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灰陽航路(かすがいこうろ)  作者: Asuga
第一章・1⇔2T@rt
4/28

人の太陽

 地下ハッチが重い金属音と共に閉じる。外界の光と戦闘の気配が遮断された。ガーディアンのコックピットハッチが油圧音を立てて開き、消毒液とオゾンの混じった冷たい空気が流れ込んできた。ネプトは父の飛行機オブジェを握りしめ、アルケを支えながら降り立つ。彼女の呼吸は浅く、首のエラ器官が不気味に痙攣していた。地上の大気は彼女のヴァルカリアンの血を蝕んでいる。


「何度見てもヒデェ有様だな~」

揺れる裸電球の明かりの中から、低く響く声がした。壁の影から二人の男が現れた。一人は筋骨隆々の巨漢アグリッパで、作業服の上からも分かる古傷が顔や腕を縦横に走っている。もう一人は細身で眼鏡をかけたユンボ、白衣の胸元にかすかに「静かなる太陽の輪」を塗りつぶした跡があった。彼らがじっと見つめるのは、オイルと海水を滴らせ、無数の傷痕と歪みを負ったガーディアン・ペリカンユニットだった。


「あれがレオンの息子と、あの『希望』の娘か」アグリッパが顎をしゃくってガーディアンを指さした。その目には、長く戦ってきた者特有の諦観と、わずかな興味が混ざっていた。


 ユンボは静かに近づき、アルケの状態を素早く診察する指が器用に動いた。「ヴァルカリアン遺伝子の拒絶反応…ソラリウムE3が急務だ。連中に捕まる前に処置しなければ、彼女の内臓は数日で溶解する」その言葉は淡々としていたが、緊迫感を帯びている。


「何度も言うが大切なお客様だからな、アグリッパ」ユンボは巨漢を一瞥した。「馬鹿な真似はするなよ。レオンが命をかけて繋いだ細すぎる糸だ」


 アグリッパは大きく鼻を鳴らした。「何度もじゃねえ、二度しか言ってないだろうが。…せいぜい、このガキに『現実』の味を教えてやるだけさ」


 ネプトはユンボにアルケを預け、アグリッパと対峙した。「父さんが…ここで何をしていた?ソラリウムE3はどこだ?」


 アグリッパの口元が歪んだ。「そう焦るな、ガキ。その前に、お前の父さんが本当に反対したもの…そして俺たちが今も戦っている『怪物』を見せてやろう」彼は分厚い金属製の隔壁ドアへ歩き出した。ドアには「生体反応管理区画」の文字がかすかに読み取れた。


 ドアが開くと、冷気と共に漂ってきたのは…消毒液の匂いではなかった。鉄と塩、そしてどこか甘ったるい、生命の萌芽のような生臭さが混ざり合った、生理的な嫌悪を催す空気だった。ネプトの足がすくんだ。


 目の前には、巨大な空間が広がっていた。天井まで届く無数の円筒形の培養槽が整然と並び、青白い液体の中で無数の「何か」が漂っている。近づいて見たネプトは、声を失った。


 人間だった。


 年齢も性別もバラバラ。幼子から老人まで。しかしどれもが完璧な複製のように幾つも同じ顔をしていた。目は閉じているが、微かに呼吸しているのが分かる。胸には連合ものとは違う別の識別コードが刻印されている。


「なんと…」ネプトの声が震える。


「地球政府の『人工太陽』計画の心臓部だよ、ガキ」アグリッパの声には激しい怒りが渦巻いていた。「美しい『新たな光』を生み出すための、巨大な臓器だ」


 彼は近くの制御コンソールを叩いた。スクリーンに複雑なエネルギー転送図が表示される。図の中心には「ソーラー・コア」と表示された球体があり、そこから無数のラインが伸びて…培養槽内のクローンたちに繋がっていた。


「見ろ」アグリッパが図の一部を拡大した。ライン上で「生体エネルギー」が吸い取られ、ソーラー・コアへと集約されていく様子が克明に映し出される。「かつて連合が開発した『生体エネルギー直接転換技術』…これを安定稼働させるための『触媒』兼『バッテリー』が、こいつらだ」


 ネプトは培養槽に手を当てた。冷たいガラスの向こうで、自分と同じ年頃の少年のクローンが微かに息づいていた。その顔つきは、幼い頃のネプト自身にどこか似ていた。


「…犠牲の数は?」ネプトの声はかすれていた。


「数?」アグリッパが嗤った。「数えられるもんか!ここの施設だけでも数千…いや数万だ!そしてこの施設は地球中の『影』に存在する!ソーラー・コアの起動テストのたびに、何百体ものクローンが灰になる。文字通り、生きたまま干からびて、灰になるんだ」


