二ノ刻: 「緑の精霊使い」
《更新が遅延しましたこと、お詫び申し上げます。次回の投稿は11/18前後を予定しております》
《記録の修正が入る可能性があることを予めご了承願います》
早朝、レナードは珍しくヴェルディアン本拠地の扉の前に立っていた。
いつもなら昼頃に訪れる彼だが、その日はジークから医院を閉め出され、予定が大きく空いてしまったためである。
『今日は俺一人でいい』
『俺よりもエドアルドの方を手伝ってやれ。最近忙しいようだからな』
週一で病院に顔を出すエドアルドが、ここ一ヶ月まったく来ていないことから大体の状況を察したらしい。ジークの洞察力は警察顔負けのもので、以前ヴォルフがスカウトしていたくらい優れている。
『公僕は御免だ。俺はもう医学に傾倒しているんでな』
普段やる気がなさそうなのに、こういうときはきっぱりはっきり言うのだから侮れない。
頭と口が回る相手とはジークのような存在を言うのだろうなと、患者との舌戦を繰り広げるのを見るたびにレナードはそう思う。
「お、おはようございまーす」
ドアノブを下ろしながら中を覗くと、すでにエドアルドが作業をしていた。
声を聞いた彼がデスクから顔を上げる。視界にレナードを収めた彼は、そのまま目を見開いた。
「レナード、こんな時間にくるなんて珍しいな」
レナードは眉をハの字にして、エドアルドが座るデスクの前まで近づく。彼の周りは書類に覆われ、赤い絨毯にまで白い束が積み上がっていた。
「てっきり昼過ぎに来ると思ってたよ」
「そのつもりだったんですが……エドアルドさんを手伝えってジークさんに追い出されちゃいまして」
あはは、と頭に手を置くレナードにエドアルドはフム、と手を当てて考え始める。
それから彼はレナードを見上げて書類を一つ指さした。
「でしたらここの書類をまとめていただけませんか?」
「構いませんけど……それ、僕がやっても大丈夫なものですか?その、重要書類なんじゃ……」
しどろもどろに話すレナードが面白かったのか、エドアルドは小さく声を出して笑う。
「笑わないでくださいよぅ」
「失礼、反応が新鮮でついね」
エドアルドは白い山から一枚を手にとってレナードに渡す。受け取った彼は内容を読んで、それから顔を上げてエドアルドを見つめる。
「これ、もしかして……」
「えぇ」
ニコリと笑うその表情は異様に明るい。内容を確認したレナードはその笑顔の意味を知って顔を引き攣らせる。
「ラッシュがうっかり物を壊したり、うっかり相手を病院送りにしたりした損害及び被害額です……ね?そんなに重要なものではないでしょう?」
「……はい。そうかも、しれませんね」
零の桁が間違いでなければ、組織の運営に問題が出そうな程の額だ。大赤字である。
それでも毎回ギリギリ黒字にもっていけるのだから、エドアルドの手腕は素晴らしいものである。
「経理担当がエドアルドさんで良かったです」
「まぁラッシュたちには任せられないことだけど、時々カレリーさんやクロスに手伝ってもらうこともありますよ。伯爵にも相談することありますし」
「ルゼロ伯爵にですか?」
ヴェルディアンの相談役の名前が出て、レナードは思わず聞き返してしまう。
「頼もしいですね」
「えぇ。打てば響くように返ってきますから、とても助かっています」
「僕はまだ会ったことありませんけど、皆さんの話を聞いていると博識で穏やかな方ですよね」
レナードがヴェルディアンに加入してから早一年。ほとんどの仲間と対面してある程度交流していたが、まだルゼロ伯爵とは顔はおろか声すら合わせていない。
「あぁ、そう言えばそうだったね」
思い出した風に上を見上げたエドアルドは、レナードと目を合わせて優しく微笑む。
「なんだかんだクロスさんとも声でしか交流してないかな?」
「そうですね。この間も結局、クロスさんが外出してしまって会えませんでしたし」
この間訪れた図書館は、かつてフランスとブラジルと呼ばれた二つの国にあった建物をモチーフにして再建されていた。
美術作品にも匹敵しそうな荘厳さと幻想的な空間は、今もレナードの脳裏に焼き付いている。
「クロスさんは司書でしたよね?」
「司書 兼 情報屋ですよ。図書館は中立的な立場ですから、色々な情報が集まりやすいんです」
クロスという相手はヴェルディアンの一員ではない。組織の助っ人という認識の方が正しい。
「彼から得られる情報は価値が高いからね。あの山はすべて彼が提供してくれたものだよ」
エドアルドはデスクの後ろにある紙の山を指さす。ラッシュがやらかした被害額の紙と同じかそれ以上の山がそびえ立っているのを見て、レナードは圧倒される。
「凄いですね…これだけの情報、相当な額を支払ったんじゃないですか?」
「価値あるものにはお金を惜しまないさ。タダより恐ろしいものはないからね」
エドアルドは椅子から立ち上がり、一つの山を抱え上げる。
