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Others-第三者の視点から-  作者: 椋の音
第一部 -ヴェルディアン構成員- 編
5/5

四ノ刻: 「平和か闘争か」

《次回の投稿は1/20前後を予定しております》

《記録者の都合により、次回投稿を2/20に延期いたします》


《記録の修正が入る可能性があることを予めご了承願います》

《2025/12/22に記録の修正が入りました》

《2025/12/26に記録の修正が入りました》

アビスフロンティア国際空港へようこそ


ガラス張りの壁に掲げられたその看板は、アビスフロンティアへ訪問してきた種へ向けたメッセージが記されている。


アビスフロンティアは混沌都市と呼ばれるほど、他の都市とは一線を画す無秩序の場所だ。

だからこそ荒くれ者や訳あり者の住処として丁度よいのだが、やはりスリルを味わいたい輩も少なからずいるわけで。


腕試し、度胸試し、好奇心……そんな変わり者たちが観光客として訪れるのだ。

そして、ここアビスフロンティア国際空港は、数少ない開かれた通用門なのである。


「レナード君、行くよ」

「あ、はい!」

革製の鞄を左手に持ってフロストの後をついていくのは、ヴェルディアンの中では若手で新参者のレナードだ。

「あの、フロストさん」

追いついたレナードが隣に話しかける。フロストのアイスブルーの瞳が穏やかな表情を浮かべて続きを待っていた。

「僕は外交に向いてないと思うのですが……」

「そう言わないでくれよ」

楽しそうに笑うフロストがポケットから手を出して、レナードの肩に乗せる。

(ボス)が拠点を不在にしがちなのは頂けないって分かるだろ?」

「それは理解しているつもりです」

二人は雑踏の波の合間を縫うように避けて進んでいく。ザワザワとあらゆるところから雑音が飛び交う中、レナードは眉をハの字にして訴えた。

「でも僕は、交渉や荒事は苦手です。引っ張る自信しかないですって」

「それでも戦闘では先陣切ってくれるじゃないか」

「やってきた火の粉を払っているだけです」

「むしろ進んで火に突っ込んでいるように感じるけど?」

否定できずに口ごもるレナードに、フロストがまたクツクツと喉の奥で笑った。

楽しげな表情に遊ばれたと感じるのは、きっとレナードの気の所為ではない。

「ラッシュさんの方が良くないですか?荒事とか得意ですし」

負け惜しみにそう零せば、フロストは「うーん」と口元に手を当てる。言葉を探しているような仕草に、レナードは何となくその先の台詞を察した。

「ラッシュはなぁ、依頼交渉に向かない。何か不満があれば冷静より先に暴言が出る」

腹の探りあいと僅かな妥協というのが、ラッシュには出来ない。

刹那主義と言うべきか、快楽主義と言うべきか、かの男は今ある居心地良さを最優先で考える。先の素晴らしい景色ではなく、今目の前にある甘い蜜に手を伸ばす質なのだ。

「昔よりはマシだが、やはりこの間連れ出して思ったよ。あれは常在の方が適している」

「あれでマシなんですか……?」

「昔のままなら言葉より先に拳が出る」

納得のいく回答だ。ラッシュならやりかねない。


ヤのつく組織やチンピラに喧嘩を売られれば喜んで買う彼は、しょっちゅう誰かと暴力沙汰を起こす。この都市では、そんな些事当人同士で解決しろと言わんばかりにみな素通りする。時々、というか割と頻繁にそれを見て賭け事をする野次馬もいるが、基本誰も警察を呼ぼうなんて考えない。

