prologue「世界崩壊の後には」
定期的に推敲して編集することがあります。
そのため、内容が一部変更・削除される可能性があります。
それをご理解の上、閲覧をお願いいたします。
【2025/09/04 一部修正が入りました】
ある日、地球と呼ばれた星に異変が起こった。
代わり映えのない日常を大きく狂わせる、大厄災が起こったのだ。
建物は宙を舞い、大地と天空の区別がつかなくなった。
空間は赤紫のような、青黒いような、奇妙な色に彩られ、
動物や植物、人、あらゆるものがその中へ投げ込まれていた。
唐突に起こった未曾有の事態にに、人類はなすすべもなく、
ただひたすら困惑し、絶望し、生死を彷徨った。
まさに世界の崩壊、世界の終末と呼べる現象だっただろう。
しかし、突如現れた魔方陣が地球全土を覆い、
全ては白いような金色のような明るさに包まれた。
再び意識が浮上した彼らは、驚愕の光景を目にした。
建物は以前と変わらないものが建ち並び、大地も、海も、空も変わらずそこに存在していた。
ただ一つ異なっていたのは、
この世界が、いくつもの異世界と繋がる特異構造地点となっていたことだった。
奇跡的に、人類のいた世界は様々な住人で溢れかえる形で、再構築されていたのだ。
それから1000年の月日が流れた現在も、その世界は続いている_____崩落と再生を繰り返しながら。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
場所code: アビスフロンティア【AF】
ここはアビスフロンティアと呼ばれる区域だ。
かつての紐育やイギリスと呼ばれていた国々と、いくつかの異世界がごちゃ混ぜになったようなところで、一言で言えば「ギリギリ秩序がある、何でも起こる街」だ。
1000年前……要は僕が生まれるずっと前、地球や様々な世界の星が崩壊し、再構築されたのが今の世界。
現在確認できている大陸は4つ。アジル、ルナリビエ、オルフェゴール、アビスケイオス……地球だったころの大陸名は消失してしまって、大部分は暗黒大陸なんて不明瞭な領域で覆われている。
僕が住んでいるこのアビスフロンティアは、アビスケイオスと暗黒大陸の中間地点に位置する場所で、多種多様な種族が暮らしている。
僕ら人類は彼らのことを【異界種】と呼び、アザーは僕らのことを【人類種】と呼んでいる。
それが僕の住む世界、Otherと呼ばれる世界にある特殊地域都市だ。
「あれ?今の奴って混血のエルフか?それともダークエルフ?」
男性の声が耳に入り、自然と現実に意識を戻される。
一つ目の男は、隣に並んで歩く水色の肌をした宇宙人のような風貌の存在に疑問を投げかけている。
男の視線を辿った先には、耳の長いヒトのような美人が歩いている。中性的な顔立ちで、褐色の肌からは人間にも見える。
耳が長めで美形……と来れば、普通はエルフ種のどれかだろうと推測できる。
それが彼らの特徴だからだ。
しかし足下を見た僕は、その存在がエルフ種のいずれにも該当していないことに気づく。
隣にいた宇宙人風の男性も、どうやら僕と同じ考えに達したようだ。
「馬鹿、よく見ろ。エルフを真似た異形人だろ、ありゃあ」
呆れた声色を聞きながら、僕はエルフに似せた存在をじっと見る。
足には鳥のような形をしたものが2本ついていた。
エルフやハイエルフ、ダークエルフといったエルフ種は僕ら人類と同じ足をしているため、【異界種】たちからは【亜人種】とも呼ばれているらしい。
異形人は僕や後ろの二人の視線に気づくことなく通り過ぎていってしまう。
「異形人ってのは分かりにくいなぁ。ああやって多種族を真似する奴もいるしよ」
「俺みたいな触手人の中にだって、最近じゃあ変形手術して人類種になりたがる奴もいるらしいぞ」
「まじか」
短い寿命のあいつらの何処が良いんだか、と歩道を進んでいく二人の声を聞いて、僕は思わず立ち止まる。
触手人は手が多い種族で、蛸足のような手だったり、僕ら人類のような手を持っていたりする。異様に手が多く、青や赤い肌を持っているのが特徴だ。
しかし、20年くらい前から多種族との婚姻も多く見られ、混血の子もよく見かけるようになった。
だから一見、触手人に見える人でも、実際は触手人と別種族のハーフなんてこともある。
「……」
右手を見つめるその瞳には憂いが見て取れた。
別に何になりたがったって良いじゃないか
短命種の真似をしたって、長命種を羨んだって、別に誰かの迷惑になってるわけじゃない
どんな種族でも誰かに憧れる自由があるし、どんな個体でも自由に人生を歩む特権がある