「というわけでレナード、君はこの書類を振り分けてくれるかい?ラッシュ個人に請求するか、組織の予算から捻出するか、ざっとでいいからやってくれると助かる」
コクリと頷いたレナードに、エドアルドはまた優しく笑った。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
珈琲が置かれたのは、ちょうど短針と長針が12時を指した時間だった。
「レナード、一旦休憩しよう」
「もうこんな時間だったんですね」
珈琲に対するお礼を言ったあと、レナードは白いマグカップを持ち上げて啜る。
湯気が立ち上る黒い液体を舌で転がせば、独特の苦味が口に広がる。
ホッと一息ついた彼を見て、エドアルドはデスクの上に肘をついて手を組む。
「そう言えばなんですけど、」
前置きを入れてから、レナードはエドアルドにとある話題を出す。口角を上げて首をかしげる彼に向けて、レナードは上体を捻った。
「素朴な疑問で申し訳ないんですが、エドアルドさんて魔法師なんですか?」
「一応魔法師ってことにしてるね。防御魔術を扱うことが多いし」
エドアルドはそういいながら手から魔法陣を展開し、幾何学模様の円を頭上へ持っていく。
「でも本当は、魔術よりもこっちの方が得意」
指をパチリと鳴らすエドアルドの周囲に風が巻き起こる。それと同時に、近くにあった盆栽の木々が大きく成長する。
「私は樹木人の血を引いているらしいから、精霊術の方が相性がいいらしいんだよ」
樹木人とは輪命種に分類される種族だ。長命種よりも更に長く生きる彼らは、不老不死と遜色ない寿命を生きる。
エドアルドは家系に樹木人の血が入っているらしく、そのため誰から見ても美しい顔立ちをしている。緑の髪と宝石眼がいい証拠だ。
「……エドアルドさん」
「ん?」
光の粒子と戯れるエドアルドが、口元を綻ばせたままレナードへ顔を向ける。彼の細い指の上に粒子が乗ったり浮いたりする様子を眺めながら、レナードは言いにくそうに口を開いた。
「それ、フリッツさんの大切に育ててる盆栽です」
「………あ」
体を強張らせたエドアルドの目が泳ぐ。
再び粒子に頼んで盆栽を元通りにした彼は、ふぅと胸を撫でおろす。
「フリッツさんが落ち込んでると、フロストさんがいい笑顔で氷漬けにしてくるんだよなぁ」
ラッシュたちに恐れられているエドアルドでも敵わない相手はいるようだ。
『フリッツの盆栽に手を出したのはどこのどいつだい?』と満面の笑みで場を凍らせる様が目に浮かぶ。
「フロストさんて、時々フリッツさんの友人というより保護者みたいになりますよね」
話し方や接し方は友人同士の気兼さがあった。忖度なく話す彼らは、確かに親友と呼べる間柄に相応しいものだ。
しかしフロストの方は時々、フリッツに対して別の感情を向けているように感じた。
まるで危なっかしい子供を見るような、子供の成長を見守る親のような目をするのだ。
「まぁフリッツさんが13歳くらいのときに知り合ったと聞いたことがあるし、弟のように思ってるんじゃないかな」
「なるほど」
年の離れた友人、と聞いて視界にノイズが走った気がした。こちらに手を伸ばす誰かの顔が、モザイクがかっていてよく見えない。一瞬のことすぎていつの記憶かも分からなかった。
思考の海に沈みかけていたレナードは、エドアルドの声がしたことでその違和感に蓋をする。
「せっかくだから、私も一つ気になったことを聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「神眼病って本当に何でも見えるのかい?」
優雅にティーカップを持ち上げて飲むエドアルドの質問の意図が分からずとも、彼は自分の経験を元に答えを捻り出した。
「そうですね…動きがゆっくり見えるという点で言えば何でも視えると言えますかね。精霊も粒子で何となく見えますよ」
「あー……なるほど。そういう見えるなのか」
エドアルドは納得した声色でブツブツ呟いている。彼の言葉の意味がやはり理解できず、結局レナードは質問の意図を尋ねた。
「エドアルドさんはどういうのを想像してたんですか?」
ややあってエドアルドが出した返答に、レナードは目を丸くする。
「鑑定眼を想像していたんです」
「鑑定眼、ですか」
鑑定眼とは、その名の通り物質を鑑定できる魔眼のことだ。
人物の鑑定もできる輩もいるらしいが、基本は物品くらいしか見れないという。
「噂によれば鑑定眼は相手の名前とか年齢とか、後は……寿命とかも見れるらしいね」
そこまで聞いたレナードは、ようやく腑に落ちた様子で頷いた。
「神の眼なら鑑定眼に近い技能があると思ったんですね」
「まぁそういうこと」
よくある勘違いをエドアルドもしていたことにレナードはつい笑ってしまう。
神眼とは言うが、実際のところ万物を見通す力はない。