まぁそれを見越してパトロールしているFPD職員に捕まって、後々エドアルドに笑顔で説教されているが……。

それを考えるなら、確かに手を出さずに暴言だけで済ませる今はそれなりにマシと言えるのかもしれない。


閑話休題


「とりあえず失敗してもいいからさ。やってみてよ」

「そんな「ちょっとおつかい頼むよ」的な感じで言われても」

「大丈夫だって。今回の依頼人は昔から懇意にしている方だから」

ポンポンと肩を叩くフロストにそういうことじゃないと突っ込みたくなったが、これ以上ゴネても仕方ないかと腹をくくる。

「……もうここまで来てしまったので行きますけど、僕は外交班に移る気はありませんからね。何されてもやりません」

「おー強気だねぇ」

ニヤリと笑う彼の瞳がほんの一瞬朱に染まる。

「じゃあその時は僕と追いかけっこしてもらおうかな」

すぐに青に戻る眼を見て、レナードはひっそりと息を吐いた。


フロストさんは吸血鬼と妖霊族の血を引いている。

冷静沈着でマイペースな彼は、普段は青い瞳で組織構成員を観察し、いざとなれば適切な対応をスマートに見せる人物だ。

そんな冷徹な彼でも、感情が高ぶると眼を赤くして好戦的になる。

戦闘狂とまではいかないが、戦いを楽しむ性格なのは周知の事実だ。

何名かの構成員は、そんな彼を怖がって拠点に近づけずに在宅で作業している……という事実を、この間チラッとエドアルドさんが笑いながら教えてくれたのは記憶に新しい。


再び閑話休題


「フロストさんが鬼なら勝てない気がしますね」

「じゃあウチのボスに頼んで「やめてください」冗談だよ」

被せるように拒否するレナードに冗談か本気か分からない提案をするフロストが足を止める。

一緒に立ち止まって何事かと前を向く。

「確かにウチのボスに頼まれたら断れないよね」

朗らかな声色はやはりどこか楽しげだ。

目の前にいた子供が高身長の相手に抱っこをせがんでいるのを横目に、レナードは「行かないんですか?」と前方を指さした。

「子供は苦手でね」

肩を竦める彼が苦笑する。それから目の前で繰り広げられる和気あいあいとした空気を眺めて、その時が過ぎるのを待っていた。

その視線に感情は籠もっていない。彼は時々、そんな表情をする。

何かを言おうと口を開きかけて、子供の声に話しかけるのを忘れる。


「ねぇおじさん!なんで角がないの〜?」

フロストの方からクッ、と笑い声を堪える音が聞こえる。口元を手で押さえつつも笑うのをやめない彼は、仕方ないなとばかりの表情を浮かべていた。

「ん?俺に角は生えないからな」

「え〜?なんで??」

男が少年の前にしゃがみ込んで目線を合わせる。首を傾げる男の子に対して男性は困り眉になっていた。

「こればっかりは生まれつきだからなぁ」

男性の言葉は少年の不満を買ったらしい。イマイチ話がかみ合っていない彼らに何と声をかけるべきか悩んだが、フロストがレナードの肩に手を置いて首を横に振る。

口元に笑みが浮かんでいるのは、これから起こることを予見しているように感じた。


「おじさん、きじんなのに角がないの?」


フロストの方から笑い声が噴き出た。今度は堪えきれなかったようで、楽しそうに笑っている。

目の前のグレー地のスーツを着た男性は、ようやく少年の勘違いに合点がいった顔をしていた。

「少年、俺は人間だぞ」

コテンと首を傾げる姿に少年が目を丸くする。

ややあって、遂に彼の口から驚きの声が漏れた。

「えぇ~?!おじさんそんなに背が高いのに、ヒューマンなの?!」

驚きのあまりか、【人類種(ヒューマン)】という言葉に呂律が回っていない。

男性は「あっははは!」と声を出して笑い、少年の頭をガシガシと撫でた。

人類種(ヒューマン)だって背の高いやつはいるぞ〜。それこそ190センチあるやつだっている」

「へぇ!そうなんだぁ!」

目をキラキラとさせる少年は、ふと自分の手のひらを眺めてグーパーし始める。

それからまた男性を見て、

「ねぇ、僕もおじさんみたいに大きくなるかな??」

男性は立ち上がり、少年の頭を優しく撫でる。髪の隙間から小さな角がチラリと顔を覗かせているのを見て、レナードはようやく少年が鬼人だと気づいた。

「勿論。好き嫌いせずによく食べて、よく寝て動けばでっかくなるぞ!」

ニコニコと笑い合う二人の元へ、慌てた様子の女性が駆け寄る。

どうやら少年は迷子になっていたみたいだ。


後にやってきた父親らしき人と共に何度も頭を下げて、その親子は去っていった。

男性は手を振って見送った後、クルリと踵を返してフロストの前までやってくる。

「相変わらずお人好しだな」

「フロストは相変わらず子供苦手だよなぁ」

「遠目から見物してるの見えたぞ〜」と言って肩を小突く男性に、フロストは小さくホールドアップした。

「端から見てお前も子供みたいだったぞ、フリッツ」

「元気がある証拠と言ってくれ」

フリッツの言葉にフロストは笑顔で返すだけだった。満足げに頷く彼は、その反応でも十分だったようだ。

「レナード、今日は来てくれてありがとな」

眩しいほど純粋な笑顔は、先ほどの少年を彷彿とさせる。屈託のない純真さにたじろいでいると、レナードの耳元でフロストはポソリと呟いた。

「もし異動が嫌なら、まずはフリッツを説得するんだな……まぁ難しいだろうけど」

フフッと笑って何事もないかのように離れていく相手に、レナードは顔を引き攣らせるしかなかった。


難しいではなく、無理の間違いでは?


その言葉は静かに飲み込んで、レナードはただ、フリッツとフロストの会話に相槌をうつしかなかったのであった。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



そんなこともあったなと、レナードはつい数ヶ月前のことを思う。


多少のアクシデントはあったものの無事依頼を終えたレナードたちは、その後は何事もなく拠点まで帰ってくることが出来た。

24時間何かしらの騒動がごった返すこことは違い、やはり別の都市は比較的穏やかだ。特にこの間訪れた「書物都市ビブリオレコード」は書物と名のつく場所あって本があたり一面に並んでおり、みな静かに読書の時間を嗜んでいた。

改めて、「混沌都市アビスフロンティア」という場所が異常なのだと再認識した数日間だった。

「おいメガネ」

「その呼び方やめてください。僕は眼鏡なんてかけてません」

「じゃあ気弱メガネ」

「メガネの前に何か形容詞つければいいと思ってるんですか?」

本と自分の世界に浸っていたはずなのに、ラッシュの声で一気に現実に引き戻されたレナードは、仕方がないとばかりにため息をついて本を閉じた。

「で?何の御用ですか?」

「なんだよ機嫌悪いな」

誰のせいだと思ってんだ、と荒い口調をかろうじて飲み込み、レナードは代わりに大きなため息をこれ見よがしに吐いた。

「……読書の邪魔をした相手が僕でよかったですね。これがエドアルドさんやフロストさんなら植物の餌か氷漬けか串刺しにされていましたよ」

「流石の俺もあの二人にちょっかいかけようとは思わねぇよ、自殺行為じゃねぇか」

淀みのない会話から殺伐としたワードが飛び交う。想像しただけで身震いする二人の笑顔は、レナードたちの頭の中ではっきりと共有された。

「それでラッシュさん、僕に何か用事があったのでは?」

大きなため息とともにパタンと本を閉じる。ラッシュはそれを聞いて「そうそう」と思い出した声色を出してから、ニヤリと笑う。

「お前、フロストさんとフリッツさんについてったんだろ?あの空港へ(・・・・・)

