第三話
3
「お前、何をした」
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。安心して、私が第三次世界大戦を始める気はないから。まあでも、結果的に始まっちゃうかもしれないけれど」
「私も聞き方を変える。何を考えている」
アナスタシアはにやりと笑い、よくぞ聞いてくれました、といった顔をした。
「私ね、今まで国民には重税を課して、サイバー攻撃で世界中の企業から身代金をむしり取って貯金を頑張ってたのよね。あなたがここに来るちょっと前、そのお金を全世界のテロリストにばらまいたの」
「それだけか?たしかにテロは増えるだろうが、我々に鎮圧されて終わりだ」
「ふふ、私もそう思う。だから、ちょっと工夫してみた。最近、日本では『無敵の人』っていうのが流行ってるそうじゃない。世界中の『無敵の人』の皆さんに銃と爆弾をプレゼントしました!拍手っ!」
ミオの顔はみるみる青ざめた。それに対して、アナスタシアはとても嬉しそうに一人、両手を叩いていた。
「『無敵の人』には本来の意味で『桜花』になってもらおうと思うのよ。そろそろ事件の一つくらい起きてるんじゃない?地下鉄かなあ、ハイジャックかなあ、通り魔かなあ。震えてきたわ」
「やめろ……それは、本当に……」
「大丈夫だって。一件一件はきっと大したことないわよ。どうせ数人しか死なない。でも、ここでテロリストにもお金を渡しておいたのが効くのよねえ。さすが私。よく思いついた」
ミオは自分が思いつく限りの最悪のシナリオを彼女にぶつけた。
「テロ組織による犯行と誤認したどこかの国が『対テロ戦争』を始める。世界中が疑心暗鬼になって停まっていた紛争が再開する。それにどこかの大国が介入する。反発したもう一つの大国といずれぶつかる。そういうことか」
「さすが、良い勘をしているわね。でも私が第三次世界大戦を始めるわけじゃない。皆が勝手に始めるだけ。そもそも、その時には私はもう殺されてるわけだし」
これもどうせはったりだろう、と思ったが、アナスタシアはやけに本当らしく語っていた。一抹の不安を感じたミオはスマホでニュースを確認した。
「どう?お祭りは始まった?」
アナスタシアはミオの隣に座り、画面を覗いた。とても楽しそうに、それこそ女子高生が友達のスマホを見るような態度だった。画面を見たミオは息を飲んだ。
「……東京で銃の乱射。五人が怪我をしたそうだ。犯人は自殺」
「やっぱり通り魔かあ。そうよねえ、社会に不満を示すには一番手っ取り早いものね。インパクトも絶大。犯人にはご冥福をお祈りするわ」
「ニューヨークではゴミ箱が爆発。たまたま近くを歩いていたセレブが爆発に巻き込まれて死んだ」
「『無敵の人』にとってはこれ以上嬉しいこともないわよね。富を独占する金持ちには死んでもらわないと」
「……」
「どうしたの?次、次を見せて。今の私はサンタクロース。プレゼントをもらって喜ぶ皆の顔が見たいのよ」
気づけばミオの画面を操作する右手をアナスタシアが掴み、無理やり画面を下に動かしていた。
「なになに、上海ではビルが爆破して倒壊!ハリウッド映画みたいで好きよ、そういうの。どうせ手抜き工事でもしてたんでしょう」
「フランスでは暴動ね。フランス革命なんていうバカ丸出しの事件を起こした国にふさわしいわね。そのまま政府を転覆しちゃいなさい」
ミオは黙ってスマホの電源を落とした。アナスタシアは全世界の何千という人々に、それも社会に対する復讐を望む「無敵の人」に最高の武器を送り付けたのだ。そして彼女は「無敵の人」を武器として利用する。世界を終わらせるための武器として。
「あら、もっと見せてくれてもいいのに。まあ、もうこれで導火線に火はついた。あとは導火線から爆弾に線が繋がっているかどうか、よ」
「火をつけたのはお前だろっ……!今すぐ止めろ」
ミオは今までで一番焦っていた。私がもっと早く総統宮殿に潜入し、もっと早くこの化け物を殺していれば結果は変わっていたのかもしれない。そう思うと彼女の背中を冷や汗が伝った。
「燃え上がって行く火は放火魔でも消せないわよ。あと、私が彼らに銃火器を発送したのはあなたが来るはるか前よ。あなたにはそもそも止められない」