相手の動きや周囲の光景が人よりもはっきり見えるから予知みたいなことができるし、知識があれば人物や品物が本物かどうかも分かる。
そして一般人には視認できない精霊やオーラも、視覚が発達しすぎているから感知できる。
「そういうのを視認できる神眼病者もいるらしいですが、僕にはないですね」
これがあるので、と言ってレナードはペンダントを軽く指で叩く。
眼を制御しているためか、通常の神眼病患者と比べて一般人よりだ。
それでもやはりすべての動きがよく分かってしまうのだから、神眼とはやっかいなものである。
「寿命とか見れればいいかもしれないですけど、別に僕は新世界の神様になろうとは思えないですし」
「なんだいそれ?新手の宗教とか?」
「いえ、何でもないです」
大昔に流行ったアニメーションが記憶から掘り起こされてレナードは思わず口に出してしまったが、エドアルドはそれを知らないようだ。きっと黒いノートと言われてもピンとこないだろうことを、レナードは心の中だけで落胆する。
案外、暗黒大陸にそういう過去の遺物が落ちていたりしてくれないだろうか。
「宗教と言えば、神眼病を崇める集団が前にいた気がするなぁ」
「絶対入信したくないですね」
「君の場合は崇められる側だと思うよ」
「全力でサヨナラしますよ」
笑顔で首を横に振ると、エドアルドも楽しそうに笑う。レナードが清々しいほどの笑顔を振りまいたのが面白かったようだ。
「まぁそんな冗談はおいておくとして」
「冗談だったんですか」
「本当にあった宗教を肯定はしないけど……神眼病の患者を羨ましく思う気持ちはあるよ」
レナードは複雑な気持ちになる。拳を強く握り、「そうですか」とだけ答える。
顔に出さないようにしていたが、エドアルドにはすぐバレてしまった。
「申し訳ないね。本人の前で言うことじゃなかった」
エドアルドが謝罪の言葉を口にする。神妙な顔になっていた彼に対し、慌てて手と首を横に振る。
「いやいやいや!そんな!気にしてませんから!」
レナードは口に笑顔を作る。歪な形になったそれを見て目を細めたエドアルドは何も言わなかった。
「それにしても意外です!エドアルドさんがそういうことを言うの」
いたたまれなさのあまり俯いたレナードの感想を聞き、エドアルドは小さく口を開ける。
「私にも知りたい相手くらいいるよ」
その声があまりにも寂しそうで、レナードはつい顔を上げてしまう。
先ほどまで膝を軽く抱えてくつろぐ姿勢をしていた彼は、いつの間にか両肘をついて手を組んでいる。
「?気になる人でもいるんですか?」
「あぁ」
他に言うことがあっただろ、とレナードは自分に毒づくが、エドアルドの表情を見てゴチャついていた思考が止まる。
「自分の残り時間が分かればなと、いつも思うんだ」
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
もう帰っていいよと言われたのは18時を過ぎたあたりだった。
今日は珍しく誰も来なかった。エドアルドとレナードしかいない空間は静かで、ヴィヴィーとラッシュの掛け合いがないことに違和感を感じた。
「今日は僕たち以外来ませんでしたね」
レナードが壁にかかった時計を眺めていると、エドアルドは「あぁ」と思い出したように頷いて書類をまとめる。
「フロストさんとフリッツさんは出張中で明日まで帰ってこないし、ラッシュもそれに同行してるからね。他のメンバーも自分の仕事とか予定とか、後は依頼とかで来れないみたいだよ」
「ラッシュさんがフロストさんたちと行くの珍しいですね」
ヴェルディアンは「何でも屋」に近い。世界の平穏と安寧を守護するための組織とあって、その仕事は様々だ。
そしてこの組織には、外交班と常在班がある。
外交班とは文字通り、さまざまな組織や地域への依頼を請け負う。そのため出張が多く、基本は本拠地であるアビスフロンティアを不在にしがちだ。
一方で、常在班はアビスフロンティアからほとんど動かず、その都市に住む者たちから依頼を受ける。
ラッシュはその中でも常在班に所属しているため、外交班と共に出かけることはほとんどない。
「フロストさんが気絶させて連れて行ったよ」
「何したんですかあの人……」
きっといい笑顔で抱えて持っていったのだろうなと、レナードは口元を引き攣らせる。
その後エドアルドが説明してくれた話では、ラッシュを外交班に移そうと考えたらしい。その理由として、フロストとフリッツという組織のツートップが外交班として活動するのは何かと不都合があると思ったからだとか。
レヴィオン爆発テロ事件から5年。
仲間の危機に駆けつけられない状況は避けたいというフリッツの願いを叶えるのに、ここ2、3年は仕事整理をしていたそうだ。
来月から新体制を築くため、先行してラッシュとフロスト、フリッツの三人で出向く形となったわけだ。
