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灰陽航路(かすがいこうろ)  作者: Asuga
第一章・1⇔2T@rt
9/27

遠いようで近い「人と神」

 ある日、整備ドックでの打ち合わせを終えたネプトは、しばらくぶりにゆっくりと深呼吸をした。頭の芯にまで重く響く鉄とオイルの匂いを一度手放したくなった。


「ネプト、ちょっと来い。」

ダグラスが珍しく柔らかい表情をしてネプトを呼んだ。


「……なんだ?」


 ダグラスは袖から小さなカードを取り出して差し出した。

「偽造の居住許可証だ。ニューロンドに遊びに行ける。たまにはいいだろ。息抜きってやつだ。」


「本当か?」

「嘘つくか。どうせお前、街なんてまともに見たことないだろ。ルミナさんが息が詰まる前に行ってこいだとよ。」


 ネプトは少し戸惑いながらも、その偽造IDを受け取った。


「捕まったら恨むぞ」ネプトがそう釘を刺すと「じゃ昨日の俺はラッキーだったな」と軽口を入れた。


「昨日いないと思ったら… まあ、そのおかげで簡単には見分けられないということか」ネプトは受け取ったカードをじっくり眺め、部屋へと戻って行った。


 施設の簡素な自室。冷たいコンクリ壁に囲まれた部屋にも、少しずつ人の気配が戻っていた。

窓のない部屋の片隅、アルケは修理中のパーツを黙々と並べていた。


「……こっちの配線を通せば、旧式のリアクターでも十分駆動できたはずだから。熱量も抑えられるはずで…」

アルケは自分でまとめた少し汚いノートに何やら計算式を書きながらつぶやいていた。


「それが……ヴァルカリアン式のミサイルポッドか?」


 アルケはネプトが急に話しかけたので驚き、変な声を出した。「ひゃっ!来てたの?ネプト」少し顔を赤らめ、驚いた心臓を鎮めるように大きく息を吸った。


「俺の部屋だ。来ていたのかと聞きたいのはこっちなんだがな…」そう言って銀色の筒のような装置を見つめた。


「これが」


「そう。高出力のマイクロミサイルポッド。元々はヴァルカリアンの水中戦闘兵器に積むタイプらしいけど、今ネプトの新型に適応させるため少しいじってみたんだ。ようやくここまで縮小できたよ」


 ネプトの声には久々に少年のような活気が宿っていた。

「すごい、ここまでサイズが小さくなればより沢山の弾数が入る。よくやってくれたアルケ!」


 アルケはくすっと微笑み、ネプトのノートに視線を落とした。


「けど……大丈夫?ネプトの設計図を見ると、これ以外にもHIにたくさんの技術を詰め込もうとしてる。これ、制御しきれる?」

問いかけはやわらかいが、アルケらしい鋭さをにじませていた。


 ネプトはしばし考え込んだ。そして、少し視線を落として笑った。

「……大丈夫だよ。もう迷わない。俺自身が手動で動かすって決めたし、神経負担がなくなることで集中力も保たれる。そういうフレームにしてもらうからな」


「明日……ニューロンドに行くんだ?」

アルケが問いかける。


「ああ。偽の居住許可証もルミナさんに用意してもらった。たまには街を歩いてみたいしな。」

ネプトはやや照れたように笑う。


「……そうね。息抜きも大事。」

アルケの声は淡々としていたが、わずかな寂しさもにじんでいた。


 ネプトはそんなアルケの気持ちを察したように、そっと彼女の手に触れる。

「アルケ。帰ってきたら、もう少し設計を詰めたい。君の意見も、ちゃんと聞きたいんだ。」


「……うん。待ってる。」

その返事には、ほんのり柔らかい笑みが浮かんでいた。


 部屋の粗末な明かりが二人を照らす。


 そして翌朝。


 ニューロンドの市街地は、ソラリスの地下基地とはまるで別世界だった。

駅を出た瞬間に飛び込むのは巨大なホログラム広告の海。虚空に踊るネオンカラーの映像が、夜も昼も区別なく街を明るく染めている。


 高層ビルが乱立し、ガラス張りの巨大モールや複合娯楽施設が地平の先まで連なり、路地裏には行き交う人の波が溢れ返る。


 音楽。笑い声。機械音。

そして、誰かのすすり泣きのような声が交じる。


 ネプトは街を歩きながら、道端でうずくまる浮浪者の姿や、屋台裏で密かに居住許可証を取引する不法滞在者たちの様子も目にした。華やかな都市の隅々に、影のようにこびりつく絶望がある。