ふと店に置かれたテレビからニュースが流れ始める。
画面越しに映るキャスターは、手元にあるであろう原稿を読み上げる。
〔現在、【混血種】の寿命に関することが社会的に問題となっておりますが___〕
ガラス越しに届くその言葉を耳にしながら、僕はきっと虚ろな目をしているかもしれない。
【混血種】の平均寿命が、種族によっては人類よりも短くなっていると話す彼女の言葉が深く刺さる。
じゃあ、下手したらその【混血種】の寿命よりも短い僕のような人間は
一体どうすれば良いというのか___
ガラスに反射する自分の顔は、どこかやつれた顔をしていた。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
「戻りました~」
扉を開けた少年がそう口にした直後、銀髪の青年が吹っ飛ばされる。
床に思い切り腰を器用に打ち付けた相手から悲鳴のような叫びが上がる。
「いってぇぇぇ!」
少年は腰を押さえてもだえる彼を見てから、吹き飛ばされる前にいたであろう位置に視線をずらす。そこには小柄な少女が人形を抱いてフヨフヨと浮いていた。向日葵のような黄色に茶色のメッシュが入った髪をうねらせる彼女は、怒り顔を青年に向けている。
あぁまたか、と瞬間的に少年は察した。
「なにすんだよ、人形女!」
「イヌ野郎ッてホントデリカシーない!ワタシの可愛いコに触るな!!」
「ちょっと落ちそうだったから触っただけじゃねぇか!」
腰を押さえたまま立ち上がって睨む青年に負けじと鋭い視線を向ける少女を眺めていると、少年の右隣から声がかかる。
「レナード君、来たんだね」
少年レナードが顔を横に捻ると、コートを腕に掛けた男性は優しい笑顔を浮かべながら近づいてきている。
「あ、ヴォルフさん」
ヴォルフと呼ばれた男性の青くて長い髪が歩く度にかすかに揺れる。スーツ姿の彼にレナードは軽く挨拶を交わす。
「こんにちは。珍しいですね、警察官のあなたがここにいるなんて」
「えぇ、少しエドアルドとフロストに話があってね」
ニコリとするヴォルフの後ろから、彼とは別の低い声が話しかけてくる。
「油を売ってて良いんですか?休憩時間が終わりますよ」
バインダーを脇に抱えてやってきたのはフォレストグリーンの髪にアメジストのような瞳を持つ男性だった。ヴォルフより頭一個分小さい彼だが、身長は平均的である。ただヴォルフの背が高いだけだ。
「エドアルドさん、お疲れ様です」
「お疲れ様。体調は問題ないかい?」
「いつも通りだと言われました。眼の方も特に問題は無いだろうって」
ブロンズの瞳を覗き込んだエドアルドは、満足そうに頷いて顔をほころばせる。
「それは良かった。問題ないのが一番だからな」
ここで銀髪の男と少女の声が大きくなる。まだ喧嘩していたのかとレナードが呆れていると、エドアルドが二人に顔を向けてニコリと笑った。
「ラッシュ、ヴィヴィー?そろそろ喧嘩をやめないと、フロストにその熱を今すぐ冷まさせるぞ?」
ピタッと二人の口が同時に止まる。ギギギ、という音が聞こえそうなほどぎこちなくエドアルドを見た彼らの顔に冷や汗が流れている。
ニコニコとしている彼を見た二人はビクリと体を震わせ、銀髪の男ラッシュはそそくさとその部屋から給湯室へ移り、少女ヴィヴィーは人形を抱えたままソファに座り直した。
「お見事」
「ハハハ、全く嬉しくない」
ヴォルフがコートを羽織りながらそう賞賛すれば、エドアルドは乾いた笑いを棒読みで返した。
奥の扉が音を立てて開いたことに気づいたレナードが体を傾けてそちらに視線を向けると、中から出てきたのはアイスブルーの瞳を持ったスーツ姿の壮年男性だった。
ワインレッドのシャツに紺色のジャケットを羽織る彼は、三人の視線が自分に集中していることに気づいたようだ。
「なんだヴォルフ警部補、まだいたのか」
「いたら問題があるんですか?」
「昼休憩が終わるって急かしたの君だろ?」
明るい声でそうおどけた男に微笑みだけを返したヴォルフは、次にレナードを見て頭を撫でる。
「それでは、私はこれで」
「お気をつけて」
ぺこりと頭を下げるレナードはヴォルフを見送った後、壮年の男にクルリと向き直る。
「フロストさん、すみません。例の件を話していたんですよね?」
「ん?あぁ」
アイスブルーの瞳が一度瞬き、レナードの申し訳なさそうな声でクスクスと笑うフロストは「問題ないよ」と彼の肩をポンポンと叩く。
「君の病気の方が優先だ。そうやって謝る必要は無い」
「そうですけど」