(そんなものを生み出してしまう地球政府とやらは、僕らのような人々をはじめから考えていない。それどころか人を複製し犠牲にしようなどと…)


 スクリーンのデータが切り替わり、一つの警告文が赤く点滅した。

[警告:ソーラー・コア 完成予測 - 69.3%]


「そしてこれが、レオンや俺たちが命を懸けて止めようとした真の理由だ」ユンボが静かに口を開いた。彼はアルケに応急処置を施しながら話を続ける。「人工太陽『ソーラー・コア』…それは完成すれば、確かに地球を照らすだろう。しかしその本質は、この膨大な生体エネルギーを『燃料』とした、制御不能な怪物だ」


 彼はスクリーンを指さす。シミュレーションデータが、ソーラー・コア稼動後の地球の姿を予測していた。大気組成の異常変動。地殻への過剰なエネルギー負荷による超巨大地震の多発。そして最悪のシナリオ…コア自体の暴走による惑星規模のエネルギー蒸発。


「政府はそれを知っている」ユンボの声は冷徹だった。「それでも彼らは進める。『人類の存続』という大義のためなら、クローンという『道具』の犠牲など問題ではない…いや、むしろ『倫理的な問題を回避できる効率的な資源』とさえ考えている」


「お前の母さんが必要とするソラリウムE3もな」アグリッパがネプトを睨みつける。「あの酵素を作り出す遺伝子組み換え植物…あれを育てるために必要な特殊な土壌改良剤の原料はな、こいつら『枯渇』したクローンの遺灰から抽出したリン化合物なんだぜ」


「…っ!」ネプトの胃が逆流しそうになった。母を救う薬が、無数のクローンの死の上に成り立っているという衝撃。父がソラリスの過激な思想を嫌いながらも、この現実を前にして戦い続けた理由が、骨の髄まで理解できた。


(母が生きるためには人口太陽のことには目をつぶりその恩恵だけ受けろと…これだけの罪のない彼らを、彼らの命を奪っていい道理などないはずだ)


 その時、頭上で鈍い衝撃音が響いた。天井の埃が舞い落ちる。警報がけたたましく鳴り始めた。

[警告:上部区画 武装勢力侵入確認]

[識別:連合軍特殊部隊 / アウリアン監視兵]


「早かったな!連中(奴ら)鋭い!」アグリッパが拳を握りしめる。


 ユンボは素早くアルケの処置を終え、ネプトに小瓶を渡した。「これがソラリウムE3濃縮剤だ。すぐに彼女に投与しろ。効果が出るまでには時間がかかる」彼はネプトの目を真っ直ぐに見つめた。「そして、決断の時だ、ネプト・アンビション」


「決断…?」ネプトは小瓶を握りしめた。父の飛行機オブジェがポケットで重く感じる。


 ユンボは、クローン培養槽の奥にある巨大な制御装置群を指さした。ソーラー・コアの起動テストを制御する中枢コンソールだ。

「レオンは、この施設に潜みながら、二つの道を用意していた」ユンボの声は静かだが、鋼の意志を宿していた。「一つは、ソーラー・コアを完全に破壊し、この非道を止める道…」


「もう一つは?」ネプトが問う。喉がカラカラだった。


「諦めて死ぬかだ」ユンボの目が鋭くなる。「どちらを選ぶ?父が遺した選択を、今、お前が下すのだ」


「初めから選択させる気のない!」ネプトはいら立ちを見せたが存外、不満そうではなかった。


「そういう男でもあったのさ」ユンボは疲れたように苦笑いをした。


 頭上で激しい銃撃戦の音が炸裂した。壁が震える。アウリアンの特殊部隊が地下へ迫っている。


 ネプトはアルケの苦しげな横顔を見た。ソラリウムE3の小瓶を握る手に力が入る。そして、無数のクローンが漂う青白い培養槽を見渡した。父が守ろうとしたもの、母を救うために必要なもの、そして無数の無言の犠牲…全てが彼の肩にのしかかる。


「僕たちは…」ネプトはゆっくりと口を開いた。その目は、深海を脱した時よりも、はるかに深い闇と、その先にあるわずかな光を見据えていた。「…『罪』など犯していない。お前たちのほうがよほど罪深いじゃないか!僕らはただ、生きようとしただけだけなのに」しかし声だけは悲痛で歯を食いしばりようだった


 彼はコックピットへと走り出した。「ガーディアンで行くが構わないな!!」


 ネプトの決断が下される瞬間、アグリッパの口元に、長い戦いの果てに見いだした「答え」への、荒々しい笑みが浮かんだ。

「了解だぜ。ネプト」

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