誂う気満々の彼を見ることなく、レナードはしばし沈黙した。


あの空港とはもちろん、アビスフロンティア国際空港のことだ。

新聞やテレビといったメディアでは、ここ数日この話題で持ちきりとなっている。


「なんだよその顔」

不満そうに呟くラッシュに対し、再びレナードはため息を吐いた。


この人、絶対面白がってるよな


「……ラッシュさんには言われたくないです」

「あ?なんだと?!」と耳元で叫ぶ彼の声を聞くまいと、レナードは両手で耳を塞いだ。

ギャアギャア喚く彼を無視して、内心ナイーブになっているレナードはあの出来事を振り返らざるを得なかった。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



フリッツと合流してから空港内を歩くこと数分、レナードの目はとある看板に釘付けとなった。

足を止めた彼をフロストが振り返る。険しい表情となっていた彼の視線の先を追って、ようやくその意味を理解した彼はレナードに近づく。

「ここではよくあることさ」

肩に置かれた手は冷たかった。

フロストの言葉を聞きながら、レナードは看板に書かれた文字の数々を見続ける。


異形人(アビスレイ)は危険』


『アビス教 反対』


混血種(まざりもの)を増やすな』


『短命種は帰れ』


『混血種は撲滅しろ』


『宗教団体はAF(アビスフロンティア)から出るな』


古びているものから新しいものまで誹謗中傷以外の言葉はない。

撤去されても翌日にはまた打ち立てられる繰り返しに、空港職員はついに放置を決め込んでいるようだ。


「デモ活動はどの都市でもある。どうしたって世界の歴史からは消えない。一度ついたペンキのようにね」


文字を書く際に使われた赤いペンキは水がたっぷりと含まれていたようだ。文字から流れるその筋は誰のものかも分からない涙に思えてしまう。


「僕としては、あまり差別社会は好まないんですがね」

「『命は平等ではなく公平である』……ジークがよく言っている言葉だな」

「耳にタコが出来るほどには」

「はははっ」

楽しく話すフロストの隣でフリッツも看板を眺めている。

そしてある一文を見て目を細めた。


「……そんな中で出来た世界なんて、偶像と変わらないだろ」


「ん?何か言ったか?フリッツ」

フロストが尋ねるときには、すでにフリッツはいつもの調子でニコリと笑っていた。

「いいや、何でもないさ……それよりも早く行こうか。早くしないと顔面に本が飛んできそうだ」

スタスタと歩いていくフリッツの背中を見て、「本が、飛んでくる?」と首をひねって疑問を口にしながらレナードが後を追う。









彼らが遠ざかる中、フリッツが見上げていた黒い看板には、白い文字が堂々と掲げられていた。









『平和のために排除を』



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



ガヤガヤと多種多様な種族が行き交う中をスルスルと進むフリッツたちは、空港の荷物検査の前で立ち止まるしかなかった。

「なんだ?随分慌てているなぁ」

フロストがフリッツの斜め後ろでそう呟く。ヒョコッとレナードも顔を出して行く先を確認すると、確かに普段よりも忙しなく感じる。


そ____だ?!


いや、____て____い


こんな____に!!


途切れ途切れに聞こえる言葉を必死で拾うレナードの視界に影が入る。

「フリッツ」

制止を無視してズンズン進むフリッツに、フロストは肩を竦めて笑う。

その様子からして、もう慣れっこなのかもしれない。

フリッツはレナードと同じく、面倒事に首を突っ込むタイプだった。

ただ彼と違うのは、その面倒事に介入する基準をある程度設けていて、その基準を超えていたら容赦なく切り捨てる合理主義な一面もあるということだろう。

「何の騒ぎだ?」

「あ?あんたら誰だ?」

空港の監視員らしき男性が怪訝な顔でフリッツを振り返る。しかし、次の瞬間にはあまりの身長に目を点にする。

「俺たちはAFSA(アフサ)特務機関公認組織だ。認可証はある」

フリッツが鈍色の手帳を胸元でかざす。

監視員が確認のため凝視すること数秒、口をパクパクさせて敬礼の形をとる。

「し、失礼しました!AFSAの方とは露知らず!」

「かしこまらなくていい。それより、状況を手短に説明してくれ。何があったんだ?」

監視員は苦い顔を浮かべた。言いにくそうに口をモゴモゴとさせ、視線はあちこちに飛んでいく。

それでも無言で先を促すと、彼はようやく観念して話し始めた。

「……実は、飛行機の一機がハイジャックされたようで」

真剣味を帯びた表情のフリッツの目が鋭さを増した。後ろで聞いていたフロストとレナードも表情が固くなる。

確かに部外者には言えない内容だ。監視員である彼が口を閉ざす理由も分かる。


アビスフロンティアは『何でもアリ』の街として有名な特殊地域都市。

そんなありえないことが平気で起こる場所なので、当然空港などの公共交通機関等の警備も厳重になる。こと外部からやってくる客人が多い国際空港では特に、だ。

しかし、そんな警備網を潜り抜けた猛者がいたらしい。流石ワケありの種族が集う場所だと言うべきか。


「FPDに連絡は?」

FPD(警察)に連絡すれば乗客の命は保証しないと言われておりまして」

「相手から何か要求が?」

「それが闘争至上主義の連中のようで……」


闘争至上主義とは、アビスフロンティアではよくある有名な集団だ。

平和とは正反対の、武力をもって世界の平穏が保たれると本気で思っている輩が集っている。

彼らの考えを簡単に説明するなら、「争わない世界より、争いがある世界のほうが健全で意味がある」ということだ。

だから、彼らの要求などない。

武力で争いを起こしたい、争いがしたいというだけなのだから。

強いて挙げるなら、「争いをしよう」ということだろうか。


「……なるほどね」

状況を把握したフリッツは、フロストの方へ視線を向ける。目があったフロストが彼の灰赤色の瞳にある感情を見て、やれやれといった風に息を吐いた。

「ほどほどにしろよ?あとで怒られても俺は助けないからな」

「!あぁ、ありがとう」

目を輝かせるフリッツはピリッとした雰囲気から一転して子供のような無邪気さを持っていた。

どうやらあの視線合わせだけで、二人の間には色々なことが決定したみたいだ。

「悪いなレナード君、寄り道する」

こういう非常事態は慣れたものだとばかりの反応は、フロストが彼とほとんど一緒に行動を共にしているせいもあるだろう。

しかしレナードは、それだけではきっとないことを知っている。

「さて、今回の輩は楽しませてくれるかな」

そう言って不敵に笑う彼に思わず身震いしたのは、言うまでもない。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