まだ何かを続けようとレナードが口を開く前に、給湯室に避難したラッシュが戻ってきたことでその先は続けられなかった。
「おいメガネ、飯行くぞメシ!」
「……僕、さっき帰ってきたばっかなんだけど」
大体、僕眼鏡かけてませんし、という文句の呟きは、彼には聞こえなかったようだ。あるいは聞こえていても聞く気が無かったのかもしれない。
ツカツカと近づいてきたラッシュがレナードの肩に腕を乗せる。
「お前、どうせなーんも食ってねぇんだろ?いいからメシ行くぞ」
「行ったってあんた、僕の財布で支払わせる気満々でしょうが!」
文句を言いつつ引きずられていくレナードが助けを求めようとエドアルド達を見るが、二人は苦笑するだけで何も言わない。
「13時までには帰ってこいよ」
フロストが手をかるく挙げてそう告げたことで、レナードはがっくりと肩を落としたままラッシュに引きずられていった。
こうしてレナードは、今日もラッシュにご飯を奢らされる羽目になったのである。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
違法薬物というのはいつの時代も存在する厄介極まりない産物だ。
今回の件も違法薬物を製造する組織の解体が目的なのだから、知性のある種族というのはこういうところが進歩しない。
「まったく、手早く済ませて帰ろう」
フロストが目に隈をつくって赤い液体をコクコクと飲んでいる。隣にいた長身の男が心配そうに彼を窺っていたが、心配のあまり我慢できなくなったのだろう。
背景に汗を飛ばしながら、フロストに尋ねる。
「フロスト、大丈夫か?ちゃんと食事とってるか?」
「大丈夫だよフリッツ。俺の頑丈さは知ってるだろ?栄養だってちゃんととってるさ」
フリッツに見せつけるように掲げたパックには「栄養摂取用」と書かれた紙が貼られている。
「本物には劣るが、まぁ腹は満たせる」
そういって一気に中身を飲み干したフロストはそれを片手で潰し、近くにあったゴミ箱に放り投げる。ゴミは吸い込まれるようにその中へ消えていった。
「それにどうせ……今から口直しできる」
「ほどほどにしてくれよ」
苦笑するフリッツに口元だけ笑って見せたフロストは、そのまま工場前まで移動する。
前にはラッシュとレナード、それからエドアルドが待機していた。
「工場の周囲はダニー警視とヴォルフ警部補が包囲してくれている」
ここでフロストがニヤリと笑って三人を見渡す。レナードはそれを見て内心、犯罪組織に少し同情的な感情が湧いたのだった。
「全員、派手に暴れようじゃないか」
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
入り組む工場内を走り回る触手人がいる。右手らしき触手は左腕から流れるものが床に落ちないよう、必死に腕を押さえていた。
息を切らせながらも何かから逃げる彼は大きめのタンクに隠れて息を潜める。
荒々しい呼吸を落ち着かせようと深呼吸する彼は、無機質に響く靴音で体を大きく震わせた。
「僕とかくれんぼか?」
靴音がゆっくりと男に近づく。呼吸を漏らさないようにと触手で口を押さえ、体を縮こまらせる。
コツ
コツ
コツ
一定間隔で迫り来る音に心臓が早鐘を打つ。左腕の傷からくる痛みは、脳からとめどなく放出される神経伝達物質のせいで吹き飛んでいた。
そして、触手人の真横に来ると音がピタリと止む。
静寂が空間を包む。しかし触手人の男はそんなことが気にならないほど緊張していた。
少しの間があって、靴音が彼から遠ざかっていく。
徐々に小さくなる音が聞こえなくなると、触手人はようやくハァと大きな息を吐いた。
「クソッ、なんだっていうんだよ」
小さくも悪態をつく彼は、すぐさまその場から離れようと立ち上がる。
しかし腰を上げ、動こうと触手の足を踏み出した瞬間、後ろからコツと音がなる。
再び心臓が大きくはねる。
ゆっくりと振り返ろうとした彼は、恐怖に染まった表情を浮かべている。
寒気を感じたのは、きっと恐怖心からだけではない。
逃げたいのに言うことを聞かない体が、外側から凍っていくのを感じる。
コツ、コツ、と再び規則的で硬質な靴音が鼓膜を刺激する。
呼吸が浅くなり、吐き出される息は白い。
恐怖に支配された彼の肩に、相手の手がのせられた。
意識が途切れそうになる瞬間、彼の脳に確かに届く。
耳元で囁かれた、この言葉を。
「見ぃつけた」
___かくれんぼは、もうお仕舞いだよ
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
工場の入り口付近には組織の触手人と人間たちが扉を叩く音と銃声で溢れかえっていた。
