クレイジーダンス
薄暗く、空はひどく悪い模様をしていた。時折、カミナリが地を叩き、鋭い閃光が雲を裂く。雷鳴は遠くで腹の底を震わせるように轟き、鉛色の雲が低く垂れ込めている。どこか不吉な予兆を孕んだ午前だった。
そんな中、私は淡々と基礎科目の授業をこなしていた。HIが解放されてから、数週間。以前に比べると、学校での授業はずいぶんと楽になった。教師たちも、そして生徒たちも、今は二週間後に迫る体育祭のことばかりを意識している。だれが優勝するか、どのチームが輝くか――その話題で校内は持ちきりだ。
だが今日は、いつもと違う特別な日になる予定だった。特別講師が来るらしいのだ。「ソラリス」という名の軍に属する、本物の軍人が授業を行うと聞いた。軍学部では昨日からすでに指導にあたっていたようだが、社会歴史学部の私にとってはよく知らない人だった。
「ミイナ先輩! 昨日、新しい先生が来たって聞いたんですけど、どんな先生だったんですか?」
私は緊張と好奇心を胸に、同じチームの先輩へ声をかけた。相手は軍学部二年のミイナ・ダバス先輩。いつも柔らかな笑顔を浮かべる人だ。
「フィリカちゃん。うーん……結構、怖い感じの人だったよ」
いつも優しい彼女の口から出た「怖い」という言葉に、胸の奥が少しざわめく。
思えば先輩たち――ミイナ先輩だけでなく、クアラマ先輩やディンロン先輩も、私をよく気遣ってくれる。けれど、本来なら彼女たちがHIを乗りこなすために軍学部へ進んだはずだ。なのに、シミュレーターの成績などの理由から、今は私の方がパイロット候補として前に出ている。立場を奪ってしまった形だ。普通なら恨まれても仕方がない。
それでも彼女たちは、私に操縦のアドバイスを惜しまずくれる。だからこそ、その優しさが、よりいっそう胸に染みて痛む。
「怖い人なんですか!? 嫌だなぁ。怖いの苦手ですよ、私……」
口では軽く冗談めかして言ってみたけれど、内心は怯えていた。もし高圧的で威圧するような人だったらどうしよう。ちゃんと明日も笑って生きていられるだろうか――そんな不安が、胸の奥に広がっていった。
午後。私と仲間たちの最初の軍人による授業は、第一演習場で行われる予定だった。だが外は雨。窓を叩く雨粒が、今日だけは授業中止になってほしいと願う私の気持ちを後押ししているように思えた。
だが、天は残酷だった。願いも虚しく、三十分も経てば雨は弱まり、二時間後には嘘のように青空が広がっていた。眩い太陽が、これでもかというほどの輝きを放っている。
――ああ、今日から夏入りだっけ。
明るすぎる空に、私は憂鬱を覚えた。夏は嫌いだ。羽耳は蒸れて不快だし、帽子やフードをかぶっていればすぐに汗だくになる。息苦しくて仕方がない。どちらかというと、ひんやりとした空気に包まれる冬の方がずっと好きだ。
やがて授業の時間となり、私は第一演習場へと足を運んだ。全生徒が整列すると、いつものようにカイ先生が足場に上がり、メガホンを手に声を響かせた。
「今日は軍から特別な講師が来てくれました。レイ・ソーン少尉です」
その名を呼ばれると、ゆっくりと足場に登ってきたのは茶色の髪と、鮮やかな黄色の瞳を持つ軍人さんだった。服装は軍人さんらしくないラフなものだが、その下に隠された鍛え上げられた筋肉の輪郭は服越しにすらはっきりと浮かび上がっていた。
カイ先生がメガホンを手渡す。だが、軍人さんは声を通しても音は響かない。私は気づいていた。カイ先生は「つけっぱなし」が嫌いだ。渡す前に、いつもの癖で電源を切ってしまったのだ。ドアも電気も、何もかも「つけっぱなし、やりっぱなし、開けっぱなし」が嫌。だから、私もつい先生に甘えて、いろんなものをやり忘れるのだけれど……。
軍人さんはスイッチに気づき、電源を入れ直した。今度はしっかりと声が響き渡る。
「あー、あー。聞こえてるな……よし!」
彼は全員を見渡し、胸を張って宣言した。
「こんにちは! 俺はレイ・ソーン少尉だ。ここにいる少年少女の諸君、体育祭で勝ちたいそうだな? 先生からそう聞いた。だったら任せろ! 強くなりたい奴は全員俺のところに集まれ! 鬼メニューで最強にしてやる!」
その豪快な言葉に、生徒たちは一斉に「おー!」と声を上げた。その中で、ひときわ大きな声をあげた生徒がいた。それは、きっとユイチカ君だ。軍学部所属の彼はすでに昨日から授業を受けていた。元気そうに声を上げている姿を見ると、少なくとも危険な人ではなさそうだと安心する。
ミイナ先輩が「怖い」と評した軍人は、私の目にはむしろ兄貴肌で頼れる人に映った。
――そう思ったのも束の間。
カイ先生がさらに衝撃の言葉を発する。