まさかこんな大胆不敵な方法をとるとは思いもしなかった


レナードは顔を引き攣らせつつ、灰色の飛行機を遠くの窓から様子を窺う。

もっと慎重に事を進めるのかと思いきや、フリッツがとった行動は目玉が飛び出そうなほど突飛すぎた。


『どうやって侵入するつもりなんです?』

『ん?何を言ってるんだ、レナード。俺たちはここの住人なんだぞ?近づく方法なんて決まってる____』



「何でもアリならこれもアリ!だろ!」

フリッツは空港の屋上から助走をつけ、飛行機に飛び移った。

何十メートルもある距離を、彼は恐れることなく、しかも楽しそうに空中を歩く。

そして飛行機の上へ華麗に、勢いよく着地した。クルリと体を回転させて衝撃を吸収させ、すぐさま上体を起こす。

「いいね!一度やってみたかったんだ」

無線から聞こえる彼の声に高揚感が混じっている。レナードは無事に飛行機へ辿り着いた?のを見てひとまず胸をなで下ろす。


〔あいつ本当に【人類種(ヒューマン)】なのか?〕


ヴィンセントが引き気味の声を出している。

レナードは無言のままそれに同意した。ずいぶん頭のネジが飛んでいる気がする。


フリッツは大きく息を吸い、腹に力を込めて叫ぶ。

「乗客の皆様!特に!飛行機ではしゃいでるそこの男!少し俺と話さないか〜〜?!」

キーンと無線にノイズが走る。レナードは思わずそれを持ったまま距離を離し、後ろにいた監視員は耳を塞いでいる。

空に木霊したフリッツの声は、果たしてハイジャック犯に届いた。

灰色の飛行機は特殊製で、上にもドアが付いている仕様となっており、そこがバンッと大きな音を立てて開く。

「うるせぇ!んな声を張り上げんじゃねぇ!殺すぞ!!」

怒鳴り声もなんのその、フリッツは普段と変わらぬ快活さでハイジャック犯にも接する。

「やぁ。こんなところで引きこもりとは、ずいぶんアクティブなインドア派だな」

右手を上げて友人に挨拶するかのようなフランクさに、男性も目を白黒させる。

「……お前、一体なんだ?」

銃がフリッツに向けられる。距離にして約5メートルほどだが、レナードから見えた銃は命中精度を上げたアビスフロンティア製のコルトガバメントだ。発射されれば15メートル以内の対象へと確実に当たる術が施されているものだったはず。あの距離なら確実に、フリッツに命中してしまう。