「それと、この間ラッシュが依頼先の物を壊したペナルティという意味もあるね」
(あ、絶対それが大きな理由だな)
エドアルドの笑顔から即座にレナードは察したが、口には出さなかった。
ソファ前のテーブルからカップを持ち上げ、残っていた珈琲を飲み干す。
「というか、リーダーが外交班で拠点にいないのってまずいんじゃないですか?」
「それもあって新体制を敷こうって話が出たんですよ」
やはり一構成員が感じていたことは、エドアルドも思っていたことらしい。
「でも優秀な人材を持って帰ってきてくれますから、そこまで深刻に捉えてませんがね」
彼はクスクスと人差し指を口に添えて上品に笑う。
それを聞いてレナードはそういえば、と思い出した。いつだったか、ラッシュやジエルはフリッツがスカウトして連れ帰ってきたメンバーだと聞いたことがある。
「何かあってもまぁ……私がいますし」
胸に手を添えて微笑む彼は自信に満ちていた。
自分がいるから首領と副官が安心して拠点を離れられている……そう自負している様子にレナードは内心尊敬の念を抱く。
この人がいるからきっと、フリッツさんたちは背中を任せているんだろうなぁ
仕事に戻ろうとパソコンを開くエドアルドに、レナードの口角が自然と上がった。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
エドアルドは大きく息を吐き、肩を回す。
正面の壁にかかった時計を見ると、あと30分で日付が変わる頃合いだ。
キャスターがカラカラと音を立てる。椅子から立ち上がり、少し離れた位置にある窓辺へ移動する。
『賑やかな場所の方が異変を察知しやすいだろ?』
そんなフリッツの希望で建てられた拠点の周囲は、確かに静寂とはほど遠い。
窓を開けると、喧騒が彼の耳に入る。しかし、騒音というほどでもない。
店内に流れるBGMのようなそれは作業にうってつけで、それでいて街の様子がはっきりと分かる具合……エドアルドにとっては丁度よい大きさだ。
「そろそろ結界の張り直しかな」
一般人には見えない術式を眺めて、彼はそう呟く。窓の外には魔法陣がホロスコープのように配置されており、それは一部の構成員にしか視認できないものだ。
ちなみにレナードもその一人である。
エドアルドは窓辺に座って外をボーッと眺める。心地よい風が通り抜け、彼の頬を優しく撫でていく。
結局今日は彼以外来なかったな、とエドアルドはレナードの顔を浮かべながら思う。
「彼に寿命があげられたらなぁ」
彼はいつだって他者のために命を投げ出す。
献身的と言えば聞こえはいいが、自分の体を顧みないその行動は周囲から自己犠牲的な性格と捉えられがちだ。
実際、私もそう思う。
普段は気弱そうなタレ目の少年が、戦闘になるとラッシュと同じように前線へ赴き、何かあれば即座に仲間を助ける。
そんな彼は、彼自身の中できっちり優先順位をつけている。
一番は仲間。その次は怪我人。その次は怪我のない民間人。
そして一番最後に、自分自身。
私にも優先順位がある。
最初に仲間、その次に自分、最後に一般市民。
怪我人や被害者がいればもちろん保護するし、必要ならば一般市民に被害が及ばない最善策をとる。
しかし、まずは自分の安全を確保した上で、だ。
自分の優先度を下げることはない。
我が身の可愛さもあるが、一番は仲間の悲しむ姿を見たくないから。
見送る辛さを、彼らにはできる限り味わわせたくない。
それに、それはリーダーの望む組織のあり方ではないのだ。
だから私は、フリッツさんが何故レナードを仲間に引き入れたのか分からない。
彼の理想の一つは叶えられるだろう。
でも、レナードはフリッツの理想を壊しかねない。
まぁおそらく、それもまた面白いと感じていることは想像に難くない。リーダーはそういう人だ。
だから私もとやかく言う必要はないと思っているし、レナードのことを嫌っているわけではないから仲間であることに不満は抱いていない。
だからこそ、彼が心配でならない。
生き急いでいるわけではないことは分かる。
死に急いでいるわけでもないことも、分かる。
しかし時々見せる死への諦観とも言える表情は、いつか彼自身を破滅させる気がしてならない。
彼の相棒がそれをギリギリで止めていることも、不安要素だ。
ここでエドアルドはドサリと何かが落ちる音を聞く。振り返って部屋を見渡せば、自身のデスク脇に積まれた書類の山が雪崩を起こしていた。
レナードのおかげで多少の山は減ったものの、それでも山が消えることがない。
塵も積もれば山となるということわざがあるが、その崩れた塵の山は全て一人の男がやらかした報告書だと思うと頭が痛い。
生き急いでいる、という点で言えば、あの銀髪の人狼も同じか。
私よりも一つ年下の彼、ラッシュはリーダーが拾ってきた人材だった。