「じ、じゃあ……止める方法は」
「さあ、知らないわよ。世界の指導者たちが全員聖人であることを祈ればいいんじゃないかしら?でも、私が今まで会った指導者で聖人なんて一人もいなかったけれど」
今すぐ「桜花」に連絡しようかミオは迷った。だが信じてくれるだろうか。総統とはいえただの十六歳の少女が全世界に銃火器をばらまき、第三次世界大戦を引き起こそうとしているなどと説明したところで、頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
「ねえ……ねえ、聞いてる?」
「……何だ。今こっちは必死に考えてるんだ」
「無駄無駄、そのうち花火は上がる。私は下から--地獄から見ることになるけれどね。ところで、もうすぐ零時よ。『任務』、果たさなくていいの?」
作戦では、午前零時十分にあらかじめ手配してある逃走用の車に乗り込んで騒乱の共和国を脱出することになっていたが、そろそろ宮殿を出発しなければランデヴー地点に間に合わない。
アナスタシアは屈託のない笑顔をミオに見せる。
「いつでもいいわよ。今日死ぬか明日死ぬかの違いでしかないのだから。私の役目は終わったの。あとは、観客席でバカどもが演じる喜劇を見守るだけ」
ミオは軍刀を再び手に取った。黙ってアナスタシアの両目を貫くように見つめる。
「そう、その調子。そのまま大きく振りかぶって、いつも通りターゲットを斬るの。そこには感情なんて要らない。無心で斬りなさい」
アナスタシアの言う通りにミオは軍刀を振りかぶった。その姿はまるで、親が子どもに自転車の乗り方を教えるようだった。アナスタシアはやはり子どもを見るような温かい目でミオを見ている。今までミオが殺してきた者は全員、目をぎゅっと瞑っていたか、目を見開いていた。
「……目を瞑れ」
「分かった。こう?」
目を瞑ったせいで、アナスタシアのまつ毛が長いというどうでもいい事実がミオの頭の中に入ってきた。余計なことを言ってしまった、と思う。こうして彼女の全身を眺めていると、スタイルもなかなかだ。独裁者でさえなければ慕われただろうに……。
「本当に斬るぞ」
「ええ、どうぞ。元から斬られるつもりよ」
その後、ミオは何秒間、何分間そのままだったか覚えていない。しかし、軍刀を振り下ろせなかった。いや、振り下ろさなかったのだ。
「あら。零時の鐘が鳴ってしまったけれど?」
内戦状態だというのに、健気に時計台は午前零時を知らせる鐘を鳴らしていた。重苦しい低音が部屋全体を包み込んだ。
「……もう、いい」
「職務放棄?わが国では銃殺刑よ」
「もう、どうでもいい。勝手に滅べばいいだろ。共和国も日本も、世界も。もう何を信じればいいか私には分からない。『桜花』のことも」
ミオは軍刀を投げ捨て、刃先が震えるのを見ながらその場に座り込んだ。
「ねえ」
「……何だ」
「あなた、私のこと好きでしょう?」
「はあ?気色悪い……むぐっ!」
アナスタシアはミオに接吻をした。ミオにとってそれはファーストキスだった。アナスタシアにとって何回目のキスかは、分からない。
「ふふ。私もあなたのこと、好きよ」
ミオは初めての快感を受け止めきれなかった。身体が痺れるように震え、一瞬だけではあるがもう一度してみたい、と心の中で願ってしまった。
「離れろっ!」
近い、近すぎる。呑み込まれるなとミオの理性が叫んでいた。
「ツンデレさんなのねえ。結婚する?」
「同性婚はお前の国では禁止だろう」
アナスタシアはおもむろに執務机から一枚の公文書を取り出すと、そこに文章を書き殴って「アナスタシア・ヴラドレフ」とサインした。
「私は総統。今から新しい法律を作ればいい……ほら!これで新しい法律が完成したわ。私とあなたの結婚を認める法律よ」
「何がしたいんだよ……お前……」
アナスタシアは執務机に腰かけ、窓から白く輝く月を眺めながら言った。
「『お前』じゃないわ。アーシャって呼んで」
「……アーシャ。私がお前を殺さないとして、これからどうするつもりだ」
アーシャと呼ばれた彼女は無邪気な笑顔を見せた。軍服さえまとっていなければ年頃の女の子だと言うのに。
「何もしないわよ。本当は地獄で劇を見るつもりだったけれど、予定変更。愛するあなたと一緒に見ることにしたわ」