フリッツもそれに気づいているはずだが、彼は構わずに対話を始める。

「俺はちょっとした格闘家だ。平和主義のな」

「平和主義だって?」

男は鼻で笑う。

その理由を首を傾げて促すと、男は馬鹿にした声色で続ける。

「あんた、こんなところに平和なんてあると思うか?」

「もちろん。だからこそ街が存続している。破滅だけなら疾うの昔に消えてるだろう?」

「違うね。平和があるなんて幻想だ」

男は扉から這い出て、飛行機の上にゆらりと立つ。

フリッツは彼の一挙手一投足を見逃さないように観察を続けた。

ガンッと扉を蹴って閉じた男は、再度フリッツに向けて銃を構える。

「この世界は腐ったミカンと同じさ。腐敗したものが近くにあれば、己の身も知らず知らずのうちに腐ってやがては朽ちていく」


「腐敗しきったものを建て直すにはどうすればいいと思う?」


フリッツは何も答えなかった。

代わりに男が吐き捨てるように答えた。


「簡単さ。そこを削るか、壊して捨てればいい」


覆水盆に返らず

腐敗したものを元には戻せない。

壊死した組織がやがて腐り落ちる前に切断するように、

退廃した世界もまた、完全な破滅を迎える前に壊すしかない


「そのために罪のない種族を犠牲にしてもいいって?」

「ッ、偽善者ぶるなよ!」

男が発砲する。威嚇射撃だった。

フリッツはまだ立っている。

頬に赤い線が引かれ、そこから一筋の赤が流れていく。

「罪がないだって?……みんな、誰だってカビた奴らを見て見ぬふり!知らぬ存ぜぬで誰も助けようとしない!」

銃を持つ手とは反対の左手が、勢いよく上下に動く。雲の隙間から射す光で何かがキラリと光った。

フリッツは無言で目を細める。

「罪のない命なんてない……俺は命をもってそれを知ったよ」

左手で胸の位置を鷲掴んだことで、衣服にシワが出来る。

ギリ、と軋む音がした。









「平和のためには排除が必要なんだっけか?」










「……は?」


聴き手だったフリッツが口を開き、男は理解するのに時間がかかった。


「貴方は別に闘争至上主義ではないだろう?争いが全てと思ってない、むしろ現実逃避でその集団に属しているように思える」

「……」

図星をつかれたのか、男は押し黙る。視線を逸らし、気まずそうだ。

「……何も知らないくせに」

「確かに俺は貴方のことはよく知らない……が、貴方の顔を俺は一度見たことがある。十年ほど前に「平和」をテーマに絵を描き続けた芸術家だったと記憶してる」


男の顔がさらに歪む。思い出したくもないと表情が告げていた。


「貴方は世界各地へ赴いて平和を説き、理想とする平和を描いて訴え続けた」

「……黙れ」

「だがその声も虚しく、貴方の平和は崩れた……そのきっかけは、貴方の奥方が亡くなった日だ」

「黙れ!」

今度は2発、弾が発射された。

頭に当たる前、フリッツはその弾丸を手で止める。視線は男に向けられたまま、手だけを動かして。

それを見た男は驚愕して狼狽した。

フリッツは構わず静かに続ける。


「確かに貴方の言う通り、この世の中は不条理と不平等、そして不公平で出来ていると言われても否定できない……金のない貧困層ではなく富裕層に物が流れ、女性は冷遇されても男性は優遇され、生まれによっては石を投げられ迫害される……そんな世の中はきっと、俺たち知性のある(いきもの)がいる限りなくなることはないだろう」


フリッツの足が一歩前へ出る。

男は再度撃つが、弾はフリッツの体から逸れて機体に当たる。


「だが貴方は、それでも戦わなくてはならなかった。絶望してすべてを壊すのではなく、犠牲となった誰かの為に理想を掲げ続けるべきだった……奥方のためにも、現実を拒絶してはいけなかった」


男の脳裏に最愛の顔が浮かぶ。

自分を支えてくれた彼女の優しい微笑み、温かな眼差し、仕方がないなと苦笑する口元


そして……講演会で紛争の火の手が上がったあの日、彼女が爆弾で吹き飛ばされた光景


体は見つからなかった

遺体も、形見となるものも、何もかもあの時に失った


「お前だって、俺と同じ立場になればそんなこと……」

「そうならないために、俺は常に最善を尽くしている。この拳でな」


いつの間にか懐から取り出した籠手をはめ、フリッツは拳を強く握りしめる。

それを男は力なく嘲笑った。


「結局あんたも俺と同じ、暴力(ちから)で解決するんじゃないか」

「違うさ。俺と貴方じゃ、覚悟が違う」


真剣な瞳に揺らぎはない。

彼の瞳には、人類種の男がはっきりと映っていた。


「俺の拳は俺の理想実現のためにあり、そして__」


「俺の守りたい存在(なかま)を守るためにある!」


気づけば間合いを詰められ、驚いた男の反応が僅かに遅れる。

拳が男の顔を横切ったかと思えば、次の瞬間には男の左に蹴りが入る。

吹き飛んだ男は、そのまま体勢を崩して飛行機から落ちていく。

叫び声はない。気絶してるわけでなく、どこか安堵した表情をしていた。


ようやく会いに行けるのか


男の脳裏に、幸せだった生活が浮かぶ。

楽しげに振り返る彼女が、そこにはいた。


「ごめんな、ルイーズ……こんな不甲斐ない男が夫で」

懺悔する声に未練は感じられない。すべてから解放されて、満足気に落下していく。

そんな彼を見て、フリッツは小さく笑う。

「悪いが、まだ貴方を奥方のもとへ行かせるわけにはいかなくてね!」

そして彼は合図の言葉を叫んだ。

たった一言。それだけで()には十分届いた。


「フロスト!!」


刹那、落下していた男の下に氷の台座が出来上がる。

そしてフロストが助走をつけてから膝を大きく曲げ、上にジャンプする。

と同時に、長い針を飛行機に投げて突き刺したかと思えば、それに掴まって男の腕を片手で掴む。

余裕な表情でニヤリと笑うフロストの瞳は赤かった。

「いやぁ君の手下、中々楽しめたよ」

飛行機の下、整備された地面をよく見ると、黒い服を着た人間5人が仰向けやうつ伏せになって倒れている。

よく観察すれば飛行機の一部が突き破れており、金属の骨組みが顔をのぞかせている。

「……これ、お前が……?」

音もなくこんな事が出来る彼に、男は唖然としてしまう。

「安心するといい。全員気絶してるだけだから」

「フリッツに感謝するんだな」と言われ、男は視線を地面から上へ移した。見上げたフロストを見るやいなや、男は少し背筋が凍った。

「彼が殺すなと言ったから態々ああしたんだ……私だったら仲間もお前も即殺してる」

冷めた瞳の奥に疲れ切った男がいる。それに気づいた彼は、不思議と肩の荷が下りた気分になった。


今度こそ解放されたと、思ってしまった。


「……だろうな」

項垂れる男はその後、フロストによって作られた氷にゆっくりと降ろされた。

近くで待機していたFPDに引き渡され、手錠をかけられても男は大人しいままだった。

「なぁアンタ」

連れて行かれる前、立ち止まった彼がフロストへ話しかける。

「あの時弾丸を弾いたの、アンタだろ」


フリッツが前へ出たあの時、男は確かに命中機能を使って仕留めようとした。

しかし弾は何かによって別角度から衝撃を与えられ、彼には当たらなかった。


「下にいたアンタがどうやって…?」

一瞬視線を逸らしたフロストは、遠くでフリッツとレナードが話しているのを確認してから男の方へ向き直った。

「フリッツは昔から危なっかしくてな」

質問の回答としては的外れにも感じる台詞と一緒に、フロストが肩をすくめる。フリッツがまだ離れているのをこれ幸いと愚痴をこぼした。

「迷い犬に噛まれそうなるわ、いじめっ子数人に一人で立ち向かっていくわ、鍛冶のときに使う玄能で手を打とうとするわ……挙げ出したらキリがない」

不満を述べているはずなのに、話す彼は目を閉じて穏やかな表情を浮かべる。

「目を離すとすぐ何かやらかすから、どんなに遠くにいたとしても分かるようにしたんだ」

そう言ってトントンと心臓を指で叩くフロストの意味を理解し、男は驚いて目を丸くした。


男は知っていた。絵の題材探しで様々な書物を読みあさっていた頃、彼は魔術書にも手を出していたから。

今ではほとんどする種族がいなくなったこの時代、それでも一定数はいるのだ。


互いの同意なくして出来ない代物だということを、彼はよく知っている。


「お前まさか……」

「意外と便利だよ、コレ(・・)