なんとか脱出を試みようとしているのだろう。逃げようとする者の大多数がサブマシンガンで相手を牽制し、残りの数名は扉を開けようと躍起になっていた。
しかし、重厚な工場の扉は押しても引いても全く動く気配がない。焦燥感と恐怖で混乱したその数名は、ついに扉を叩いて開けてもらおうとしている。
「叩いたってしょうがねぇだろうが!いいから扉の鍵開けろよ!」
「開かねぇからこうしてんだろうがッ」
「クソッ!なんで動かねぇんだよぉぉぉぉ」
扉の外側つまり工場の外では、屋根と入り口がある壁に大きな魔法陣が展開されている。
その正面にはエドアルドが左手を後ろに、右手は建物の前に伸ばしている状態で立っている。腕を伸ばす先には工場よりは小さな魔法陣が手のひらから出ていて、彼の表情はどことなく余裕そうだ。
視点は変わり、工場内ではエドアルドが魔術を展開していることに気づかず、阿鼻叫喚となっている。
それもそのはず、弾丸を避けて敵を斬り倒す銀髪の男がいたからだ。
「なんだよ、なんなんだよコイツ!!」
次々と倒れていく仲間を見た人間が涙目で銃弾を撃ちまくる。残念なことにそれらは全て躱すか弾丸を斬られるかで全く当たらず、結局組織の男は目の前にやってきた奴に攻撃される。
「ガッ」
首部分を刀の持ち手で殴られた相手はそのまま気絶した。
「感謝しろよぉ、全員峰打ちにしてやったんだから」
刀を一振りした男は銀の髪を揺らし、刀の峰部分を肩にのせる。
「ったく、フロストさんに押しつけられたせいで全然歯ごたえのあるやつと戦えなかったぜ」
はぁ〜あ、と大きなため息をつく男の顔が顕になる。
ラッシュだった。
「エドアルドとフリッツさんは外だし、メガネは〜……あぁアイツが出てるんだっけ」
刀を仕舞った彼はニヤリと笑う。
「わざと逃がした奴ら、ご愁傷さまだな」
魔法陣が解除されていることに気づいたラッシュは、両腕をあげて伸びをしてから外へと向かう。
地面に転がった連中はヴォルフたちに任せるか、と思いながら。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
工場から無事に脱出した人間と触手人の二人は、大通りに繋がる路地裏を走っているところだった。
様々な種族が行き交う道路に出れば、自分たちを見つけることは出来ないと判断してのことだった。
「追ってきてるか?!」
「分からねぇ!けどこの先を抜けて散らばれば勝ちだッ」
レンガの壁の間を走り抜ける彼らは、もう少しで辿り着くと安堵していた。
そして路地裏の十字路を曲がろうとしたところで、彼らの頭上に影が差した。
「?!」
触手人がそれに素早く反応して緑色の手を使って払おうとするが、影の中でキラリと光る何かによって斬り落とされる。
「ぎ、ギィぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!腕がッ、腕がァァァァァァァァァ!」
「お、おい!」
慌てて立ち止まった男がオロオロとその場で困惑していると、後ろから彼らではない誰かの声が聞こえる。
「木を隠すには森っていう言葉があるが…それにしてはお粗末な木だ。本気で隠れようと思うなら、路地裏からじゃなくて堂々と道路を歩けよ」
男が振り返ると、目隠しをしている小柄な青年が立っている。彼の手には短剣が握られており、その刃から赤い液体がポタリと垂れる。
「お、お前、誰なんだよ?」
震えた声で男が聞けば、青年は短剣の持つ手ではない右手で目隠しをゆっくりと外す。
「答える必要はないと思うぞ?もう会うこともない」
白い目隠しをとった彼の瞳をみた瞬間、男は恐怖の顔に染まる。
「安心しろ……俺は優しいからな。あいつとは違って、一度で終わらせてやる」
叫ぶ間もなく男の視界は暗転し、そのまま帰ってくることはなかった。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
倉庫の周囲では、違法組織の触手人と人間たちを逃すまいと待機していた警察組織が、白黒に赤いランプが目印の車に組織のメンバーたちを乗せていく。
そこから数メートル離れた場所で、煙草を吸う男がその様子を観察している。薄く開いている目は新人警官たちを竦み上がらせるほどの威圧を放ち、暴力団の組長と言われても納得のいきそうな雰囲気を纏っている。片目には何かで切りつけられた後が残っており、それもあってより一層近づきにくいのである。
「ダニーさん。煙草、吸い過ぎですよ」
「……あ?」
