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エピローグ

 耳をつんざくような歓声が、体育館中から湧き起こる。

 歓声の向かう先は、一人の少女。亜麻色の髪を一つに結い上げ、しなやかな肢体を伸ばし、その頭よりいくらか大きいバスケットボールを、ゴールポスト目掛けて放っていた。

 素人の女子にしてはかなり珍しいワンハンドシュート。それも、スリーポイントシュートだった。

 少女――ダーシェンカ・オルリックの手から放たれたボールは吸い寄せられるようにゴールリングを通過した。ボールが網を通過するときにおこる小気味いい音が周囲に響く。

 同時に、ただでさえ大きかった歓声が、さらに膨れ上がる。

 イズミはその歓声に少し顔をしかめながら、得点板をめくる。これで得点板に示された数字は七十四対六十八。素人の、それもお遊戯に等しい高校の体育祭で、こんな熱戦が繰り広げられようと、誰が予想しただろうか。

 いや、予想しうる者なら一人だけいた。コート上でダーシェンカと同等の存在感を放っている、腰まで伸びた黒髪を一つに結んだ少女――来栖千澄だ。

「派手にやってるな、あの二人」

 不意にイズミの横から声が上がる。

 声の主はコートの外に居ながら二人の少女同様、あるいはそれ以上の存在感を放つ、緩やかにウェーブのかかった金色の髪を揺らす少女――クレア・ブリンズフィールドだった。

 学校では無駄に丁寧な口調のクレアも、この歓声の中では他人に聞かれる心配はないだろうと、平素の喋り方だった。

「やってますね、それはもう心配になるくらい」

 イズミは苦笑いながら言う。

「まったく、もう少し加減というものを覚えろというのだ」

 クレアはまんざらでもないような笑みを浮かべながらダーシェンカと来栖に視線を向けていた。

「あの二人、この決勝戦にたどり着くまでに優勝候補を二回破ってるんですよね……うちの女バスって県ベスト8なのに」

「それは……やりすぎだな」

 クレアはげんなりとした表情をイズミに向ける。

 確かに、とイズミはクレアに返し、再びコートに視線を戻す。

 不思議な、とても不思議な感覚だった。つい二週間前にリィガを破り、今はこうして体育祭に興じている。

 通り魔事件で開催が危ぶまれた体育祭も、通り魔事件が“ない”ことになったのだから当然このように開催されている。

 捻じ曲げたのだ。イズミの隣で何気なく佇んでいる少女が。

 なんでも人の意識に介入し、記憶の奥底に押し込めたということらしいが、警察機関やらマスコミやらもそんな催眠術的なもので騙しおおせられることは、イズミにとって少なからず驚くべきことだった。

 いや、そうでもないか。世間ではいろんな事件が毎日起こっている。クレアが何かをしなくても、そう時間を経ずに忘れ去られる程度の事件だったのだろう。

 イズミが垣間見た魔術の世界は驚くべきことだらけだが、日常も腰を据えてみてみれば本当に不思議なことだらけなのかもしれない。人が忘れていくという何気ない事象もその一つ。

「でも、驚きましたよ」

「ん? 何がだ? 今目の前で繰り広げられている光景以上にか? って、千澄のやつ今異能使ってダーシェンカからカットしたな」

「え、そうなんですか? それは……って、僕が言いたいのはそれじゃなくて、クレアさんがこうして学校に残ってることですよ。僕はてっきり人の記憶操作した後に消えちゃうもんだと思ってましたから」

 イズミが言うと、クレアはどこか恥ずかしそうに顔をうつむける。

「いや、まぁ、そのつもりだったんだがな、雪がその……私の制服姿を可愛いというものだからな、もう少しいてもいいかなぁ、と」

「クレアさんはホントに母さんが好きなんですね」

「いや、まぁ、もちろんお前達のお目付け役も兼ねてるぞ? お前達は本当に危険因子だからな」

「危険因子って……まぁ、そうなんでしょうね。でもそれならそれで良かったですよ」

「良かった……? 何がだ?」

 微笑むイズミにクレアは怪訝な視線を向ける。

「だって会ってすぐサヨナラなんてさみしいじゃないですか。それに悪くないでしょ? 日常だって」

 イズミは屈託なく笑う。

 クレアはその言葉と表情に、しばし呆然とした。重なったのだ、イズミが。遠い日に、クレアに同じ言葉を向けた少女――雪に。

 親子だから顔つきが似ているのは当然。だが、その言葉は? 漂う雰囲気は?

 次々と大挙して押し寄せてくる、泣きたくなるような過去の記憶の数々を胸に押し込め、クレアは嗜虐的な笑みを浮かべた。

「ははぁん? さてはダーシェンカだけでは飽き足らず、私も手篭めにしようというのだな? この人でなしめ」

 クレアはそう言うと唐突に、イズミの腕に体を絡ませてきた。

 お世辞にも大きいとはいえない、ささやかなふくらみがイズミの腕に押しあてられる。

「なっ、何を……!」

 しているんですか、と言おうとした瞬間。イズミは全身に悪寒が走るのを感じた。

 これは……殺気。明らかに自分に向けられている、明確な、害意。あまりの激しさに、イズミは思わずエーテルを解放して周囲の様子を探りそうになった。

 だがすんでの所で思いとどまる。殺気のもとは、エーテルで探るまでもない。二階のギャラリーから血走った目をイズミに向けている野郎どもだ。

「これが……狙いですか?」

 イズミは深々と嘆息を漏らす。

「安いもんだろ? 私の胸の感覚と引き換えにたったこれだけの殺意なら」

 クレアは密着していた体を離し、屈託のない笑みを浮かべた。

「安くは、ないですよ……月のない夜が歩けなくなります」

「ははっ! ならエーテルを展開させればいいじゃないか。丁度いい訓練だ。それじゃあな、如月“先輩”」

 クレアはペコリと頭を下げ、離れてクレアの様子を窺っていたらしいクラスメイトの所に舞い戻っていく。

 イズミは教室に帰ってからのクラスメイト(主に男子)から受ける迫害を思い、ゲンナリと肩を落とした。

 同時に、試合終了を告げるブザーが鳴り響く。

 試合は、百二対九十八で、来栖が率いる二年生のチームの勝利だった。

 辺りから惜しみのない拍手が送られ、選手たちはそれに軽く手を振って応じていた。

 悔しそうな表情をしているダーシェンカと視線が重なり、イズミは「惜しかったね」と呟きながら手を振った。

 が、ダーシェンカは唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。

「あ、あれ……? 僕なにか……あ」

 イズミはすぐさまクレアが取った行動を思い返し、頬を掻いた。

 どうやら真っ先に気にしなければならないことはクラスメイトの迫害よりも、ダーシェンカの誤解を解くことらしい。

 だが、まぁ。

「これはこれで素晴らしい日常かな」

 イズミは微笑みながら独りごちた。


 このあとイズミが半日かけてダーシェンカの誤解を解いたのと、クラスメイト達から陶片追放オストラシズムを受けそうになったのは、また別の話である。



 fin

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