その人は、否定しなかった。
「そうだ」
「だから」
「利用する」
その正直さに、
逆に、納得してしまう。
ロウが、静かに言った。
「……だから」
「彼女は、自分を外す」
その人は、少しだけ目を細める。
「合理的だ」
私は、苦笑する。
「理由は、違いますけどね」
井戸の水面が、
ほんのわずかに揺れた。
でも、誰も反応しない。
世界は、まだ動いている。
ただ。
三人の道は、
ここで完全に分かれた。
私は、まだ言葉にしていない選択を、
胸の奥で、静かに握りしめていた。