灰色のブロックに座って睨むように見上げるダニーを見下ろして微笑む男は、先ほどレナードたちと談笑していたヴォルフ警部補だった。
柔らかい物腰のヴォルフと冷徹な性格のダニー……この二人は相棒として長い付き合いで、警察署内でも有名な二人組だった。
「仕事を終えたご褒美の一服だ。見逃せよ」
「そうもいきません」
口から煙草を離したダニーの手から赤い炎が燃え上がる。それを見たダニーは驚きもせず、ただ目を細めるだけだった。
「……私用で魔法を使うな、魔法師」
横目でヴォルフに視線を送った後、彼は淡々と事実だけを呟き窘めた。
ダニーの手にあった煙草が黒い灰になったことを確認したヴォルフは、満足そうに微笑む。
「仕事中ですから。この後は彼らの事情聴取に供述書のまとめ、報告書の作成……まだまだやることは山積みですよ」
「知ってる」
懲りずに懐から煙草の箱を取り出し、白い筒を一本抜き取る。
ライターで火をつけて吸うダニーを見るだけで、ヴォルフからの魔法は飛んでこない。先ほどの炎は戯れでつけたものだと、ダニーは知っている。
「……あいつらはどうした?」
氷漬けにされた触手人を視界に入れるダニーがそう問いかければ、ヴォルフも彼から視線を外して同じ光景を見ながら答える。
「帰りましたよ。あちらも色々やることがあるようで」
「フロストのやつ、術を解除せずに退散したのか」
妖霊族の術は解くの面倒だってのに、とぼやくのを聞いて、ヴォルフは小さく笑う。
「私が処理するので大丈夫ですよ」
「その点に関しては心配してないが……」
今度は血色の悪い人間数人が大型車の中に運ばれて、ダニーの眉間に僅かだがしわが寄る。
ヴォルフにしか分からない変化で、それに気づいた彼は後ろで手を組んで苦笑する。
「少し口直しをしたみたいですね」
「あれじゃ暫く会話ができないな……あいつらの事情聴取は最後に回せ」
「承知しました」
軽くお辞儀をして了承の動作を見せるヴォルフを見ることなく、ダニーは次に運ばれていく白布のかかったストレッチャーを眺める。
白の内側から滲む赤色から傍若無人な青年を思い浮かべた彼は、小さく息を吐いた。
それと共に吐き出された煙草の白煙に焦点を当て、いつもの気弱な彼を思い出す。
「……妖霊族と吸血鬼のハーフに獣人、それから暗殺者と薬剤師、か」
呟かれた言葉にヴォルフが答える前に、ダニーがコンクリート製のブロックから立ち上がる。
「相変わらず頼もしいというか末恐ろしい組織だな」
「___ヴェルディアンの構成員は、どいつもこいつもクセが強い」
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
ユラユラと海を揺蕩うように視界が歪む。
深海から徐々に遠ざり、少しずつ水面に近づいていく。
そして白い光のあたる境界があと一歩まで迫ってくると、水の泡が弾ける音がする。
こうして僕の意識は、離れた体に戻るのだ。
「……あ、起きた?」
目を開けると、エドアルドがレナードの顔を覗き込んでいる。
「気分はどうだ?」
「……どのくらい離れてました?」
上体を起こしたレナードが頭を押さえてエドアルドに問いかければ、「一時間くらいだよ」という一言が返ってきた。
「ほんと、よく慣れてるな。それとも君が特殊な体質なのか」
「両方だと思います」
「彼と体を共有してからじゃないんだな」
「あー……そうかもしれません」
正直よく覚えてなくて、とレナードは曖昧に答える。弱々しい笑顔で返す彼の様子から何かを察したエドアルドは、いつもの微笑みで肩を軽く撫でる。
「君のその眼と病気には助けられてる。でも無理は禁物だよ」
「そうよ〜」
カツ、とヒールが床を鳴らす。入り口に目を向ければ、そこにはクリーム色の髪をたなびかせた女性が立っていた。耳は長くとんがっており、その特徴からエルフ種であることが分かる。
「カレリーさん」
レナードがニコリと笑うと、カレリーと呼ばれたエルフ種の女性も綺麗に笑う。美人の微笑みとはどうしてこうも破壊的なのか……そう考えながら赤面するレナードに近づく彼女は、彼の後ろにスッと立つと、両手を彼の肩の上にのせる。
「いくら彼が貴方の病気を制御してくれていると言っても、治療しているわけじゃないんだから」
「全くだ」
エドアルドの後ろにあるカーテンから姿を現した男性が気怠げな表情のまま、煙草を吹かしている。銀色が混じる白衣を着る彼は、持っていた煙草を手から出した炎で燃やす。
「使う度に僅かだが進行する病なんだ……あまり無茶をして貰っては困る」
灰をパッパッと手で払いながらエドアルドと入れ替わりでベッドに座る彼に、エドアルドは眉をハの字にして苦笑する。