当時、フリッツは孤児だの私生児だの捨て子だの……兎に角、色々な種族を連れてきては私たちを困らせた。
カレリーさんとフロストさんはニコニコとそれを見ていたが、私とクロスは頭を抱えた。
ラッシュを連れて帰ってきたとき、ついにクロスがキレたのを今でも覚えている。
『何でそんな捨て犬を拾うかのようにホイホイホイホイ拾ってくるんだ!?わざとか?えぇ??わざとか?!』
『え?駄目か?』
『ここは孤児院じゃねぇ、余所へ持っていけ!!!』
『別に一人や二人増えても変わらないだろ?それに、優秀な仲間が増えるのは良いことじゃないか』
『そんな茶目っ気たっぷりな言い方しても駄目だ!戻してこい!』
仏の顔も三度までとはよく言ったものだと、このときの私は思わずにはいられなかった。
結局、フロストたちの説得もあってラッシュはヴェルディアンに迎え入れられた。
所属したばかりの頃から、ラッシュは特攻隊長のような役割だった。
先駆けて集団に突っ込み、刀と持ち前の身体能力で制圧するスタイルは荒事の鎮圧に最適な人材で、確かにフリッツの通り「優秀」な相手だった。
けれども私は、彼の動きを見て妙な感覚を覚えた。
その違和感が確信に変わったのは、彼の相棒であり私の親友……リージュアが土へ還ってから数ヶ月たった頃だった。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
FPDから応援要請が来て、レナードとエドアルドは急いで目的地へ向かう。
車から降りて様子を知ろうと近づく二人の間を、何かが吹き飛んでいく。
同時に振り返る先にいたのは、女性だった。頭を押さえて呻く彼女の髪が肩からサラサラと落ちる。
「イテテ……あ!髪崩れたぁ〜!」
吹き飛ばされた拍子で崩れた赤桃色の髪を軽く整えている。
片膝を立てていた体勢から立ち上がり、黒いスラックスについた土埃を払う。
「あれ?エドアルドさんとレナードさん?」
キョトンとした顔で二人を見つめたかと思えば、次の瞬間パアッと顔を明るくさせる。
「来てくださったんですね〜!お疲れ様です」
ニコニコと手を振って二人に近づく。ストレートの長い髪がさらに揺れた。
「ミキさん、相変わらず元気ですね」
殺伐とした雰囲気には相応しくないホワホワとした空気に、レナードの肩の力が抜ける。
「怪我はありませんか?」
「元気と丈夫さが取り柄なので!これくらいどうってことありませんよ」
ミキは優しい声かけにハキハキとした口調で答え、胸の前で小さくガッツポーズを作る。
さすが鬼人なだけあるなぁ
レナードは左側頭部から生える2本の角を見て感嘆した。
鬼人という種族は、みな力強く丈夫だ。ちょっとの攻撃では肌に傷一つつかない。獣人より怪力で武器の扱いが上手い一方で、視力の弱い個体が一定数存在する。
かくいう彼女も視力が良いとは言えず、こうして相手に吹き飛ばされることも少なくない。
「それで状況はどうなっていますか?」
エドアルドはすぐに頭を切り替え、ミキが吹き飛ばされた方向に目を向ける。
道路を挟んだ先にはパステルカラーの可愛らしい建物があった。
「アスピレ幼稚園」と大きく書かれた文字の周りには様々な花の彫刻が飾られており、普段なら園児たちの和気あいあいとした声が聞こえているはず……しかし今は子供の声一つしない。
そして柔らかな色合いとは正反対の暗い金属の機体が幼稚園の中で警戒態勢に入っている。
「最近導入された対亜人用戦闘機体ですか」
「はい」
首を縦に振るミキの表情が先ほどと打って変わって真剣なものになる。
「つい一週間ほど前に機体の製造会社ロンジェビティックからあの戦闘機二体の盗難届を受理していてました。既にあの機体が該当品であることは確認済みです」
他のFPD職員もパワードスーツを着用して幼稚園を包囲しているが、突入する気配はない。
「犯人も割り出され、後は突入するのみ……だったのですが、ここで一つ問題が」
突入を渋る理由はミキの言葉ですぐに判明した。
「戦闘機の後ろにある幼稚園に人質がいます」
本来であれば犯人を捕らえておしまいだったのだが、素早い人狼族五人を全員捕らえるのは難しかった。
三人は確保できたものの、残り二人は追手から上手く逃れ、ここへ逃げこんでしまった。
幸いにも今日は休園日となっていたらしく、子供も先生もいないはずだった。
しかし、ここで緊急事態が発生する。
何故か幼稚園にいた小学生が犯人と鉢合わせてしまったのだ。
どうやら近くの公園で遊んでいた子が、うっかり中へ侵入してしまったらしい。柵の老朽化で抜け穴のようなものが出来ていたのが災いしたようだ。
「人質交換の要求を出されたんですが、犯人たちは他にも余罪があって迂闊に要求を飲めないんです」
何でもアリのアビスフロンティアでも多少の秩序はある。