ニヤリと笑ったフロストの青い瞳は、あの冷めたものではなかった。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



「レナード君もコレには気づかないみたいなんだよなぁ」

行きつけのバー「ヤドリギ」のカウンターには二人しかいない。ボックス席にもテーブル席にも他種族の影がなかった。貸し切り状態というやつだ。

「ん?何に気づかないって?」

コ、レ(・ ・)

数刻前、男にしてみせたのと同じ動作をする。トントンと指で示したのは心臓部だ。

「術式の類は分からないらしい」

「目で見える範囲に限定してくれてるって言ってたからな。神の眼という名がついているだけあって、普通なら精神が壊れるほどの情報が入ってくると本で読んだ」


五感を研ぎ澄ますと第六感のような何かも研ぎ澄まされると言ったのは、はて誰だっただろうか

父だったかも知れないし、その友人だったかもしれない


神眼病患者は視覚に特化した魔術師だと豪語する種族もいると古い文献で目にしたのは記憶に新しい


「ヴィンセントは気づいていると思うぞ?会った当初、開口一番俺に言った台詞は忘れられないな」


『お前とフロストとかいう男、夫婦(めおと)か何かか?それとも源流に則ってそうしてるのか?』


「あ〜…そう言えば聞いたな、お前から」

カランと丸い氷が音を立てる。琥珀色のウィスキーで喉を湿らせ、フロストは朗らかに笑った。

「そりゃ普通は誤解するだろうな。源流なんて、もう殆ど知るやついないと思うが」

ヴィンセントが知っていても不思議ではないとフロストは思っていた。

異界から来た魔法使いは長命だ。輪命種以上に。

古来の使い方と現代の使い方、両方知っているならその聞き方になるのも頷けてしまう。

「「連理の契約」なんてものを知ってるのは、余程のモノ好きくらいだろうし」


連理の契約


簡単に言えば、使い魔の契約の一種だ。

その契約の中で2番目に重い契約で、互いの心臓を交換し印を付けることで成立する。

契約を結べば、たとえ相手が無限の彼方へと跳んでしまっても見つけ出せる。

慣れれば感覚の共有なんて造作もない。

デメリットとして、片割れが死ねばその分寿命が縮む。

人類種などの短命種なら、即死だ。


因みに1番重い契約は比翼連理の契約と呼ばれるもので、このときは心臓と眼、そして手足のどれかを交換するらしい。

実際に行った者を見たことも聞いたこともないので、真実は定かではない。


「源流なら主従や良き隣人としての意味合いを考えるけど……最近だと番の契約としての意味合いが強くなってるからねぇ」

「フロストと夫婦かぁ……まぁそれに近いよなぁ」

「………フリッツ、僕以外でそれ言うなよ?あらぬ誤解が生まれて解くのが面倒になる」


フリッツという男はそういう方面に疎かった。

故あって学生時代を武道の修行に費やしていたせいもあって、他人の視線にとんと鈍い。

その点だけを考えるなら、彼の養父は育て方を少し間違えていると言えるかもしれない。

しかし、それは養父なりの誠実さだ。古くからの知人である彼の性格はよく知っている。

そこも含めて考えると、フリッツは人格者としてうまく育っていた。組織のために、仲間のために今も自分の命を尽くしている。


「親友と夫婦って似てると思わないか?」

沈みかけた意識が浮上する。自分の思ったことを口にする彼の横顔は穏やかなものだ。

「……そう考えられるのはごく一部の種だけだと思うけど」

「そうか?」

キョトンとする顔には「何故」の二文字が書かれている。不思議だとばかりに首をかしげる彼を横目にウィスキーを一口飲む。

「逆にフリッツはどこが似てると思ったんだ?」

「そりゃもちろん、「互いを大切に思う気持ちを持って接する」ってところだな!」

フロストは口を半分開けてポカンとしてしまう。それに気づかないまま、フリッツは嬉々として語る。


「後は何でも語り合えるところだろ〜?」

「自分の短所を補い合えるところと……あと、相手の価値観ときちんとすり合わせられるところ!」


フロストは自信満々に話すフリッツをマジマジと見つめる。

それが出来ない輩もいることを、知らないはずないのに。


フリッツもアビスフロンティアの住人となって11年が経つ。

幼い頃から厳しめの人生を送っている彼が、対人関係の厳しさと難しさを知らぬはずがない。

腹の探りあいと顔色の読み合い、そして足の引っ張り合いはどこにでもある。

上辺だけの言葉や愛想笑いで表面上の良好な関係を築く足元では、罵り合いと陰口が温床化している。

そして闘争という本能が他者を引きずり下ろし、蹂躙し、跡形もなく食い尽くす様は知的生命体の醜さを体現している気がしてならない。


「正直俺は、ヴィンセントのその質問を聞いて嬉しかった」

「?」


感じたことを自由に、正直に話す彼にとって、それは本当に些末なことなのだろう。


「それだけお前と共に生きてきたって(あかし)だろ」


フリッツがフロストと同じ仕草で得意げにしている。

心臓に親指を当てて真っ直ぐ彼を見つめる姿は、フロストにあの頃を思い出させた。


(本当に何も変わらないな)