「ジークが困るのは人手が足りなくなるからでしょう?免許を持つ薬師は貴重ですからね」
「当たり前だ。ここじゃ無免許の闇医者と薬師がほとんどで、正式な医療従事者はこんな街には来ん」
包み隠さず本音をぶちまけるジークは眼鏡をカチャリとかけ直し、苦笑いのレナードに鋭い視線を向ける。
「いいかレナード、お前の発症してる「神眼病」と「妖精病」は極めて事例の少ない難病なんだ。特に「妖精病」の症状が出ている間、いくらお前の相棒が代わりに仕事だの何だのしてくれるとしても、限界がいつかはくる」
ジークは膝の上に肘を置き、さらには手を軽く組んで正面に座るレナードを見据える。顔を上げる際、銀縁の眼鏡が医務室の蛍光灯の光を反射し、彼の瞳の表情が一瞬だけ見えなくなる。
「貴重な薬師として、替えの効かない仲間として、十分に自覚を持て」
「……善処します」
複雑な表情を隠そうと作った笑顔に、ジークたちは何も言わなかった。
何か言いたげな彼らは、これ以上レナードに何を言っても無駄なことを知っている。
だから結局、彼らは彼の自己犠牲的な性格に目を瞑るしかないのだ。
「そういえばレナード、さっき君のスマホに着信があったよ」
エドアルドへ感謝の言葉を述べつつ、差し出された黒い板を受け取る。極薄のそれは受け取るとスライム状になり、レナードの腕に巻き付いた。
着信履歴を確認した彼は、焦ったように勢いよく立ち上がる。
「すみません!ちょっと折り返しの電話入れてきます!」
「終わったら、今日はもう上がって良いよ」
「ユイちゃんによろしくね~」
目元を和らげたエドアルドと、左手を振って見送るカレリーに会釈だけして、レナードは医務室を後にした。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
電話相手は三回のコールですぐにでた。
〔……もしもし〕
「ユイ、僕だよ」
〔あ、レイ「ここではレナードだよ」……あぁそっか。不便だなぁ〕
不満を滲ませた彼女は、次の瞬間にはいつもと変わらない元気な声で会話を始める。
〔レナ兄、元気?全然連絡くれないから、私もアーちゃんも心配してたんだから〕
「ごめんな。僕は元気だよ。母さんも元気にしてるかい?」
妹であるユイは、母親をアーちゃんと呼んでいる。昔は僕もそう呼んでいたのだが、何故か彼と同居するようになってから母親呼びの方がしっくりくるようになってしまい、今は母さんと呼んでいる。
元気だよ、という一言に安堵の息を吐いていると、ユイが心配そうな声色で尋ねてくる。
〔……ねぇ、まだ帰ってこれないの?仕事の都合でそっちにいるのは分かるけど、心配だよ〕
ユイの心配ももっともな話だった。
このアビスフロンティアは多種族国家のアビスケイオスの中で最も危険な場所だ。そもそも僕が今いるこの都市は、特殊地域都市に指定されているのだから危険なのは当たり前だ。
特殊地域都市とは、簡単に言えば「隔離区域」のことだ
無法地帯と言ってもいい
多少の秩序はあれど、そこに踏み入れれば、命の保証はない
その中でもアビスフロンティアは「ワケあり者たちの住処」、「無法者たちの溜まり場」として知られるほど、多種多様なはぐれ者と変わり者が混在している都市なのである
だから得体の知れない存在も潜みやすく、そして神に近い存在と呼ばれる理外のものたちも集いやすい
そんな事情もあってか、アビスフロンティアには暗黙の法律が存在する
それが、「決して本名を名乗ってはいけない」というルール
それさえ守っていれば、あとは何をしたって良い……わけではないのだが、ある程度好きなように生きて良いというのがこの町の特徴だ
〔アーちゃんだけじゃないわ。他のみんなも心配してる。レナ兄って献身的すぎるから、無理しすぎて倒れないか不安だわ〕
「……大丈夫だよ」
〔本当に?〕
しつこく食い下がってくるユイに、僕は「大丈夫大丈夫」と明るい調子で答えた。
妹も母も、地域のみんなも知らないのだ。
僕がここへ来た、本当の理由を。
言えば心配すると知っているから、腫れ物に触るような扱いをされたくなかったから。
僕のことを知る種族がいない場所へ、僕の目的を達成できる場所へ……それが叶う場所が、ここだっただけ。
端的に言えば、逃げたのだ。
優しい彼らから。そして……臆病な自分から。
〔……分かったわ〕
沈黙する僕の心境を知ってか知らずか、彼女は納得のいっていない様子で折れた。
妹は察する力がずば抜けて高い。僕の変に頑固な性格をよく理解しているのもあって、ユイは僕の事情を根掘り葉掘り問い詰めることはしない。
