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灰陽航路(かすがいこうろ)  作者: Asuga
第二章 陽
37/48

「サイドストーリー〈ナミ〉」見える景色

 私の正しさは、ずっと「規則」だった。

 決められたルールを守り、逸脱せず、常に最善を尽くすこと。それが、自分と、そして大切な人を守る、唯一の方法だと信じていたから。

 フィリカの秘密を守ると決めるまでは――。


 仲間と共に、規則の外へと一歩踏み出したあの日から、私の「正しさ」は、音を立てて揺らぎ始めていた。そうして、心の奥底にずっと封じ込めていた問いが、蘇る。

 兄さんは果たしてどうだったのだろうか…。


 兄、イオリ・キリサワはダルムシュタット前生徒会長。

 HIの操縦技術も、整備の手際も、人望も、全てにおいて完璧だった、私のたった一人の兄。

 でも、彼は卒業後、何も告げずに姿を消した。忽然と、兄だけが溶けてこの世界に消えたように、誰も足取りはつかめなかった。


 でも、私だけは違った。兄が失踪する前日、私に言ったのだ。

「俺はナミが卒業するくらいまでは傍で見守ってるさ。心配…だからな」


 兄は優しい音楽が好きだった。暗い曲もうるさい曲も嫌いだった。

 私も兄が聴く曲が大好きだった。『西暦』と呼ばれた時代の後期に出た曲――静かで、どこか懐かしい旋律。それが兄の好みの曲だった。

 でも、兄が消えて、私の世界から曲が消えた。兄と一緒にあるはずの曲が。それからというもの、私は音楽を聴くと兄を思い出してしまい、あまり聴かなくなっていった。

 その時、学校のチャイムがそんな私をあざ笑うように鳴り響いた。


 私は今でも、兄がダルムシュタットの近くにいるんじゃないか、そんな気がしてならなかった。もし、兄がいるのなら。おそらくその場所は…ハウゼン。

 そして私は、校舎の中庭からハウゼンの街並みを見下ろした。

 あの町のどこかに兄さんが…。


 私はこのダルムシュタットに入学してからというもの、兄の居場所のことをアゼル会長に聞いても、当時をよく知るミカミ先生を頼っても、ろくな情報は得られなかった。ただ、「責任に押しつぶされるような人間ではなかった」や、「彼こそ模範的生徒だった」その程度だった。