そう思った途端、フロストはクスリと笑みを零す。

「フ……ハハハッ」

グラスの縁あたりを持ってユラユラ揺らす。頬杖をついて口を綻ばせ、ついには声を出して笑ってしまう。

人前では決して見せない、それこそ気を許した相手だけが見れる彼の本当の笑顔。

それを知っているのは、この街ではフリッツだけだ。

「お前は昔から飽きないねぇ」

グラスで揺れる小麦色を飲み干す。

フロストが飲み終えるのを見届けてから、フリッツは声を出して笑う。

その笑顔は、太陽に近い輝きを持っていた。


「こうしていられるのも、親友(フロスト)のおかげだよ」









こうして、二人の夜は流れていく。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



噎せかえるほどの鉄臭さが蔓延している。

汚れた床はかつての重厚さを消し、ブラウンだった色合いは赤と黒が混じり合って不気味さを演出している。

足を乗せる度にギシリと音を立て、今にも崩れてしまいそうだ。

細く暗い廊下を抜けた先の部屋に扉はない。曇り空に似た色合いの壁と明るさは、四角に切り取られた額縁のようだった。

靴で床がまた軋む。廃墟に似た空気が体を包み、鉄臭さの中には僅かなかび臭さもある。

「うわ、相変わらずヒデェな」

男の後に続いてゲルニカが顔を顰める。両手をポケットに入れているのは、迂闊に部屋のものに触れないようにとの配慮だ。正確に言えば、得体のしれない黒い液体を触りたくなかっただけである。

「フィクシス」

男の前には背中を丸めた人物がいた。名を呼ばれたというのに、相手は何の反応も示さない。

ただ筆を動かし、白なのか灰色なのか判別のつかないキャンバスへ色をつけている。

「フィクシス、仕事の話だ。筆を止めてくれ」

ピタリと動きが止まった。

ノロリと身体がゆっくり動く。異様な色合いの瞳がまず見えた。


フィクシスと呼ばれた男は不気味だった。


夕焼けとモスグリーンの色を足して二で割ったような瞳

顔の半分を隠す白と深灰色の線が入った鉄納戸の髪は、和紙の性質を持った何かに思えた。

対して肌は白かった。純白とも呼べるその白さは、陶器製の人形だと言われても納得できてしまう。


全てにおいて生気のない彼の目が男を捉える。

「フィクシス。例の件、問題ないか?」

フィクシスが僅かに顔を上下させる。肯定の意だろう。

ゆっくりと右手が持ち上がる。筆に含まれていた墨色がポタリと落ちた。

床を染めたそれに目もくれず、フィクシスは黙って部屋の奥を指した。

暗くて先は見えない。

すべてを飲み込みそうな闇の中から、ズル、と音がした。

耳鳴りがする。何処となく頭も痛む。

「……ッ」

ゲルニカが唇を噛み、飛ばされそうな意識をかろうじて保つ。

男は微かに目を細めただけで、闇から目を逸らす気配はない。

やがて漆黒からヌッと手に似た影が姿を現した。

異様な腕の長さから人ではないナニカだと瞬時に理解できるソレは、同じく影で出来た歪な丸を手にしていた。

フィクシスの前にゆっくりとテが近づく。

視界が歪んだかと思ったときには、テが男の前で止まっている。

玉を持つソレを見たゲルニカが「うわ、最悪」とぼやく。

「持ち運びしやすくしろとは言ったけどよ……コレ、触りたくねぇんだけど?」

ゲルニカが指をさしたソレは玉ではない。

黒いソレには幾重にも糸が巻き付けられ、その隙間から黒い点が入った楕円型の何かがこちらを覗いている。よく見れば赤い楕円もあるが、中心には穴があいており、その奥から赤い円盤や太い枝が数本チラリと見えた。

粘性のある液体が滴っているソレを、男は嫌悪することなく受け取る。

「お前、ソレよく持てるな?人の頭に体のパーツ全部押し込めてるんだぜ?」

「コレより酷いものも、ゲルニカは目にしているだろ」

「あのなぁ…いくら慣れてても、触りたくねぇものだってあるっての。生首の花瓶と一緒だろ、ソ、レ(・ ・)

強調した言葉に合わせて指をさす歪な玉は、よくよく観察すれば人の頭部だ。

黒い点が入った楕円は眼球で、赤い円盤は口、そこから指やら舌やらが詰まっていて、確かに慣れていても気分の良いものではない。

「耳から足の指も出てるし……仕舞うならちゃんと仕舞えよ。気持ち悪ぃな」

ゲルニカにとって、死体を見るのは日常茶飯事だから気にしない。飛び散った肉片や内臓も、汚いと感じてもここまでの嫌悪は抱かない。

死体をコレでもかと弄び作品に仕立て上げる感性に気味の悪さを覚えているのだ。芸術など分からない彼にとって、死体をここまでグロテスクに表現する感覚が理解不能だった。

「フィクシス、もう一つの仕事は順調か?」

男は顎を動かして指をさすかわりとした。

白かったであろうキャンバスは、純白さなどとうに失っていた。

「……」

ゲルニカはもう反応する気も起きないといった感情を隠しもしない。

大きく息を吐き出した彼の様子を見ても、フィクシスはどこ吹く風だ。

何の反応も示さない。文字通りの虚無で、ただ男の質問にゆっくりと体を動かして答える。

筆はキャンバス上で無機質に動く。擦れる音が部屋に響き、のせた色がキャンバスにある色と混ざり合っていく。

黒と灰色、そして不気味な青白い何か……退廃的とも呼べるそれに名はない。

「ひと月後に、また来る」

男はそう声をかけてから部屋を出る。フィクシスは見送りもせず、ただ黙々と作業を続ける。


とり憑かれた人間とはこの事を言うんだろう











ゲルニカは浮かんできた苦々しい記憶と感情を振り払い、その場を後にした。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



