消え切らない理想
ユンボは久々に向かい合い、わずかに老いた顔を見せ合った。互いに刻まれた皺を見て、時の残酷さを噛み締める。
ルミナがぽつりと呟いた。「あの頃は、みんなが信じるモノが漠然としてて、ただ明日を求めて。私はあの頃のソラリスが好き」
ユンボは渋い声で返した。「今は……命を守るのに必死な時代だ。だから君の理想とするソラリスはもうない」
その言葉にルミナは冷ややかに笑う。「守るだけでは何も変えられない。だから私たちは歩んできた。次に来る変革のために… そしてその変革を求めて戦うものこそがソラリスよ」ルミナ断言し、ユンボを睨んだ。
ユンボは反論する。「夢ばかり追いかけて死んだ仲間を忘れたか?生き残ることも戦いだ。戦場に戻ってこなかった奴も、姿を消したものもみんなソラリスの仲間だ。戦うものをソラリスと定義づけているようでは、いつまで経ってもソラリス残党といわれるのも納得だな」二人の声は静かだったが、互いの理想を引き裂く鋭さがにじむ。大人になりすぎたがゆえの諦めと、消えきらない理想が
「よくもあんたがそんなことをいう。あんたはこの世界の、ソラリスの未来を考えたことはないの?」
ユンボはルンボの瞳を正面から受け止める。そこにあるのは怒りでもなく、ただ深い痛みだった。
「未来、か……。言葉だけならきれいに聞こえるが…では、その未来とやらのために、また誰かの命を踏みにじるのか?それがお前の言う未来なのか?ソラリスが信じてきた未来なのか?」
ルミナはわずかに顔をしかめる。「私は…少なくともあの子たちに選ばせたいのよ。奪われるばかりの未来じゃなく、自分で奪い返す未来を。」
ユンボは眉を寄せ、低く唸る。「そのためにまた血を流すのか?お前は変わらないな、ルミナ。おまえは変わらないな。」
「……そうね、変わらない。けれど変わらない私がいるからこそ、あの子たちに立ち向かう術を示せるのよ。」
ユンボの目がわずかに揺らいだ。
「お前は……本当に相変わらずだな。」
ルミナは少し笑った。「あんたもね。やり方は違うけれど、あの頃から結局、背負ったものを捨てられない。」
二人の間に沈黙が落ちる。遠い昔に交わした理想、そして現実に押し潰されそうになりながらも守り続けた矜持。その全てが、今もなお互いを突き動かしている。
「……ルミナ。お前の目的はなんだ?なぜソラリスを名乗った?」
ユンボが静かに問うた。
ルミナはわずかに瞳を潤ませ、「ソラリスを名乗ったのはそれが一番適していたから。かつての星間連合への反抗勢力の名を受け継ぐ。これはあなたが思っている以上に効果があってね。」と答えた。
その答えは、ユンボにとって複雑な感情を生んだ。
「しかし、かつてのソラリスと今のソラリス残党は明確に違う。それはあの時…ウィルと共に会ったソラリスを知っているお前が一番感じているはずだ」ユンボは強くルミナに言い放った。
しかし、ルミナは張り合うように強く、「時代は変わったんだ!!あの頃は戻らない。それでも…」と声を荒げた。
打ち捨てられた駅の小部屋に、小さな風の音が鳴った。ルミナは呼吸を乱した。しわの増えたその顔に、若い頃にはなかった深い疲れと、そしてあきらめきれない理想を映し出していた。
ユンボは苦い顔でソーラ・コアの名を口にした。「あの忌まわしい人口太陽を止められるなら、どんな犠牲も払うべきだ。しかし、その犠牲とは未来ある子供たちではなく、かつての業を背負った我々年寄りがやることだ。」
ルミナは同意しながらも語気を強めた。「でもそのあとが必要なのよ。地球に代わるエネルギー基盤を用意し、ソラリスを真の組織として再興する。そしてウィル・トールの帰還に備える。人は受け継げば受け継いでい行くほどその本来の目的を忘れ、それは文化や習わしとして風化していく。それではいけないの。彼が戻ってくる場所は、彼を覚えている私たちが作らないといけないのよ」
ユンボは首を振る。「ウィルはもういない。現実を見ろ。俺たちは他星の連中と共存しなければまた滅びる。」
ルミナは険しく笑った。「あなたの言うそれも、理想じゃないか。未来を握るのは恐れを超える狂気と覚悟だけよ。」二人の間にはかつてにない深い溝が生まれていた。
ネプトがソラリスに加わってから、ちょうど一週間が過ぎていた。かつての地下駅舎を改造したこのアジトの空気にも、わずかに慣れが生まれていた。