 そうではない。私が知りたいのは、そんな過去の兄ではなく、今の兄なのだ。


 私が最後に尋ねたのは、私の友人の中で一番にハウゼンを知るレティカ・ヴァルム先輩だった。

「悪いが、知らない」

 しかし、最後の頼みの綱であったレティカ先輩ですら、私の兄のことは知らなかった。

「そうですか……」

 するとレティカ先輩は片手で、頭をかいた。

「……行くぞ、ナミ」

「え?」

「ハウゼンの情報屋を使えば、何か分かるかもしれねえ。……お前、兄貴に会いたいんだろ」

 彼女のぶっきらぼうな優しさが、私の心を後押しした。


 私は初めてハウゼンへと降りた。

 私が住んでいたニューロンドとは違い、その町は本で読んだニューロンド以外の人の町の姿と瓜二つだった。

 7年前の異星人支配体制から、異星人達が管理区域として動いてきた町、ハウゼン。ここには昔から人の営みがあった。

 ニューロンドでの戦いがあった後、かつての管理区域には異星人と私達人間が共生する、不思議な空間となっている。


「なあ?」

「はい…」

 私は自信なさげにレティカ先輩へと返事をした。彼女は周りにはよくかわいらしい顔をしているが、フィリカや私たちの前だと恐ろしく鋭い顔をよくする。正直、怖い。

「兄さんってさ、いるとどんな感じ?私兄妹ったことないからさ、気になるんだよ」

 意外だ。そんなこと気にもしていないと思ってた。

「あまり変わりませんよ。でも、少しだけ色恋に敏感になるかもしれません」

「じゃあ、あんまいなくてもいいかもな。私は…」

 レティカ先輩は難しそうな表情をして、目線は明後日の方向を向いていた。

「それと、兄の背中がすごく大きく感じます。私じゃどうやっても越えられないんだろうなっていうくらい、大きく強く見えるんです」

「好きなんだな、兄さんってやつのこと」

「尊敬してます。いつかあの人と同じ景色を見られたら… そう思わずにはいられません」

 すると先輩は、少しだけ考えるそぶりをした。


 私は、レティカ先輩の案内で、ハウゼンの場末にある、情報屋へと足を運んだ。そこで、お金を出し、イオリという名前について尋ねた。

 すると――。


「イオリねぇ、あたしその男知ってるわよ」

 と情報屋の屈強な男は話始めた。

「何ヶ月前かしら、イオリって名前の出来の良いつかいっぱしりができたとか、昔の男に言われたのよぉ~」

 私の動悸が高まる。

「その人、今どこで?」

「ここハウゼンから、あのダルムシュタットを越えた先に、かつて村だった場所があるの。そこは今、ジャンク屋たちの巣窟となってるの。そこにきっといるわ」

 私はようやく兄の行方の手がかりを見つけられた。そんな興奮がとめどなく私の中をのたうち回る。


「本当か?おっさん。金だけ巻き上げてバイバイ。は、ただじゃ置かねえぞ?」

 レティカ先輩は鋭くそう言った。きっとこの手の世界ではこのくらいの緊張感が必要なのだろうと、私の表情が固まった。

「やーね、だったら今回はお代は結構。次に会ったときにしましょう」

 情報屋の男はそう言ってウィンクをした。

「乗った。だったら、報酬1.5倍でいいぜ」

 指同士を弾き、音を鳴らすとレティカ先輩は興味深そうな顔をした。

「あら、いいの?その言葉忘れないでね。私はラーライ」

「私はレティカ。こっちはナミだ」

 私はお辞儀した。

「ナミです」

 すると、ラーライさんは何か思い出したかのように口元を丸めた。

「うん?レティカってアテルのところの?」

「知ってたのか…」

 レティカ先輩は意外そうに声のトーンが低くなる。

「これで少しは信用度は上がったかしら?」

「1.25倍くらいにしておけばよかったくらいには、だけどな」


 そうして私たちはラーライさんの店から出て、情報を信じ、兄のいる町はずれのジャンクヤードへと歩みを進めた。


 私達は3時間ほど歩き、巨大なジャンクヤードにたどり着いた。錆びた鉄の匂いと、オイルの匂いが混じり合う場所。そこには、役目を終えた機械たちの残骸が、墓標のように立ち並んでいた。その中で、黙々と作業を続ける、一人の男がいた。

 油に汚れた作業着。伸びた髪。プレイヤーから流れる女性の歌声。かつての輝きを失った、けれど、その瞳の奥に宿る、静かで、強い光。

「……兄さん」

 私の声に、男はゆっくりと顔を上げた。

「……ナミ…そうか、見つけられたのか」

 兄、イオリ・キリサワは、そこにいた。ダルムシュタットの伝説の生徒会長は今、過去を捨て、一人のジャンク屋として静かに生きていた。


 再会は、ぎこちないものだった。

「元気そうで良かったです」

「ああ、そうだね。ナミは…大きくなったね。顔つきも母さんに似てきて…すごく綺麗になった」

 私は兄を責めることはできなかった。姿を消したのはきっと兄さんなりの理由が必ずあるはずだから。

 でも…。

「どうしてですか?理由が知りたいんです。兄さん」

「理由は言うほどのものじゃない。俺は、俺のやりたいようにやった。……ただ、それだけさ」


『~When I saw the break of day~』


 古い音楽が流れる小さな事務所で、彼はそう言って、寂しそうに笑った。理想だけでは生きていけない。この理不尽な世界で、彼は新たな苦悩を抱えているようだった。

 そんな時、レティカ先輩はふと口を開いた。

「変な曲だな。最近流行りとは全然…方向性っての?が違うな…」

 すると兄は優しく、すごく古い音楽プレイヤーを撫でるように取り出した。

「この曲は『西暦』時代の曲でね、俺はこの曲を聞くと今日も頑張ろうって思えるんだ。

 ノラ・ジョーンズ。彼女の声は美しいよ」

「ふーん」

 レティカ先輩はつまらなそうに返した。


 その時だった。


 ドガァンッ!!