「あいつ、ひと言も発さなかったな」

帰り路、男の隣に並ん出歩いていたゲルニカがぼやく。

「ああいう奴が視野狭窄で地獄を生むんだ」

嫌な記憶が掘り起こされた、と付け加える彼に、男は持っていた頭部に目をやる。

「……十年前の平和を望んだ画家とは正反対の人間だよ」

「平和なんていう薄氷を夢見てたのかよ?……笑えねぇ冗談だ」

「その彼も、結局平和とは程遠い場所に落ちたらしいが」

「へぇ?そりゃ残念なことだ」

声色に嘲りがあった。残念と口にしていても本音では全く思ってない言い方だ。

「フィクシスの絵は相手の無意識に語りかける。恐怖と絶望、死、そして残虐さ……彼の絵は、視たくないはずなのに観てしまう力がある。恐怖の中の美しさを、荘厳さを、雄大さを、余すことなく他者に与える」

男はゲルニカに視線を向けると、

「だが彼の絵は決して凝視するなよ。見えてしまっても視てはいけない……魅入られたら終わりだぞ」

彼の前に黒い頭を差し出す。

「こうなりたくなければな」

ベタついた髪の毛から覗く瞳に光は永遠に訪れない。暗いそれに救いはない。

安寧とは反対の終わりを迎えたと分かる表情に、ゲルニカはまた思い出したくもない記憶がよみがえる。



「お使いご苦労様」



明るい声が聞こえた。

反射的に、ゲルニカが声のした正面を向く。

「団長!」

最敬礼をとろうとするゲルニカを「そんな畏まらないでよ」と間延びした声で制止する。

「僕らは仲間であり家族だ。上下関係なんてないんだから、そんなことしなくてもいいのに」

「申し訳ありません……その、もう癖みたいなもので」

「ふーん?」

それ以上気にする素振りはない。いつものことだと割り切ったか、そこまで興味がなかったか。目の前の相手だとどちらもあり得る。

「エドヴァルド、仕事終わったかい?」

男は一歩前へ出た。スッと差し出した頭を、相手は上機嫌で受け取った。

「一つはコレで十分だろう。後もう一つの案件は、ひと月後に受け取る予定になっている」

「そっかそっかぁ…うん、いいね!」

フードを深く被った相手の目元は隠れている。しかし、口元の微笑みは絶えない。

平気で頭部を手の中で転がし、あちこち確かめてから大きく頷いた。

「ゲルニカ。コレ、捨ててきてくれる?」

「はい!」

「池とか沼とか……水辺がいいよねぇ、広がりやすいし」

ゲルニカは相手から頭を受け取って、

「承知しました」

一度低頭した後に、速やかにその場を離れた。

相手の指示を実行しに行ったのだろう。


団長に一種の信仰心を持つ彼は、団長に絶対的な忠誠を誓っている。

だから彼に命じられれば、たとえどんなにやりたくないこと、触りたくないことであったとしても、喜んで汚穢に手を染める。

それがゲルニカという男だった。


彼が去り、残されたのはエドヴァルドという名の男と、団長と呼ばれた正体不明の相手だ。


「エドヴァルド、まだ壊す指示は出してないよね?」

「……ああ」

「さすが僕の相棒、その辺わかってるね!」


エドヴァルドは団長の右腕的な立場だ。組織の緩衝役であり、団長の指示を構成員に出す伝令役(メッセンジャー)でもある。

「後少しだけど、まだその日じゃない。まだ壊れてもらっては困る……でも、ようやくここまで来た」

長い道のりを感慨深く振り返る声だった。

空を見上げ、両手を広げる姿は遠くの、忘却されたモノ(・・・・・・・)にある思い出を回顧している風に見えた。

エドヴァルドは黙って団長の独り言を受け入れている。

眇めた瞳の奥は、どこか苦しげに歪んでいた。

振り返る相手のフードから蘇芳色の瞳がエドヴァルドを捉える。

「エド……君は、君だけは、僕のそばにいてくれよ」

エドヴァルドは何も答えなかった。

左右の異なる瞳の色で彼はただ、相手を見つめることしかできなかった。









あの人が捨てた、僕らを拒絶した世界へ_____


















other title: 「交わした盟約(きずな)は如何ほどか」


Other file 5:「平和主義者」フリッツ


種族 人類


年齢 35歳


職業 ヴェルディアン首領


血液型 AB型


純粋な人類種だが、身長の高さから鬼人などに誤解されやすい。

実の両親はとある事故で行方不明となっており、父の友人が養父として育ててくれた過去がある。


養父により武道全般に精通し、鍛冶も師事していた。武道に関してならば黒帯を所持するほど優秀なものの、鍛冶に関しては「お前は道具を持つな」と養父から言われるほど不器用。


仲間を大切に思う理想主義者で平和主義者であるが、必要とあらば切り捨てる合理性もある。



※◆◇◆◇◆◇◆◇※



Other file 6:「氷結の吸血鬼」フロスト


種族 混血種(吸血鬼と妖霊族)


年齢 100歳


職業 ヴェルディアン構成員 外交担当


血液型 ?型


元ヴェルディアンの副官。現在も表向きは副官として活動しているが、副官権限は別の構成員に移行させている。


フリッツとは親友であり、よき相棒。故あって連理の契約を取り交わしているが、それを知る者は構成員の中でも数名だけ。


アンティークショップとバーのオーナーも務めているが、その他の経歴は不明とされている。


余談だが、鉱物と時計収集が趣味で、鉱物は専用の部屋を持っている。


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