第35話 世界は、もう静かじゃない
異変は、音を立てて起きるとは限らない。
むしろ――
静かなまま、広がる方が厄介だ。
「……南からも、来ました」
報告役の兵士が、少し疲れた声で言う。
机の上に、また紙が置かれた。
(増えるなぁ……)
私は、地図を見る。
もう、空いている場所の方が少ない。
「……これ」
指でなぞる。
「街、村、街道、全部含めて」
「均等に、です」
ロウが、低く言った。
「偏りがない」
「つまり」
私は、視線を上げる。
「世界全体を対象にしてる」
誰も、否定しなかった。
その沈黙が、答えだった。
「……でも」
私は、報告書をめくる。
「暴れてない」
「壊れてない」
「死者も、出てない」
「……それが、一番怖い」
ロウが、うなずく。
「反発が起きていない」
「受け入れられている」
(そりゃそうだ)
(水が安定して出るなら、誰だって歓迎する)
「……ねえ、ロウ」
私は、少し声を落とす。
「これ」
「止めたら、悪者になりますよね」
「なるだろうな」
即答。
「水を奪う側だ」
胸の奥が、きゅっと縮む。
(やっぱり)
「……でも」
拳を、軽く握る。
「このまま続いたら」
「もっと大きな歪み、出ますよね」
「出る」
短い肯定。
「確実に」
私は、深く息を吸った。
ここ数日、
ずっと同じ感覚が胸にある。
焦りでも、恐怖でもない。
圧だ。
「……ロウ」
「なんだ」
「これ」
地図を、軽く叩く。
「誰かが、“世界を管理できる”って思ってる配置ですよね」
ロウは、少しだけ間を置いた。
「……ああ」
「思っている」
私は、思わず苦笑した。
「大胆ですね」
「人が住んでる世界で、それやるの」
「だからこそ、危険だ」
報告は、さらに続く。
「北部で、水脈の流れが変わりました」
「東で、井戸の深さが均一になっています」
「西では、魔法の発動が安定しました」
全部、良いことに聞こえる。
だから、余計に。
(止めづらい)
「……世界」
ぽつりと呟く。
「もう、静かじゃないですね」
ロウが、こちらを見る。
「気づいたか」
「はい」
はっきり言う。
「音はしませんけど」
「ずっと、動いてます」
窓の外。
人が歩き、
水を汲み、
普通の生活が続いている。
でも、その下で。
水脈が。
魔力が。
世界のバランスが。
誰かの意図で、調整されている。
「……第二部」
小さく、心の中で言う。
(ここから、本気だ)
私は、地図を畳んだ。
そして、言った。
「……ロウ」
「はい」
「次」
「私、見に行きたいです」
「どこだ」
「……一番、普通に使われてる井戸」
「何も起きてない場所」
ロウは、少しだけ目を細めた。
「……危険だぞ」
「分かってます」
でも。
「一番、分かりにくい所に」
「一番、答えがある気がします」
しばらくの沈黙。
それから。
「……いいだろう」
ロウが、うなずいた。
「準備しよう」
私は、深く息を吸った。
世界は、もう静かじゃない。
でも。
静かな場所から、壊れる。
そんな気がしてならなかった。