 事務所のドアが、凄まじい音を立てて吹き飛んだ。そこから転がり込んできたのは、血塗れの同僚と思われる男の人だった。

「……イオリさん……逃げろ……!」

「タキ! 何があった!?」

 兄さんが駆け寄るより早く、ドアの外から、下品な笑い声が響き渡った。

「よぉ、社長はいねえみてえだが、お前らで遊んでやろうじゃねえか!」

 兄さんの目は震えるように揺れた。

「……どうして僕らのHIを!?」

 イオリ兄さんの口から驚愕の声が響く。その瞳から、諦めの色が消え、冷たい光が宿る。

「ナミ、それから君! 君達は、動ける奴らを連れて、裏から逃げろ!」

「兄さんはどうするんですか!?」

「時間を稼ぐ」

 彼は、言葉を終えるより早く、事務所の窓を突き破り、外へと飛び出した。


「逃げはしないさ」

 その背中は、私が知っている、ただの優しい兄ではなかった。それは、かつてダルムシュタットで、「生徒会長」とまで呼ばれた男の背中だった。

 生身の兄さんが、スクラップの山を、まるで重力を感じさせない身軽さで駆け上がり、ゴロツキの一人が操る作業用HIモールの背後へと回り込む。そして、分厚い装甲の隙間、メンテナンス用のラッチに指をかけると、ハッチをこじ開けた。パイロットを引きずり出し、地面と突き落とした。コックピットへと飛び込むように乗り込む。


 ゴロツキの一人が、嘲笑う。

「ハッ、オンボロの作業機一機に乗って、俺達相手に何ができるってんだ!」

 しかし、次の瞬間、その嘲笑は驚愕に変わった。

 兄さんが駆る《モール》は、先ほどまでとは別次元の、まるで猛禽類のような動きを見せ始めていた。鈍重なはずの機体が、信じられないタイミングで、掘削用のドリルアームを地面に突き立て、それを軸に、巨体をコマのように高速回転させる。遠心力で振り回された、もう片方のクレーンアームが、予測不能な軌道で敵機を強かに二機、三機と次々と撃墜していく。

「なっ……なんだ、あの動きは!?」

 それは、もはやHIの操縦技術ではなかった。機体の重量、重心、関節の可動限界、地面の摩擦係数、その全てを瞬時に計算し、物理法則そのものを味方につけるような、神業の領域。本来は資材を「掴む」ためだけの、トルクの弱いマニピュレーターで、地面の鉄骨を鷲掴みにすると、それを即席の棍棒として振り回し、敵の攻撃を弾き、いなしていく。


