第49話 あの時から、そこにいた人
その井戸を見た瞬間、
私は、はっきり分かった。
(……あ)
(これだ)
胸の奥に、ずっと引っかかっていた感覚。
管理の人たちの言葉の端。
報告書の、妙に整いすぎた文章。
全部、ここにつながっている。
「……ロウ」
私は、足を止めたまま言った。
「管理側の人たちが使ってる言い回し」
「“全体としては安定している”とか」
「“例外は想定内”とか」
ロウは、短く答える。
「……ああ」
「全部、あの人の言葉だ」
答え合わせだった。
井戸のそばに、
一人の人物が立っている。
派手さはない。
威圧もない。
ただ、
“最初からそこにいた人”
という空気だけがある。
「来たか」
その人は、そう言った。
初対面のはずなのに、
まるで続きを話すみたいに。
(やっぱり)
(この人だ)
「……あなた」
私は、慎重に言葉を選ぶ。
「管理を決めた人ですね」
「正確には」
その人は、静かに訂正した。
「“管理という考え方”を形にした」
「判断の基準を、作った」
それを聞いて、
頭の中で何かが、かちっとはまる。
(だから)
(どこに行っても、同じ説明だったんだ)
「……ロウ」
私は、横を見る。
「あなたが、途中まで関わってたって言ってたの」
「この人ですよね」
ロウは、逃げなかった。
「ああ」
「俺は、ここまで来た」
「そして、降りた」
その人が、ロウを見る。
「君は」
「最後まで来なかった」
責める声じゃない。
事実を言っているだけ。
「……ええ」
ロウは、静かに答える。
「降りました」
そのやり取りを見て、
胸の奥が、少し冷える。
ここが、分かれ道だった。
「……じゃあ」
私は、その人を見る。
「私が今まで感じてた違和感も」
「止めてるつもりで、進めてた感じも」
「全部」
一拍。
「あなたが作った“正しさ”の上ですよね」
「そうだ」
即答だった。
「私は」
その人は続ける。
「世界が、問い続ける状態に耐えられなかった」
「迷い続ける人間は」
「必ず、どこかで壊れる」
その言葉。
管理側から、
何度も聞いた。
「だから」
「決めた」
「切る場所を」
「守る場所を」
「優先順位を」
私は、息を吸う。
「……後悔は?」
「していない」
迷いのない声。
「後悔は」
「判断を鈍らせる」
(この人)
(本気で、正しいと思ってる)
ロウが、低く言う。
「……だから」
「君は、今も正しいままだ」
その人は、うなずいた。
「そうだ」
私は、二人を見る。
決めきった人。
途中で降りた人。
そして。
(私)
(まだ、どっちにもなってない)
井戸の水面は、静かだ。
答えは、もうある。
でも。
私は、その答えを
“完成形”として
この世界に置きたくなかった。
それだけは、
はっきりしていた。