その秩序から何度も逸脱する彼らの要求に頷くのは、ただの警察官には難しいもので。
結局、警視補佐のミキが単独で機体の無力化を図ろうとして……結果はまぁ、お察しの通りである。
「なぜ機体の破壊をすることに?」
「『この戦闘機を暴れさせたくなかったら人質交換に応じろ』って立てこもった犯人が叫んでいて……武器の所持がないことはこの目で確認済みなので、あの機体を破壊すれば問題ないと判断した次第です」
「なるほど」
迷いのない判断にエドアルドが大きく頷く。
ダニーの部下なだけあって、臨機応変に対応できる能力があるのは賞賛できる。
チラッとエドアルドがレナードに視線を送る。その意図を察した彼は頷き、正しくその要求に応えた。
目を閉じ、息を吐いてから深く吸う。
そして目を開いて、建物の中を注視する。
汚れた薄灰色の毛が窓辺に立って外の様子をうかがっている。
後ろには黄土色の毛並みをした獣人が子供を脇に抱えて爪を立てている。
銃などの武器の類を持っているようには見えない。こんな危機的状況で武器を手に持たないところを見るに、確かに所持はしていないのだろう。
己の牙と爪を過信しているのか、戦闘機が始末してくれると信じて疑わないのか。
「確かに銃火器は持っていないようです。自分の武器はあるみたいですが」
そこまで言うとエドアルドとミキは即座に理解した表情を浮かべた。
真剣な空気の中、エドアルドはフッと笑みを零す。
「レナード、裏手から気配を消していけますか?」
「大丈夫です」
ヴィンセントのおかげで隠密のようなことも出来るようになった。
下手なことをしなければ、まず見つかることはない。
即答するレナードが移動するのを見て、エドアルドはミキに微笑みかける。
「ミキさん、貴方は何時でも突入出来るように準備していてもらえますか?合図はこちらから出します」
「わ、分かりました!」
戸惑う声色ながらも了承する彼女に、エドアルドは本日2度目の感想を抱く。
さすが、ダニーの部下は優秀だ
さて、と声を漏らしたエドアルドはコツコツと地面を鳴らして建物へ近づいていく。
「迷い犬は保護しないといけませんね。噛まれて水嫌いになるのは御免ですから」
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
「おい、まだ返事はこねぇのか」
苛立つ声を聞いた薄灰色の獣人はビクリと肩を震わせる。
「多分、あの戦闘機をどうにかしようとしてるみたいっすね」
「チッ」
舌打ちする声にも体を震わせる男を見て、黄土色の獣人は内心ため息を吐く。
「お前、その臆病さどうにかしろよな」
「つってもガフの兄貴、俺ぁ昔からこういう状況苦手なんすよ」
ガフはそれを聞いて、今度はこれ見よがしにため息を吐き出した。
入りたての頃からこいつは臆病者だった
俺等がいたからデカい顔をしていたが、それでも誰かに言い返されたりすると縮こまっちまう
小心者なのは変わらねぇ
さてどうするか、とガフが思案したところではたと気づく。
機体の前に何かいる
スラム出身のガフは、自身の種族特有の嗅覚を駆使して生き抜いてきた。
荒廃と貧困の象徴であるあの場所で生きるためには、常に危険を察知する優れた感覚が必要不可欠で、その中でも彼は匂いから危険の有無を嗅ぎ分けるのが得意だった。
故に彼は、この状況に嫌な匂いをすぐさま感じ取った。
誤算だったのは、彼の感じた危険よりも数倍彼にとっては最悪の状態になることを看破できなかったことだ。
「風の精よ、我が前に立ち塞がる敵を穿て…」
『茨ノ旋風 一輪刺』
風が上へ上へ昇っていく。細かく捻れた風が蛇のように蠢き、槍のような鋭さで戦闘機に突っ込んでいく。
戦闘モードとなった機体が防御体勢に入るが、防御力を高めた装甲はいとも簡単に壊れてしまう。それどころか、右にいた機体を貫いたかと思った次の瞬間にはもう一機も同じ状態となって体に穴が開く。
「?!」
薄灰色の獣人が目を見開く。
ガフもとぐろを巻く風が柔軟に動き回るその光景を見て口を開ける。
風の合間から覗き見えるエドアルドを確認すると、彼は喉の奥を鳴らす。
あの瞳と髪色、それにこの術
まさかあいつ、精霊使いか!
アビスフロンティアには様々な術者が住んでいるが、本物はその中の10%前後……大半はイカサマかアマチュアレベルの半人前が多い。
その中でも精霊使いはたったの数%と言われているほど数が少ないと言われている。
実物を見たことはねぇが、こんなん見ればすぐに分かる
エドアルドがガフの視線に気づき、クスリと微笑む。
その微笑は獲物を捕まえて放さない狩人と同じ空気を纏っていた。
あいつは正真正銘_____「緑の精霊使い」エドアルド本人!
ガフは瞬時にこの建物から離脱を試みる。
子供を脇に抱えたまま部屋じゅうをくまなく観察する。
出口があればそこから抜け出す
最悪こいつは置いていけばいい!