「……鏡原ミオだ」
「それって、あなたの名前ってことでいいわよね?ミオ」
アーシャはミオの顎をくいっと自分に近付け、再び顔を近づけた。思わずミオは目を閉じる。
「あははっ、キスならさっきしたじゃない。今はお預けよ」
「……っ」
「恥ずかしがることないわよ。どうせバカどもはミオのことなんて気にしないわ。これからバトルロワイヤルで忙しくなるだろうし」
そう言うとアーシャはミオのポケットからスマホをするりと取り出し、ニュース記事を確認した。騙された、とミオは勝手に苛立った。
「ほら、見て。中東でまたバトルが始まるわよ。何回目の石油危機になるんでしょうね」
「エルサレムで銃の乱射か。イスラエルはイランの犯行として報復を宣言。……はあ、もう止まらんだろうな」
あの地域ではよくそういうことが起こる。驚きはなかった。軽い失望と、ほんの少しの期待がミオの心に渦巻いた。私は何を期待しているのだ、と打ち消しながらも、それが次第に膨れ上がっていくのを止められない。
「あとはアメリカがしゃしゃってきたら完成ね」
ミオは実際のところ正義に興味があるわけではなかった。「桜花」の任務外でアーシャに出会っていても別に殺さなかっただろうし、特に非難もしなかっただろう。アーシャはたしかに世間の言う通り冷酷非情な独裁者だったのだろうが、ミオは、そんなアーシャのことを「もっと知りたい」と思い始めていた。
「……なあ」
「ん?」
アーシャは恋人のように首を傾げ、ミオの方を振り向いた。
「ここから出ないか。このままだと明日には革命軍がここを踏み荒らし、お前は陵辱されて殺される」
「さすが、マイ・ハズバンドね。いいわよ。ここまで来たら、人類最後の二人になりたいわよね」
「……私はそんな簡単に人類は死なないと信じているが」
「なら、賭けね。人類が滅ばなかったら私を殺して。もし滅んだら私の勝ち、私があなたを殺してあげる。私が人類という壮大なC級映画に終止符を打つの」
「……勝手にしろ」
三度目の爆発音。次第に戦場が宮殿に近付いているようだった。建物が揺れ、窓ガラスがガタガタと音を立てた。
「急ぐぞ」
二人は一階の廊下にある電気スイッチを五回押し、秘密通路の扉を開けた。使われた痕跡はほとんどなく、地下水の影響かじめじめしている。
「SNSはバカ発見器ね。東京の通り魔の犯人は中国人なんだって。ニューヨークの爆発はイスラム原理主義者。パリの暴動は難民が起こしたものだそうよ」
こんな時でもスマホを片手にニュースを嬉々と読み上げ続けるアーシャは、ミオにとって愛らしくさえ思えてきた。彼女とともにこの壮大な映画を見届けるのも悪くない。
「陰謀論者なんて死んでしまえ」
「やっと正直になった。そうよ、死んじゃえ」
「……アーシャがやらなくても、そのうちこのクソみたいな世界は滅ぶ。そう思うと随分楽になったんだ。『任務』に従うことに意味はないし、アーシャと世界を逃げ回っても意味はない。でも私は、お前を知りたい。お前のようなどうしようもないクズを」
「……ふふ。私は知られたいわ。あなたになら私の全てを見せてあげたい。だから最期まで見届けてくれるわよね、かわいい暗殺者さん?」
アーシャとミオの手は絡み合った。同じようにその運命も深く絡み合うことになる。それも、もう二度と後戻りできないほどに。
「あっ、遂に始まったわ!米軍がイランを叩くそうよ!民主主義ほどバカなシステムはないわよね。バカに主権を与えたら世界中がバカだらけになるに決まってるじゃない」
「チャーチルによれば、民主主義は最悪の政治体制だそうだ。今までの政治体制を除けば、だが」
「アナスタシア・ヴラドレフによれば、この世の全ての政治体制は最悪よ。AIにでも統治してもらった方がまだマシだわ」
軽口を叩くアーシャを横目にミオは歩き続けていたが、予想に反して特段の障害もなく彼女たちは宮殿から脱出できた。革命軍も親衛隊もいないなんて不自然だと思ったが、そんなことを気にしている場合ではない。
「……行くぞ」
ミオが振り返ると、総統宮殿は既に燃えていた。軍が燃やしたのか革命派が燃やしたのかは知る由もないが、彼女たちにとってはもう関係のない話だった。いずれにせよ、全てが戦火に包まれるのだから。