 すると…

「貴様、これ以上暴れれば、お仲間が無事じゃあ、すまないぜ?」

 ゴロツキのHIは私たちが居る事務所の天井を掴みそういった。私たちは体のいい人質となってしまった。


 でも、兄さんはすぐ手を打った。

『――ナミ、聞こえるか!?』

 インカムから、兄の緊迫した声が飛んでくる。

「兄さん!」

『もう一人の子もいるな!? 事務所の中に、もう一機の《モール》があったはずだ。それを動かせ! 君達ならできる!』


 私とレティカ先輩は、ほとんど同時に、シャッターの奥にある、もう一機の《モール》のコックピットに飛び乗っていた。

 30年前から変わらない、ノーマルタイプの複座式のコックピット。私が操縦桿を、レティカ先輩が、隣で火器管制のコンソールを握る。

「ナミ、動かせるか!?」

「やってみます!」

 メインエンジンを起動させ、鈍重な機体を無理やり立ち上がらせる。


「舐めるなよ、ジャンク屋が!」

 ゴロツキたちが、一斉にこちらへ砲口を向ける。


 しかし、私が操るこの《モール》は、彼らが思うようなただの作業用HIではない。

 レティカ先輩の、開発実用学部としての機体構造への深い理解。そして、コックピットの外から、戦場全体を俯瞰しているかのような、兄さんの、戦術指示。

 ただのHIではない。この人たちと一緒にいて、負けるというビジョンは一切見えなかった。

『ナミ、右足を軸に、慣性ドリフト!

 奴らの死角に入いって溶接用のバーナーだ!

 奴の関節部の、油圧ケーブルだけを狙らえるな』


 兄さんの《モール》が、予測不能な動きで敵の注意を引きつけ、陣形を完璧に崩す。そして、その隙を突いて、私たちが、まるで外科手術のように、敵機の弱点だけを正確に破壊していく。ドリルを盾に、クレーンアームで敵を薙ぎ払い、リベット打ち出し機が火を噴く。

 私たちは、圧倒的な数の不利を、覆していく。そして、ゴロツキたちのHIは、全て煙を吹く鉄屑と化していた。


 しかし、その代償は大きかった。ジャンクヤードは、完全に崩壊。そして、タキは、瓦礫の下で、もう動かなくなっていた。

 兄さんは俯いて、子供が泣きべそをかくような、そんな表情をした。

 日光が瓦礫と、犠牲者の亡骸を、静かに照らし出す。生き残った同僚たちは、呆然と、その光景を見つめていた。


 兄さんは、静かに、彼らに告げた。

「……ここは、もう終わりだ。でも、僕達の人生はまだ終わっちゃいない」

 同僚たちは何も言わずに、しかし、その目には確かな感謝の色を浮かべて一人、また一人と街へと消えていった。


 そして、兄は、私たちに向き直った。

 その顔には、もう、諦めの色はなかった。

「……ナミ。お前いつの間に、そんな腕を上げたんだ?」


「……兄さんこそ。無茶しすぎです」


「はは……違いないな」

 彼は、瓦礫の山となった、かつての職場を見つめた。


 すると、兄さんのポケットから音楽が漏れ出る。


『~But you‘ll be on my mind

 Forever~』


「……ここも、潮時か。俺も、行くよ。」


「どこへ……?」


「さあな。でも、今度は、もう少しうまくやるさ」

 兄さんは、私の頭を、ふんわりと一度だけ撫でた。それは、昔と少しも変わらない、優しい兄の手だった。

「もう心配いらないな、ナミ。……いい友達、持ったじゃないか」


 兄さんは、レティカ先輩に一度だけ感謝を込めたように頷くと、陽光で揺れるの中を一人、私たちに顔を見せることなく手を振りながら歩き去っていった。その背中はもう、少しも寂そうではなかった。


 ナミは、その背中を、今度は、涙ではなく、「希望」をもって、見送ることができた。

「……はい、兄さん」


 いつか、また会える。

 その時、自分は、もっと強くなっている。

 なぜか、そんな確信があった。


 レティカ先輩と私は静かに帰路へと歩み始めた。それは奇しくも兄さんが進んだ方向とは真逆だ。そして、レティカ先輩がようやく口を開けた。

「やっぱりさ、ナミはあの兄さんと同じ景色は見れないよ」

 その言葉には皮肉も貶しもなかった。私自身レティカ先輩の言いたいことが嫌というほどわかっていた。

 兄さんと私は考え方も生き方も違う。だから、同じ景色を見る必要はない。きっと、そういうものなのだ。

 「そうですね、レティカ先輩」


 私の「正しさ」は、もう、規則の中にはない。この、信頼できる仲間たちの隣にこそ、きっとある。

それが私の見える景色だ。

次回のエピソードは9月23日19時に更新します。

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