薄灰色の弟分を囮にして逃げようと画策するガフだったが、その焦りが命取りとなる。
背後から忍び寄る刃に気づいた時には、自身の腕が体から離れていた。
「?!?!」
刃から距離を取る。くたびれたローブを着た青年がいつの間にか子供を抱えているのを見て、ようやく自分の左側が燃えるように痛む。
「グッ……ッ〜〜〜〜〜!」
声にならない激痛が全身を駆け巡る。逃げなくてはと頭で考えようとするが、すでに脳は過剰に伝達される腕からの信号でキャパオーバーしていた。
「あ、兄貴!」
我に返った弟分が近づこうとするのを青年が刃を向けて阻止する。
自身に向けられた刃物は、距離的に見れば1メートルほど離れていた。
しかし、刃先から漏れ出る殺意が彼を支配する。
「あまり動かない方が僕としては助かります」
へニャリと笑う青年の表情は困り顔だ。気弱そうな雰囲気の彼は、その短剣の扱いも相まって歪に感じる。
見た目は弱そうなのに武器の扱いは恐ろしいほど冷酷というアンバランスさが、この場にいる二人には恐怖として映る。
ぐったりする子供は緊張のあまり気絶しているようで、それを見た青年はホッと息をつく。
さすがにこれを見せるのはちょっと
腰を抜かして涙目の獣人と腕を切り落とされて悶え苦しむ獣人はさておき、血まみれの部屋は誰が見てもグロテスクな光景だと言える。
白と赤のコントラストは部屋に出来た陰影のおかげで幾らか目に優しい……が、やはり血飛沫と分かるものが白い壁と床に撒き散らされているのは精神衛生上良いものではない。
いくら無法地帯ギリギリのアビスフロンティア育ちの子でも、そんなショッキングな場面は見せたくないというのが大人心というものだ。
純粋な子供に余計なトラウマを植え付けなくて良かったと、レナードは心の底から安堵した。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
救急搬送された獣人と黒塗りのパトカーに乗せられた獣人を見送っていると、袖が何かに引っ張られる。
見下ろした先には先ほどの小学生がキョトンとした顔で見上げていた。
「大丈夫かな?」
目線を合わせるために屈んで笑いかければ、少女はニコッと笑い返してくる。
ここでようやく、彼女の耳が長いことに気づいた。エルフ種だったのかと、ついそこを凝視してしまう。
「おにーさん、わたしの耳になにかついてる?」
耳に触れる少女は素直な疑問を口にしただけだが、差別的な見方をしていたかと一瞬体を強張らせる。
「……いや、エルフ種の子供って珍しいなって思っただけだよ」
優しくかけるその言葉は嘘じゃない。実際、エルフ種がアビスフロンティアに住むことはほとんどないと言っていい。
カレリーさん曰く「穢れた地に住むなんて頭がイカれている」とのことで、特に染まりやすい性質を持つ純真無垢な子供は絶対に連れて行かない都市として忌避されていると聞いたことがある。
「わたしのママがエルフなの!で、パパがようかいさん!」
エルフと妖怪、と聞いて混血種の三文字が浮かぶ。元気よく手を挙げて自慢げに話す彼女の話が頭からヒュルリと入っては抜け落ちていく。
混血種
また混血種、か
この子の命も、あと何年と短いのかな
「おにーさん?だいじょーぶ?」
おかおの色わるいよ、と不安そうに揺れる目がこちらを覗く。
ハッと我に返り、無表情だった口元に笑みを作る。
「……平気だよ」
ニコリと安心させるように笑いかける。
ジッと見つめる少女はそれを見て表情を明るくさせる。どうやら僕の顔は上手いこと笑顔を作れていたらしい。
「あ!」
手を大きく伸ばし、喜びを最大限表現し始める。後ろを見て目を輝かせる彼女につられて後ろを振り返れば、エドアルドさんが静かに佇んでいる。
彼の表情はどこか遠くを見ている気がした。そして、喉の奥に小骨が刺さるような、妙な感覚が胸に生じる。
「せいれーのおにーさんだ!」
ハリウッドスターの俳優に出会ったとばかりに走り寄る彼女のテンションはかなり高い。
キャッキャッとはしゃぐその姿は子供相応だ。
エドアルドさんは少女の頭に優しく手を置き、右へ左へと手を動かす。
微笑ましい光景に思わず口を綻ばせた。
「おにーさんて、ドライアドラさんなんですよね?!あのりんめーしゅの!」
エドアルドさんの手が止まる。顔が強張っていることが遠目からでもわかる。
輪命種
おそらく彼女はそう呼んだ
平均寿命が数千年を超える彼らは、死後も輪廻転生して再び生を受けるか、清浄な魂として世界を見守るかのどちらかの道を選ぶ
この世界の中で、最も寿命の長い存在だ
「……確かに私は樹木人ですが、そんなに嬉しいことですか?」
「はい!!」
宝物を見つけたときのキラキラした瞳がエドアルドをしっかり映している。
「だってだって!おにーさんはエルフみんながうやまうしゅぞくなんですよね?」
エドアルドさんの目が一瞬だけ、憂いを帯びたものになる。
本当に一瞬だけ。
諦観と言うべき何かが滲み出てすぐに引っ込むのが分かった。
「………そう、だね」
肯定する彼の前でピョンピョンと跳ねる少女は年相応のあどけなさを持っている。