「それと、もう一人。ソラリス軍から来てくれました」
驚いたのは生徒たちだけでなく、レイ先生自身だった。足場に登るもう一人の軍人さんを見つめ、目を何度も瞬かせる。
「みんな、聞こえるかな? 俺はルシヴェール・リード伍長。戦闘はまだまだだけど、整備兵としての経験は長い。困ったら相談してくれ」
そう言って彼は軽く一礼し、レイ先生の隣に並ぶ。その二人の間に、見えない何かが流れていた。親しさか、あるいは緊張か――私にはわからなかった。
やがて授業が始まり、パイロット候補の私たちはレイ先生のもとに集められる。彼の指導は驚くほど的確で、瞬時に私たちの強みと弱点を見抜いていく。
「エアリア! 火力に頼りすぎだ! お前の本当の武器は、その精密な射撃能力だろ! 」
「ヴァルム! お前の動きは良いが、独りよがりだ! チーム戦じゃ命取りだぞ!」
彼は時に厳しく、しかし核心を突いて指摘していく。その中で、私とレティカ先輩の連携具合も試され、現状の課題が浮き彫りになった。
そして突然、彼は小さな機械を取り出し、音楽を流し始めた。ピアノだけで演奏される激しい曲――確か「クレイジーダンス」だ。狂ったように踊る指の動きを連想させる旋律に合わせ、私たちも動きを洗練させていった。初めは困惑したが、やがて不思議な高揚感が胸に広がる。
その華々しく、新しい出会いによって新しいステージに立ったフィリカたちの裏側で――。
演習場の隅、整備区画では別の出会いが行われていた。
「いいな……私も……」
ミイナは、黙々と工具を手に機体の装甲を磨きながら、つぶやいた。目は正面を見ているのに、視線の奥は演習場で躍動する仲間たちを追っている。
その隣でクアラマが奥歯を噛み締めた。
「……っ」
言葉にならない悔しさを唇に押し込む。その音を聞いたディンロンは、手にしたスパナをぎゅっと握り込み、俯いたまま動きを止めた。
三人は軍学部の生徒。本来なら、この場の主役であるはずだった。しかし結果は無情だ。シミュレーターで成績を残せず、パイロット候補からは外され、体育祭では社会歴史学部や開発実用学部の生徒――つまりフィリカたち――の「サポートメンバー」として裏方に回ることになった。
その現実が、胸をえぐる。
「おい、お前ら。他学部のお守り、ご苦労さん」
不意に、通りすがった軍学部の男子生徒が吐き捨てるように言った。皮肉と侮蔑の入り混じった声だった。
「……っ!」
クアラマが反射的に顔を上げ、言い返そうとした。だがミイナが慌てて制する。
「やめて。……事実だから」
「でも、ミイナっ!」
怒りを抑えきれないクアラマの肩を、今度はディンロンが掴んだ。
「言い争っちゃダメだ、クーちゃん……」
低く、しかし真剣な声だった。
三人は、ただ悔しさと無力感と、フィールドで輝くフィリカたちへの嫉妬を飲み込むしかなかった。言葉にした瞬間、それは自分たちの惨めさをさらに強調する。だから何も言えず、ただ黙って巨人の足を磨き続けるしかなかった。
――そのとき。
「君たち! そんなこと言ったらダメだろ」
陽気な声とともに現れたのは、整備兵上がりの軍人、ルシヴェール・リード伍長だった。肩から提げた小さな音楽プレイヤーから、明るい旋律が流れている。彼は場の空気を断ち切るように、生徒たちの前に立ちはだかった。
「なんだよ、事実だろ! 軍学部なのにパイロットになれなかった。そんなの、恥ずかしいだけじゃん」
挑発的な男子生徒の言葉にも、ルシヴェールは怒りを見せない。むしろ穏やかに微笑み、まっすぐに見返した。
「意味ないなんてことはないさ。俺も昔は整備兵だった。そのことに後悔はない。それに、整備してくれなきゃHIはただの鉄屑だ。パイロットのために魂を吹き込むのが整備士の役目だ。そして彼女たちは、その立場を立派に全うしている。それを笑っていい権利なんて、君たちにはない」
真剣な眼差しに、男子生徒たちはたじろぎ、「……すみません」と言ってそそくさと去っていった。
「まったく……困るね。整備だって、大変なのに」
ルシヴェールが肩をすくめると、緊張がほどけたのか三人は思わず笑った。
「先生、やるじゃん」
「ありがと、先生」
「助かったですよ!」
その笑顔を見て、ルシヴェールも優しく微笑んだ。左目の下にある小さな涙ぼくろが、どこかチャーミングに輝いた。
ふと、ミイナが流れる曲に耳を澄ませた。
「この曲……いい歌ですね。優しい……」
ルシヴェールは嬉しそうに目を細めた。
「うれしいな。これは僕の故郷で愛されていた歌なんだ。昔はよく、レイと一緒に歌ったよ」
「レイ少尉と……? 昔からの知り合いなんですね」
「おいおい、先生だろ?