朝は、まだ薄暗い大広間に並ぶ粗末な椅子を抜け、食堂の金属製の扉を押し開けるところから始まる。ネプトは割り当てられたC-14の部屋を出るとき、小さく伸びをした。地下特有の湿り気と鉄の匂いが鼻を打つが、もうそれを不快だとは思わなくなっていた。
食堂では、配給用の粗末な自動加熱器からわずかに立ち上る湯気が朝のサインだった。ネプトはトレーを手に取り、味のほとんどしないパンとレトルトスープをよそい、壁際の古い椅子に腰かける。周りには早くから活動するソラリスの仲間たちが、作戦の打ち合わせや端末のチェックをしている。
(ガーディアンの残骸はルミナさんにお願いして回収してもらったが、ガーディアンはもう動かせない。だから新しいHIが欲しいが…)
「おはよう、ネプト。」と、HI設計の技術者エリナが声をかけてきた。褐色の肌に無造作にまとめた髪が、少し寝癖で跳ねていた。
「おはよう、エリナ。今日も忙しそうだな。」
ガーディアンの回収計画が始動し、ソラリスの技術者たちが重機を用意して準備を進める中、ネプトは新たなHIの設計に挑んでいた。
今回、ネプトの新たなる部隊<トライグル部隊>のフラグシップ機の開発ということもあり、ルミナが莫大な予算を提供したものの、ネプトたちが進める新型HIの設計は大きく難航していた。
ネプト仕様機O(仮称)と名付けた新型HIの構想は、ネプトの理想とエリナの要望。そして整備班の都合などを織り込むごとに技術的な壁が高くなっていた。
「……で、この“顔”って本当に必要なのか?」
エリナが図面に描かれた特徴的なマスク部分を指さしてため息をつく。
「これじゃあ機械化した人型の化け物みたいよ。白い一つ目なんて不気味すぎる。軍だって採用したって二つ目だよ?」
「……一つ目でいいんだ。これは僕の中での象徴でなくてはならないからな」
ネプトは静かに言い切った。
「今までのHIは人の代わりだった。でもこれは、人の怒りや悲しみを象徴してもらう。だからこそ顔がいる。人の顔ではないのはそういうわけなのさ」ネプトはパンをちぎってそういった。
「わかるけど……その顔は周囲に威圧感しか与えないわよ?整備班に悪夢を見せるのが目的なの?」
そこに話を聞きつけた整備班長、ダグラスも渋い顔で加わった。
「おいネプト、運用考えろ。お前の理想ばかり詰め込んでりゃ、整備する身の苦労が増えるだけだ。」
「むぅ、一度場所を変えよう。整備ドックでいいな」
ネプトは苦笑混じりに、席を離れた。
整備ドックにネプトが向かおうとするとタブレット端末を持ったユンボと遭遇した。
「おや、冴えない顔をしているな。何かあったのか?」ユンボはまるで息子と話すように気さくに話しかけた。
「やあ、ユンボ。何でもないさ、ただ設計がなかなかうまくいかないだけだ」ネプトも満更ではなさそうに返すと、「例のガーディアン回収は何とか急がせたが、本当に破壊したアウリアン兵器も同時に回収する必要があったのか?」ユンボの疑問はネプトの想定しているうちであった。
「新しいHIのコントロールは旧式の神経接続型から変更して俺の負担を減らすように設計したいんだ。だからガーディアンのデータが沢山ほしい。例えば敵側から見たガーディアンのデータでもな」
「それに、それだけじゃない。俺の作る新しいHIには異星人たちの技術を搭載する予定だ。ヒトの業を背負った象徴としては粋な発想だろ?」そう言ってネプトは設計図を整備ドックへ持って走っていった。
ドックへ着くとネプトよりも先にエリナがデータの分析を始めていた。
「早いな、それでガーディアンのデータを残しつつそのデータをもとに新たなる操縦システムに切り替えることは可能か?」ネプトがそう聞くと、エリナは難しい顔をした。
「不可能ではない気がする?みたいな… 正直旧式のデータからなんてやったことないから今までのノウハウとか吹いて飛んじゃうよ」
「すまない、君には無理をさせてしまっている。」ネプトがエリナに謝っていると、ダグラスが足音を立て、ネプトに迫った。
「俺には無しか?作るとなったら整備するこっちの目線に立ってもらわんと困るんだ」
「分かっているつもりだ。だから頼む。新しい時代のために、僕の構想聞いてくれないか」ネプトは深々と頭を下げた。ダグラスは意外だったらしく目を丸くした。