ありがたい反面、また気を遣わせてしまったと自己嫌悪に陥りそうになる。けれどもユイはそれすら察知して、僕の耳元に向かって大きな声で話す。
〔いい?危ないことには首を突っ込まないこと!無理をしないこと!体に気をつけること!どれか一つでも破ったら、社長さんか上司さんに直訴するわ……い、い、わ、ね??〕
「は、はい……分かりました」
電子音がキーンと耳を貫く。脳にまで響いてきた音に頭がチカチカしつつ、僕は頷く。
よし、と上機嫌になるユイの声を聞いて、僕は小さく微笑んだ。
「ありがとう、ユイ」
それから、ごめんな
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
「……で?また嘘をついたと?」
上も下も星空のような空間で、腕を組む顔の見えない相手が呆れたような声で僕に話しかけてくる。
水面のような地面を見下ろしつつ、僕は頬をかいて笑ってごまかそうとした。
「嘘は」
「ついてるだろ」
「……」
「ハァ…お前の妹の泣く姿が目に浮かぶ」
凝った彫刻が施された椅子に座る相手は、これみよがしにため息をつく。腕を組むその姿は、首のところまで来ると闇に包まれてしまっていて、顔どころか髪型さえ認識できない。
「お前の病は治る見込みがない奇病だ。俺が魔術で遅らせているだけで、そのうち反動が来る……それは理解してるな?」
「……ヴィンセントには感謝してるよ」
「はッ、どうだかな」
顔の見えない男もといヴィンセントは、僕の体に住む同居人の魔法術師だ。エドアルドさんとカレリーさん、フロストさん、それからジークさん以外には魔術法師と言うことは伏せて暗殺者と名乗って貰っている。魔法術師といっても、彼はここではない別の世界の魔術師……僕らOther世界の住人、とりわけ異界種から神聖視される存在なのだ。
Other世界には様々な種族がいる
それはもちろん当たり前のことだ
そしてOther世界のもう一つ常識として、「能力や魔力といった不思議な力を扱う者たちが存在する」というものがある
妖霊族の扱う妖術のように、人類や他の種族の中には能力を扱う「アビリティア」と魔力を扱う「魔法師」と呼ばれる者たちがいる
アビリティアは一つの能力と呼ばれる個性を持っており、主に身体能力系と精神操作系、そして属性系に分かれている
つまり個人特有の力を扱う者たち
対して魔法師は、魔力と呼ばれる自然界または個人の中に宿るオーラのような力を魔法や魔術といった目に見える形で体現することができ、こちらは能力よりも幅広い……らしい
身体強化や属性だけでなく、何かを使役したり天候を操作したり……といった、奇跡に近いことをさらりとやってのけることができるのだとか
魔法が全く使えない僕にはヴィンセントの説明は難しすぎて分からなかったが、
つまり「アビリティア」は自然界の力を使わず本人の保有するエネルギーを自在に操る者、「魔法師」は自然界と本人の保有するエネルギーを自在に操る者、らしい
だから「アビリティア」は生まれつきの保有量の中で強さが決まり、「魔法師」は修行などでその保有量を増やすことで強さが決まるのだそうだ。
しかし、Other世界以外の世界から自由にやってくる“能力者”、“魔法使い”と呼ばれる者たちは違うのだそう
“能力者”も確かに先天的に与えられた力を使って現象を起こすのだが、その力は「アビリティア」よりずっと強く、また一つと言わず複数の能力を保有している
例を挙げるとしたら、とある「アビリティア」は【念力】しか扱えないとして、能力者は【火炎操作】【治癒】といったように、複数の力を同時に発動できる
保有量も、「アビリティア」より多い
“魔法使い”も「魔法師」と同様に魔力の保有量を増やして様々な現象を起こすが、その保有量は「魔法師」よりも断然多く、魔力操作も桁違い、魔法や魔術の構築速度も速いのだとか
また、“魔法使い”にはランクがあり、下から順に魔法使い、魔女・魔術師、魔導師・賢者という風になっている
僕は“魔法使い”に会ったことがないので分からないが、特に“賢者”は「魔法師」と比較することすら失礼に当たるほどで、魔法使いの頂点に君臨する存在なのだという
ヴィンセント曰く、「あの方々は規格外で、世界に存在するだけで理を歪める」ということらしい
そんな“魔法使い”と“能力者”は異界種にとって神聖な存在で、特に“賢者”は神に等しい者たちとして崇められているそうだ
ちなみに“魔女”や“魔術師”は“賢者”になる可能性を秘めた存在という意を込めて、“賢者の器”、“賢者の卵”とも呼ばれている