そうだね、十年近く会ってなかったけど、その前は家族ぐるみでよく遊んでた。今でも、大切な親友だよ」
彼は一呼吸おくと、真剣な目で三人に尋ねた。
「整備は……嫌いかい?」
三人はしばらく黙ったが、やがてミイナがゆっくりと口を開いた。
「……嫌いだけど、好きです。今日のお話を聞いて、私たちがやっていることも大事なんだって気づきました。だから……嫌いだけど、好きです」
クアラマもディンロンも、それに深く頷いた。
三人もまた、この日を境に新しいステージへと足を踏み入れていた。
訓練後の食堂は、いつも以上に活気に包まれていた。湯気の立つ皿、香ばしい匂い、笑い声があちこちで弾ける。
「お疲れ! 今日もすごかったじゃん、フィリカ!」
ユナが私の分の食事をトレーに乗せて、席で待っていてくれた。テーブルにはE-07室の仲間と、すっかり常連になったレティカ先輩もいる。先輩は疲労困憊で、半分目が死んでいる。
そこへ、長身の人影が二つ近づいてきた。影に気づいた瞬間、レティカ先輩は慌てて表情を整え、にこやかに微笑み直す。
「よう、今日のMVPたち! 俺からジュースを奢ってやるよ」
豪快な声とともに現れたのはレイ先生。その隣には、どこか落ち着かない様子のユイチカ君がいた。
「こいつも誘ったんだが……おい逃げんな! いつまで一人で食ってる気だ!」
レイ先生は半ば強引にユイチカ君の背中を押し、空いた席に座らせた。
「え、えっと……」
戸惑う彼に、先生はニヤリと笑った。
「こいつ、意外と面白いのが好きなんだ。笑いの沸点も低い。何か面白い話をしてやれよ」
「ほんと!? よーし、任せて!」
ユナが満面の笑みで渾身のギャグを披露する――が、テーブルは静まり返った。
「……面白くないね~」
チルがぼそりと呟く。ユナは真っ赤になって俯く。その仕草に、全員が耐えきれず吹き出した。ユナ自身も恥ずかしそうに笑った。
その瞬間、場は不思議な一体感に包まれた。ユイチカ君も自然に笑っていた。今まで見せたことのない素顔を、私たちは初めて垣間見た。
レイ先生は満足そうにうなずいた。
「サイコーだなお前ら。やっぱ連れてきて正解だった」
そう言って、ユイチカ君の頭をわしゃわしゃとかき回す。
先生はおもむろに音楽を流した。
すると、ナミが苦言は呈した。
「あの、先生……食事中に音楽は、しかもジャズなんて…」
「ああ、悪い。癖でな」
軽く笑って音量を下げるレイ先生。ナミはジャズのような激しい曲調は嫌いだと、前にレティカ先輩が言っていたのを思い出す。
「ジャズは嫌いか?あれはいいぞ、ハマればハマるほど常に聞いていたくなる」
どうやらレイ先生は音楽…それもジャズが好きらしい。そんな話をユイチカ君から聞いた。改めて彼の声を聞くと、優しい声色だ。
聞くところによると、先生との出会いは6年前、軍に入隊したての先生によく遊んでもらっていたらしい。だからユイチカ君は先生を兄のように慕っているらしい。そう聞けば聞くほど、やはりこの先生はいい先生だ。
和やかな時間が過ぎていく。私はふと、純粋な興味から尋ねた。
「レイ先生って、何か夢とかあるんですか?」
彼は少し考えるように黙り、口元についたクリームシチューを指で拭いながら、自然な調子で答えた。
「――ああ、夢か。そうだな……」
そして、ごく穏やかに。
「この世界から、異星人を一匹残らず、ぶっ殺すことかな」
一瞬で、空気が凍りついた。
食堂の喧噪が遠のく。
ユナの笑顔が消える。
レティカ先輩の顔が硬直する。
ナミもチルも言葉を失う。
レイ先生だけが、きょとんとした顔で皆を見渡している。
「……どうしたんだ? 俺、何か変なこと言ったか?」
ああ――そうか。
この人にとって、それは「夢」なんて綺麗な言葉じゃない。呼吸のように当たり前の「日常」なのだ。
私という「異星人」を目の前にしながら。悪意ひとつなく、ただ当然のこととして。
今まで築いてきた信頼も、憧れも、すべてが音を立てて崩れ落ちていく。
この人にとって、私は……敵だ。
「腹減ったな。おかわりしてくるか」
そう言って立ち上がる彼の背中。大きく、頼もしかったはずのその姿が、今はただ恐ろしく見えた。
次回の更新は10月7日の19時です╰( ´◔ ω ◔ `)╯