「思っていたより、いさぎの良い。ただのわがまま坊ちゃんだと思ってたぜ。よし分かった。聞くだけ聞いてやらんこともない」
「複雑に言う」エリナ諦めたようにつぶやき、今一度ダグラスと共に設計図を覗いた。
「ガーディアンの回収が間に合えば、解析したパーツも流用できる」
「でも現状だとエネルギーフレームの供給量が足りない。あの街の補給網じゃ焼け石に水だ」
「なら転用できるレール砲のフレームを再利用すればいい。予備兵器は残ってるはずだ」
「でも動力が足りない!」
三人は息を詰めて図面を覗き込み、時に声を荒げながらも、どうにか理想のHI像を描き出そうとしていた。
さらに、ネプトは異星人のHIから回収したパーツを一部流用しようとしていた。
「異星パーツを一部でも入れるなら制御系も一新しなくちゃならないわ。下手したら自分で自分を制御できなくなる。」
エリナが警鐘を鳴らす。
「それでもだ。あの強度は魅力的だ。」
「でかくなりすぎるって言ってるでしょ!」エリナとネプトの衝突を割って入るようにダグラスが指摘した。
「腕は従来の足のクレーンを使えばいいとして… 問題は新型の足だな。この設計図通りに作れば全長31メートル級になるぞ。そんな大きい機体は過去を振り返ってみても指で数えられる程度さすがに大きすぎる。クレーンも従来のものではダメかもしれんぞ」
「わかってる。31メートルともなればドックに入りきらないな。縮めることはできるのか?」ネプトがダグラスに尋ねると帰ってきたのは意外な答えだった。
「骨格フレームをアウリアン兵器のものにすれば可能だ」
「本当か!?ならば搭載するミサイルはヴァルカリアン兵器が積んでいた追跡式のを一部積みたい。確か予備があったな?」
「そうだね、こんな時でもなきゃ使う機会のない代物だし… そうだ!この際いったん全部載せてみちゃうてのはどう?」
そのエリナの何気ない一言が、その場にいた全員の頭を一気に刺激した。
「全部……か。」ダグラスが片眉を上げて吐き出すように笑う。「いいや、悪くない。どうせ手探りだ。だったら夢を見るくらい…」
「そうだな。」ネプトも小さく頷いた。燃えるような瞳で、視線を設計図へ落とす。
――アウリアン技術のリニア型超伝導アクチュエータ
――アウリアン技術飛行技術エアリアル・オプティマイザ
――ヴァルカリアン兵器の高出力マイクロミサイルポッド
――クリケトス兵器の装甲材質イデアライト
――クリケトス兵器のナノ修復システム
――旧戦争時代の多関節駆動技術
――地球側の可変出力型リアクター
――地球連合で実証だけされて眠っていた電磁投射砲
――ガーディアンの旧式のOSを進化させた進化型フレームワーク
白紙に近かったネプト仕様機O(仮)の設計メモは、あっという間に殴り書きで埋め尽くされていく。
「これ……どうやってまとめる気だよ。」ダグラスが苦笑混じりに言う。
「無茶苦茶ね……でも、やってみる価値はある。」エリナは細い指で髪をかき上げながら笑った。
「戦うってのは、こういうことだろ。」ネプトはまっすぐに前を見て言い切った。「最初から無理かもなんて考えてたら、何も変えられない。」
ダグラスは苦々しい表情で肩をすくめた。「整備するこっちの身にもなれっての。」
「そこを、なんとか頼みたい。」ネプトが再び頭を下げると、ダグラスも不承不承ながら大きくため息をついた。
「まったく……ガキの無茶には慣れたつもりだったが、お前は飛びぬけてる。」
メモ用紙の端には次々に走り書きが追加されていく。
「異星パーツの流用」「生体インターフェースの廃止、新フレームワークの開発」「可変関節の強化」──。
本来なら研究だけで何十年かかるかという夢物語のような要素が、紙の上に当たり前のように並び、どんどん膨れ上がる。
「こりゃ……化け物だな。」
思わずダグラスがつぶやいた。
やがてエリナが最後に一言、静かに付け加えた。
「もしこれが形となったとしてもマーキングも塗装も間に合わないわよ。形にするだけで精一杯。」
「構わない。」ネプトは即座に答えた。「塗装なんて暗闇になればわからないものだ。それに、そのほうが怖いだろ」
その声に、技術者たちは顔を見合わせた。その顔はわずかに興奮があった。
金属の冷たい匂いが漂う整備ドックに、微かな風の音が鳴った。
それが始まりを告げる鐘の音のように低く響いていた