閑話休題
……まぁ何が言いたいのかというと、そんな“魔法使い”であり“賢者の器”である“魔術師”が僕の体に同居している、なんて知れた日には狙われる危険が大きく跳ね上がり、場合によっては人類から実験体として狙われる可能性が非常に高くなる……だからヴィンセントの正体は一部の構成員以外には秘匿する、ということで、エドアルドさん四名以外には教えていない
「まぁ人間や多種族が何かしてこようものなら、俺が殲滅系の魔術で跡形もなく消してやるさ。見せしめとしてな」
楽しげに話すヴィンセントの物騒な台詞を聞いて、冷や汗を流した僕は正常な感性を持っているだろうと思いたい
この話はエドアルドさんたちにもしたらしく、僕がヴィンセントについて尋ねた際は「魔法使いの冗談って冗談に聞こえないよね」と口を揃えて答えていた
「レイル、一つ言っておくぞ」
考え事をしていた僕はハッと我に返り、顔を上げる。腕と足を組むその姿から傲岸不遜という四文字が頭に浮かぶ。実際、彼が誰かに従っている姿は想像が出来ないからあながち間違いではないだろう。
「ここではレナードだってば」
「俺にとってはレイルもレナードも変わらん。呼び方などどうでもいい」
人差し指でトントンと規則正しく腕を叩く彼の表情は見えないが、ほんとうにどうでも良いと思っている口調に、僕は苦笑するしかなかった。
「……お前はそうやっていつもヘラヘラ笑っているな」
「え?」
言葉を止めたヴィンセントに「どうしたのだろう?」と首を傾げていると、そんな一言が彼の口から紡がれる。
「嫌なことも辛いことも、苦しいことも、全部飲み込んで笑っていれば良いと思ってる……実に不愉快だ」
不機嫌な声色に、僕は言葉が詰まる。口を開けては閉じる僕を見て、ヴィンセントはさらに機嫌が悪くなったようだった。
「……もういい。さっさと夢から覚めろ、レナード」
「あ、」
待って、と言おうとしたが、その先は続けさせてもらえなかった。彼の中指と親指が合わさってパチンと空間に響く。
そして次の瞬間、僕は目を覚まさざるを得なかった。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
視界に広がる灰色の天井を呆然と眺めるレナードは、失敗したなと独りごちる。
ヴィンセントはどこで機嫌が悪くなるか分からない。彼の地雷を踏まないように気をつけてはいるが、何年経っても彼のことが理解できず、こうして怒らせてしまう。
夢の中でしか会話が出来ない彼との貴重な時間の中で喧嘩などしたくない。命の恩人でもある彼に恩を返したいと思っているが、どうにも空回ってしまって上手くいかないのが現実だ。
「……僕に残された時間は、あとどのくらいあるのかな」
誰もいない部屋で、答えのない問いに対する答えを出してくれる相手はいない。
レナードはヴィンセントの機嫌と自身のことを考えて憂鬱になりながら、右腕で顔を覆い隠した。
※◆◇◆◇◆◇◆◇※
アビスケイオスと暗黒大陸の間に位置する特殊地域都市、アビスフロンティア
混沌としたこの街では決して本名を名乗ってはいけない
名は本人を縛る鎖
鎖を他者に握られることのないようにするための自衛手段を破れば、命など紙切れのように消えてしまうだろう
そんな危険な都市にしか居場所がない者たちの行き着く先は、果たしてどこなのだろうか
これは種族からあぶれた者たちが織りなす、とある都市の日常
ある者は己の儚さに悩み、
ある者は多種族を羨み、
ある者は己の種族に対する偏見に苦しみ、
またある者は異なる価値観と戦う
これは、そんな多様な者たちが集う都市の中で懸命に歩み続ける構成員たちの生き様を描いた物語
彼らの名は「ヴェルディアン」
「星の守護者」、「天秤の見張り番」という異名を持つ、世界の片隅で不安定な世界の未来を守る者たちの掲げる標
ようこそ、
醜くも美しい
残酷だが優しさに包まれた世界へ
ここはOther世界
崩壊と再生を繰り返す暗黒郷であり
闇に侵された理想郷である
________Other prologue「その組織の名は「ヴェルディアン」」
皆さん、こんにちはこんばんは。
椋の音と書いて、「ムクノネ」と申します。
これまでpixivで二次創作を書いていた私ですが、この度こちらでオリジナル作品を書いてみることにしました!
この物語にも二次創作で出したオリキャラを出す予定です!月に一回か、二ヶ月に一回投稿できればいいなと考えています✨
それでは、ごゆるりとお楽しみいただければ幸いです(^^)