 路地では古い軍用義手を付けた労働者風の男たちがひっそりと仕事を待っており、さらに子供たちが物売りの真似をして大人の財布を狙っている。


「……生きるってのは、簡単じゃないな。」

思わずネプトは声に出した。


 けれど、その混沌に満ちた景色の中にも確かに活気があった。

屋台の香辛料の強い匂い、路地を走る配送ドローンの排気の甘い香り、そして聞き慣れない異星系の言葉が飛び交うマーケットの喧騒。


「こんなに、いろんな人間が……」

ネプトは興味深そうに辺りを見渡した。


 人が多すぎて逆に孤独を感じる。

それでもここには、確かに生きている人間たちの営みがあった。


 電光掲示板には最新の娯楽HIの試作映像が流れ、富裕層向けの豪華クルーズ広告がまぶしく輝く。だが一方で、裏のマーケットもすぐ隣に隠れていた。


「たまには、こういう日も悪くないか。」

ネプトは小さく笑い、ポケットの中の偽造IDを財布にしまったことを確かめる。


 ソラリスという影に隠れて生きてきた自分にとって、この街の煌めきはあまりにも遠い世界のようだった。


「もう少し、見て回るか。」


 少し足を速めて、ホログラムに描かれた異星料理の屋台へと向かう。


 ネプトは異星料理の屋台で、小さなタコスのようなものを頼もうとした。ポケットから財布を取り出した、そのときだった。


「……おっと?」


 わずかに肩をぶつけてきた少年が、一瞬ですり取るように財布を奪っていった。


「待て!」


 ネプトが反射的に追いかけようとしたとき、少年は人混みに紛れてあっという間に見失ってしまった。


「……クソ。」


 せっかくの偽造ID、しかも少ない手持ちまでなくなってしまうのかと舌打ちした。


 屋台街の中を歩いていたネプトは、観光気分で気がすっかり緩んでいたのだろう。


 そのとき、鮮やかな声が響いた。


「そこの子!止まりなさい!」


 人混みを割るように現れたのは、上品な薄いピンクのワンピースに白いレースの帽子を被った少女。

年の頃は十四、十五ほどで、整った顔立ちに透き通るような青い瞳。

街の雑踏には不釣り合いなほどの清楚な雰囲気だった。


「返しなさい!」


 彼女の声に、少年は怯んだ。

そして財布を握ったまま動けなくなったところを、少女はすっと近づいて少年の手をつかみ、驚くほど鮮やかにひねり上げた。


「痛っ!痛いって!」


「もう、悪い子ね。他人にちょっかいを出すなんて恥ずかしいことよ。」


 少女は財布を取り返し、きっちりと小さなハンドバッグに仕舞う仕草で、ネプトに差し出した。


「これ、あなたのものでしょう?」


「……助かった。ありがとう。」


「お金を盗られると滞在許可証にも支障が出るでしょう?ニューロンドは華やかだけれど、無法者も多いの。用心なさって。」


 ネプトは受け取った財布を見つめ、その少女に改めて向き直った。

「君、どうしてそんなに……強いんだ?」


「父に護身術を教え込まれたの。ここに暮らすのも、甘くないものだから。」

少女は少しだけ笑い、そのくせ誇り高い瞳でネプトを見据える。


「アナンケー・ウンブラ。名前だけは立派だけれど、ただの暇な子よ。」


「アナンケー……」ネプトはその響きを噛みしめるように繰り返した。


「せめて困っている人を助けられるならって思ったの。じゃあ、私はこれで失礼するわ。」


「……ネプトだ。」


「え?」


「僕の名前。ネプト。」


「ふふ、ネプトさん。もう盗られないように気をつけてね。」


 軽やかに、レースのスカートをひるがえして去っていくアナンケー。

その背中を目で追いながら、ネプトは少し笑った。


「お嬢様みたいなものか……。あんな子もいるんだな。」


 遠くからは音楽隊の演奏が流れ、キャバレーが派手に客引きをしている。

だが裏通りには不法滞在者のテントが並び、子供が物乞いをする姿もあった。

ニューロンドの華やかさと闇が、混じりあっている。


 複雑な気持ちを心にとどめ、ネプトは観光を続けるために歩き出した。


 ネプトは財布を取り返してくれたアナンケーの姿を思い返しながら、ニューロンドの石畳を歩き続けた。屋台街を抜け、古い劇場の前を通り過ぎると、街の外れにひっそりと佇む小さな聖堂が目に入った。