耳をピョコピョコ動かして喜びを表現する彼女とは対照的に、エドアルドさんの顔は暗くなる。
きっと僕にしかわからない、些細な変化だ。
「マリーヌ!」
左側から女性の声と共に息を切らせる音がする。
反射的に声のする方へ視線を向けた先にエルフの女性がいた。
ホワイトエルフ特有の白い肌と淡いクリーム色の髪の周囲にはキラキラとした粒子が散りばめられている。
「おかーさん!」
少女が母親の元へ走って行く。腰に抱きつく彼女を母親はしっかりと抱きしめ返した。
安堵の表情を浮かべるその目尻には涙が溜まっている。
愛する我が子が危険な目にあっていたのだ。心配で仕方なかったのは言うまでもない。
「ねぇねぇおかあさん、ドライアドラのおにいさんと人間のおにいさんがたすけてくれたよ!」
女性がハッとして勢いよく顔を上げる。視線は真っすぐエドアルドさんの方に釘付けとなる。
恭しく一礼し、それから右手を左手で包む仕草をする。
叩頭して膝を折ろうとする彼女に、
「お嬢さんの母君」
エドアルドさんは声で制する。おずおずと顔を上げる母親に再度首を横に振ってやめさせる。
「大切な御子が無事で何よりです」
近づいて肩に手を乗せるエドアルドさんの声色で、母親に微笑みかけているのが分かった。
「本当に、ありがとうございます!」
涙声に混じって感謝の気持ちが籠もっている。エドアルドさんの手をとって深々と頭を下げる彼女が、
「樹木人様に助けていただけるなんて、光栄です」
その時の彼がどんな表情をしていたのか、僕には分からなかった。
最後に頭を下げる母親と元気よく手を振る少女。
ばいばーい!と溌剌とした笑顔で別れの挨拶を告げる彼女に、エドアルドさんは手を振り返していた。
彼の隣に立ち、仲良く帰路へ着こうと歩き出す親子を眺める。
ふと横目でエドアルドさんの様子を窺う。
二人の仲睦まじさを眺めるその目の奥にある何かに、僕はようやく気づいた。
「エドアルドさんて、もしかしてなんですけど_____」
続きを言おうとして、言えなかった。
口元に人差し指を当てる彼は寂しげだった。
「帰りましょうか」
踵を返して歩き出すその姿を、僕は黙って見ていることしか出来なかった。
親子を見送るその瞳
それはラッシュさんに時々向ける、あの瞳に違いはなかった。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
むせ返るほどの異臭が路地裏を占めている。
ビクンビクンと痙攣する手から生気が抜ける。
異形人の男だったそれは黒い液体を撒き散らし、見る影もない。
路地裏の向こうではネオンが眩しいほど光り、反対に彼だったものが転がるこの奥は闇に包まれている。
「あ〜、最悪」
うへぇ、と足を持ち上げて靴裏を確認した男は気怠げに頭を掻いた。
「ホントにサイアク…この靴高かったのによぉ」
大きなため息と共に肩を落とす彼は、両手をポケットに突っ込んだ。
「だから争いごとは嫌いなんだよ」
苛立ち紛れでもダルそうな声は変わらない。
「ゲルニカ」
いつの間にか奥に誰かが立っている。
「なんだお前かよ。まだ仲間がいたかと思って焦ったじゃねぇかよ」
「争いごとが嫌いなら逃げればいいだろう」
砂と共に靴が地面をこする。灰色のスーツを着た低い声の主は、暗闇と上半身を溶け込ませて相手と会話を続ける。
「逃走は人間に備わる危機管理能力の一つだ」
鼻で笑ったのはゲルニカだった。ズボンのポケットに両手を突っ込み、据わった目が相手を映す。
「逃げるってどこへ?地獄の何処に安寧があるんだよ?」
投げやりな言葉に返答しようとした男は、ゲルニカの「用件は何だよ?」という質問で沈黙する。
「団長が呼んでる」
「はぁ?それを早く言えよ!」
数秒後に出た単語に、男の横を通り過ぎようとしたゲルニカは勢いよく振り返る。
「お前ってホントに言葉足らずだよな。そんなんだから……」
そこまで言ってゲルニカは言い淀む。
「……悪い。言い過ぎた」
「いや、いい」
首を横に振って謝罪を受け取らなかった男がゲルニカの進む方向へ足を向ける。
「図星を突かれて怒るほど若くない」
自嘲気味のそれに肩をすくめたゲルニカが男と共に歩き出す。
灰色の建物の上には深く分厚い鈍色の雲が覆っている。見上げたゲルニカが眉間にしわを寄せた。
「この世界に色なんて一生つかねぇんだろうな」
男は何も答えない。
二人は奥の闇に歩を進めるだけで、それ以上は何も交わさなかった。
other title:「それでもこの想いは消えない」
Other file2:「樹木人」エドアルド
種族 樹木人族
年齢 28歳
職業 ヴェルディアン経理?
血液型 ヒノキ型
風と植物の精霊と友好を結ぶ精霊使いであり、防御魔術を扱う魔法師。
ルゼロ伯爵の紹介でヴェルディアンに入って以降、現在まで組織に尽くしている。時々クロスと共に司書として働くか、気に入った本屋の手伝いをしている。
優秀ゆえ子爵家の養子として迎え入れられ、その後紆余曲折あって●●●●●の弟子となる。
余談だが、本屋巡り以外にもパルクールを趣味としている。




