第15話 静かな井戸ほど、信用できないって話
異変は、起きなかった。
それが、一番おかしかった。
「……今日、静かすぎません?」
私は、街の広場で立ち止まって言った。
井戸の周りには、いつも通り人がいる。
水を汲む人。
立ち話をする人。
誰も、困っていない。
「静かだな」
隣を歩いていたフードの人が答える。
「でも」
一拍置いて。
「良い兆候とは限らない」
(ですよねー)
私は、無意識に井戸から距離を取った。
近づかない。
触れない。
覗かない。
この数日で身についた、生存術。
それでも。
(見ちゃうんだよなぁ)
視界の端で、水面が揺れた気がした。
「……今、揺れました?」
「気のせいかもしれない」
「“かもしれない”が怖いんですけど」
井戸は、何も語らない。
静かすぎる水面。
午前中は、それで終わった。
問題は、昼を過ぎてからだった。
「ねえ、聞いた?」
市場の露店で、そんな声が上がる。
「隣町の井戸、変なんだって」
私は、ぴたりと足を止めた。
(……隣町?)
「水が濁るとか?」
「いや、出ないらしい」
「出ない?」
それは、初耳だった。
水が多すぎる話は、聞いたことがある。
でも、出ない?
「昨日まで普通だったのに、急に」
「底が見えないって」
胸の奥が、ざわっとする。
(底が、見えない)
嫌な一致。
私は、フードの人を見る。
「……これ、私のせいじゃないですよね」
「分からない」
即答。
優しくもないし、突き放してもいない。
「だが」
続く言葉が、重い。
「君だけの問題じゃない可能性が出てきた」
私は、息を呑んだ。
「……誰かが、いじってる?」
「可能性はある」
市場のざわめきが、少しだけ大きく聞こえる。
「別の街でも、似た兆候が出ている」
「偶然で片付けるには、多すぎる」
(やっぱり来た)
“私が原因じゃないかもしれない”
その安心と、
“もっと大きな問題かもしれない”
その恐怖が、同時に来る。
「……嫌な予感しかしません」
「正常だ」
それは、褒め言葉らしい。
その日の夕方。
私は、例の封鎖井戸の前まで来ていた。
もちろん、近づかない。
近づかないけど。
(……静か)
ここも、静かすぎる。
水の音が、しない。
風の音だけ。
「……何も、起きてないですよね」
「今は、な」
フードの人は、井戸ではなく、周囲の地面を見ていた。
「溜めている」
低い声。
「何かを」
背筋が、冷える。
「……溜めてから、どうなるんですか」
「一気に、来る」
(やめて)
私は、ぎゅっと拳を握った。
「……また、選ばされるやつですか」
「まだだ」
でも、否定もしない。
井戸は、今日も静かだ。
街も、立っている。
でも。
(嵐の前の静けさってやつでは?)
その予感だけは、
外れてほしいと思った。