 観光の締めくくりとして、なんとなく引き寄せられるように扉を開ける。

ほの暗い空気。古いステンドグラスから差し込むわずかな光が、祭壇をやさしく照らしている。


 そこに、先ほどの少女──アナンケーがいた。


「……あれ、君か。」

「ネプトさん。」


 アナンケーは長椅子に座り、手を組んで何かを祈っているようだった。

振り返ると、その表情はさっきまでの快活なお嬢様の顔とは少し違い、どこか神聖な気配を帯びていた。


「よく来るのか?」

「ええ。たまに、ね。街で暮らしていると息苦しくなるから。」


 アナンケーは小さく笑って、椅子の隣を示した。

「座ってもいいわよ。」

「……ありがとう。」


 ネプトは彼女の隣に腰を下ろした。

聖堂の中は静かで、外の騒がしい通りの音も届かない。


「ねえ、ネプトさんは……神を信じるの?」

アナンケーの問いに、ネプトは少し考えてから言った。


「信じるというか……神はいると考えてるよ。でも、その神は宇宙のどこかでただ見ているだけの存在だと思う。祈りにも応えないし、助けることもない。」


「傍観者だって?」

「そうだ。人間に介入しない。ただ眺めてるだけの存在。」


アナンケーは小さく頷いた。

「面白い考え方ね。……でも、私は少し違うわ。」


「教えてくれ」


「人はね、神をその身に宿していると思うの。つまり、人そのものが神の種なのよ。愛とか、勇気とか、奇跡を起こす力が少しだけあって……それが集まって世界を動かしていく。神さまがいるなら、それは人の中に生きてるのだと思うの。」


「……人が神の種?」

「そう。けれど神そのものも、人に干渉はできない。人が自分で咲かせる奇跡を、そっと見ているだけ。」


「じゃあなぜ祈っていたんだ?」


「祈りは神だけに捧げるものではないの。私はみんなが今日も幸せに生きれることをこの世界に祈ってたのよ」


「そうなんだ」


 二人の言葉は似ていた。

神はいても人に介入しない。

その一点では、意外にも共通していたのだ。


「……考え方は違うけれど、結論は似ているな。」

「ええ、たぶん。」


小さく笑い合ったその空気に、わずかに緊張がほどける。


「せっかくだし、お昼でも一緒にどう?」

アナンケーがふっと柔らかく微笑んだ。

「この聖堂のそばに、いいパン屋さんがあるの。案内してあげる。」


「……そうだな、たまにはそういうのも悪くない。」


 聖堂を出ると、外は昼下がりの光があふれていた。

アナンケーが小さな手で帽子を押さえながら先を歩き、ネプトはその後ろについていく。


 人と神。

遠いようで近いテーマが二人の距離すわずかにでも縮めたのだ。


 そして路地の角を曲がるころには、ネプトの足取りも心なしか軽くなっていた。


 聖堂の裏手にある小さなパン屋は、木組みの看板が古めかしくも味わい深かった。

アナンケーが選んだのは、焼きたてのシンプルなハムサンド。ネプトはそれと野菜のサンドイッチを一つ買い、通り沿いの小さなベンチで並んで頬張った。


「……これがサンドイッチっていうんだ。」


「知らなかった? 昔の偉い人の名前から来てるのよ。旧世紀にカード遊びか何かで手を汚さないためにパンに挟んだのが始まりって……先生が言ってたわ。」


「なるほどな、昔のヒトってのは面白い発想をする。」


 パンの香りが鼻をくすぐる。

通りには買い物客が行き交い、遠くで楽器の音が聞こえる。


「ねえネプトさん。」

アナンケーが急に声をひそめた。

「三十年前に止まってた人工太陽の建造、再開されたって知ってた?」


「聞いたことはないが、そうなのか?」

少し意外だった。

こんな少女がどうしてそんなことを知っているのか。

誰かから情報を渡されたのか、それとも……。


 ネプトはちらりとアナンケーの横顔を盗み見た。

澄んだ瞳に曇りはない。

だが、その無邪気さの裏にどこか知的な光を感じる。


(どこからそんな情報を仕入れてるんだ……)

問いただそうかと思ったが、慎重に飲み込んだ。



「でもあの太陽がもう一度動き出したら……きっと戦争になるわね。」

アナンケーがパンの端をちぎりながら言った。


「……ああ。でも、それでも動かすしかない。太陽がなくなったらみんな困るだろ?」

ネプトは小さく答えた。


「そうね」とアナンケーは返した。


 そのあとは大した話もせず、二人で黙ってパンを食べ続けた。

短い昼食の時間だったが、不思議と心に残るひとときだった。


 別れ際、アナンケーは「また会えるかしら」と笑顔を残して去っていった。

ネプトはその小さな後ろ姿を見送り、ベンチに少しだけ座り続けた。


 やがて、夕暮れが街を金色に染めはじめる。

高層ビルの影が長く伸び、オレンジの空に飛行船がゆっくり浮かぶ。

あまりに美しくて、ネプトは立ち上がるのを忘れていた。


 そのときだった。


《──トライグル01ネプト。任務だ》


 ルミナの通信が、胸の小型端末から響いた。

ネプトはその声に、すっと顔を引き締める。


「……わかった。」


 まだパンの香りが残る指先を見つめ、ネプトは深く息を吐いた。

束の間の平穏は、やはり長くは続かない。


「初任務か…」ネプトは不思議と任務に恐れが湧き始めていることに気づいた。

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