第39話 実験と言われたら、もう否定できない
証拠は、偶然みたいな顔をしてやってくる。
その日の報告も、最初はよくあるものだった。
「……井戸の水位が、少し下がりました」
少し。
ほんの、少し。
(嫌な言い方)
私は、報告書を受け取る。
「下がっただけ?」
「はい」
「噴出もなし」
「水質変化も、ありません」
ロウが、地図を見る。
「場所は?」
「ここです」
指された地点を見て、
私は、息を呑んだ。
「……管理井戸の、真ん中ですね」
網の中心。
今まで、最も安定していた場所。
(揺らした)
私は、報告書をめくる。
時間。
数値。
周辺状況。
全部、綺麗だ。
綺麗すぎる。
「……これ」
ぽつりと呟く。
「誰か、意図的に触ってます」
「管理側か」
「……たぶん」
ロウは、視線を上げない。
「試しているな」
胸が、冷える。
「……何を」
「“どこまでズラせるか”だ」
外に出ると、井戸は変わらず静かだった。
人は、水を汲んでいる。
不満も、不安もない。
ただ。
(少しだけ、減った)
(でも、誰も気づかない)
「……ロウ」
「なんだ」
「これ」
井戸を見る。
「もし、戻さなかったら」
「どうなります?」
「分からない」
即答。
「だから、実験だ」
その言葉が、胸に刺さる。
「……実験って」
私は、声を落とす。
「人が使ってる井戸で、ですか」
「そうだ」
「使われているからこそ、意味がある」
(最悪の理屈)
管理者の言葉を、思い出す。
――段階的に。
――失敗は許容範囲で。
「……ロウ」
私は、目を伏せたまま言う。
「私」
「さっきまで」
「否定したかったです」
「“実験”なんて言葉」
ロウは、黙って聞いている。
「でも」
顔を上げる。
「これ、もう実験ですよね」
「……ああ」
否定しなかった。
それが、決定打だった。
井戸の縁に、手を置く。
冷たい。
いつもと、変わらない。
(でも)
(触られてる)
(測られてる)
「……ねえ」
私は、静かに言った。
「失敗が起きたら」
「誰が、責任取るんですか」
ロウは、少しだけ目を伏せる。
「……取らない」
「取れない」
「“想定外”になる」
その言葉が、重い。
(いつも、それ)
人が傷ついたあとで、
想定外だった、で終わる。
「……管理者の人」
思い出す。
「悪い人じゃなかった」
「むしろ、真面目でした」
「そうだ」
「だから」
一拍。
「歯止めが、必要だ」
私は、深く息を吸った。
「……私」
言葉を選ぶ。
「止めたいです」
「全部じゃない」
「でも」
「実験として扱われるのは、嫌です」
ロウは、私を見る。
真っ直ぐに。
「……それが」
「対立の始まりだ」
井戸の水面が、わずかに揺れる。
風のせいじゃない。
(反応してる)
「……否定できないって」
小さく笑う。
「一番、しんどいですね」
「だが」
ロウは、低く言う。
「目を逸らすよりは、いい」
私は、井戸から手を離した。
静かな水面。
でも、その奥で。
世界が、試されている。
もう、言い逃れはできない。
これは、実験だ。
だからこそ。
止める理由も、
向き合う理由も――
はっきりしてきた。




