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灰陽航路(かすがいこうろ)  作者: Asuga
第二章 陽
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捕らわれた過去

 ノイズ混じりのDJの声が、思考の隙間に割り込んでくる。

『――さて、夜も更けてきたね。今日のラストナンバーは、ちょっと渋いところをリクエストさせてもらおうか。しっとりとした夜には、こんな歌がいい』


 無駄口だ、と内心で吐き捨てながらも、俺は指先でボリュームを少しだけ上げた。雑音交じりの声すら、いまの自分には集中を研ぎ澄ますための「環境音」にすぎない。意識はすでに、目前の光点に縫い付けられていた。


 薄暗い政府軍基地の訓練用シミュレーション室。その大半を占めるのは、漆黒の巨体を誇る最新鋭HI操縦シミュレーターだ。壁に埋め込まれた複数の大型モニターには、過去に起きた異星人による無差別テロのニュース映像や、夥しい数の戦闘記録データが、音もなく延々と繰り返し再生されている。映像は冷たく無機質で、そこに映る人々の悲鳴や絶望は、すでに音のない「記録物」として風化していた。


 だが、その冷光に包まれた無機質な空間の中で、一枚だけ異質な存在があった。壁に飾られた色褪せた写真。柔らかく微笑む、妹のロレーナの姿。――俺が守ると誓った、たった一つの光。荒れ果てた戦場に投げ出されてもなお、心の奥で燃え続ける焔。


 ヘッドホンの奥で、イントロが静かに流れ始める。ピアノの物憂げな旋律。そこに寄り添うように絡みつく、ウッドベースの低く湿った唸り。

 ――ジャズか。悪くない。


 操縦桿を握る手に、全神経を集中させる。右手の親指は自然とトリガーへと吸い付くように置かれ、汗ばむほどの緊張感すらも意識の奥へ沈めていく。


 シミュレーターのモニターに、仮想敵の機影が次々と浮かび上がる。旧式のテラスクを改造した、テロリストどもが好んで使う粗悪な機体。数は五、六……計八。市街地での包囲殲滅戦。難易度は最高ランクのA。常人のパイロットなら、三十秒と持たずに蜂の巣にされるであろう状況。


 ――だが、俺にとっては、ただの的だ。


 一機目が遮蔽物から顔を覗かせた瞬間。だが俺は、即座にトリガーを引かない。敵が俺の存在を完全に認識し、銃口を向け、そのパイロットが「殺意」を確定させる、その刹那のコンマ一秒。そこに生まれるわずかな隙。


 そこを撃ち抜く。


 操縦桿のグリップに埋め込まれた精密照準用のトラックボールを、親指の腹でわずか数ミリ単位に操作する。敵機のメインカメラ――その奥に潜むパイロットの眉間を、幻視するかのように捉える。


 タンッ。


 乾いた銃声のような電子音が一つ。仮想空間で敵機が沈黙する。オーバーキルは不要だ。弾薬は常に最小限で、最大の効果を。それが、俺の戦い方。


 ――あの夜も、そうだった。


 シミュレーションの風景が、唐突なノイズと共に掻き消える。視界が、記憶の戦場へと切り替わっていく。


 眼下に広がるのは、闇に沈んだ現実の工業地帯。無数の煙突から立ち上る煙が、月明かりに照らされ、まるで黒い亡霊のように空へと漂っていた。


 政府軍が誇る最新鋭可変機『ヴェロシティ』のコックピット。ヘッドホンの奥で、女性ボーカルのすすり泣くような歌声が響く。明るいのに、どこか寂しい。陽気なのに、どうしようもなく暗い。相反する感情が絡み合い、俺の心に空いた空洞をゆっくりと満たしていく。


『~Yeah, I'll move on and I'll be free,  

  But you'll hold on to the memory~』


 歌がサビに差し掛かるのと同時に、俺はヴェロシティを急降下させた。翼を折り畳み、人型形態へと変形。夜陰を纏い、音もなく敵の頭上へと舞い降りる。


 奴らはまだ気づかない。勝利を疑わず、互いに無駄口を叩いているのだろう。異星人の連中は、いつもそうだ。油断し、傲慢で、そして、脆い。


 一機のパイロットが、ようやく俺の存在に気づく。その目が驚愕に見開かれる瞬間、その表情までが手に取るように見える。だが――遅い。


 俺はただ、淡々と引き金を絞り続けた。


『~For you it's a scar, for me it's the past,

  A love like ours was never meant to last~』


 一機、また一機と、異星人たちの鉄の棺桶が夜空に散っていく。抵抗すら許されない。これは戦闘ではない。ただの、害虫駆除だ。


「――見事な腕ね、ソーン少尉」


 不意に割り込む声。はっとして意識を現在へと引き戻す。視界は再びシミュレーターのモニター。すでに仮想敵はすべて沈黙し、『MISSION COMPLETE』の文字が冷たく浮かび上がっていた。


 ヘッドホンを外すと、シミュレーターの外に腕を組んだ上官の姿がある。


「セレフィウス大佐……」

「また、ラジオを聴きながら? 相変わらずね。感心しないわ」


 叱責とも窘めともつかない声音。だがその響きには、わずかな温もりが混じっていた。


「……終わりました」

「ええ、見ていたわ。スコアも、タイムも、また記録を更新した。……もう、やめなさい。あなた、自分を追い込みすぎよ」

「いえ。まだ足りません」


 俺の即答に、彼女は悲しげに小さな溜め息を漏らす。


「……リュウジ・ニイガエ閣下から、あなたに直接の指名が入ったわ。今夜、官邸へ出頭するようにとのこと」

「閣下から……俺に?」

「そう。用件までは知らされていないけれど、閣下があなたを名指しするなんて、よほどのことよ。……今夜はもう訓練は終わり。いいわね?」

「……拝命します」


 シミュレーターを降り、冷水のシャワーで汗を洗い流す。官邸に向かうため、入り口に掛けていた一張羅の軍服に袖を通し、無言で訓練室を後にした。


 廊下に出ると、壁にもたれて俺を待っていた人影がある。


「……ルシィ」

「やぁ、レイ。終わったか」


 幼馴染のルシヴェールだった。俺が唯一、心を許せる親友。


「閣下に呼び出されたって? また厄介事かね」

「さあな」


 短い返答に、彼は慣れたように肩をすくめる。


「ま、お前ならどうにかするだろ。……で、済んだら付き合えよ。新しい店を見つけておいたからさ」

「……ああ、楽しみにしとく」


 その時だけ、俺の口元に微かな笑みが浮かんだのかもしれない。


 ロレーナ……。お前が目覚める日まで、俺は戦い続ける。この世界から、お前を奪った異星人を、一匹残らず駆逐するまで。俺の戦いは、終わらない。


 リュウジ・ニイガエ官邸の執務室は、息が詰まるほどに静まり返っていた。

 床は一切の埃を寄せ付けない漆黒の大理石。正面に据えられた黒檀の巨大なデスクは、刃物のように鋭い光沢を放ち、その奥の壁一面を埋めるのは、難解すぎて誰一人まともに読むことのできないであろう古文書や軍事理論書ばかり。知識というより、むしろ「権威の石碑」として並べられた本棚だった。


 その中心に座す男が、じっと俺を値踏みするように見ている。この国の支配者、リュウジ・ニイガエ閣下。


「――君の活躍は、常に耳に入っているよ、ソーン少尉」


 低く湿った声。まるで蛇が這い回るかのように静かで冷たい。

 俺は背筋を正し、軍人としての礼を尽くす。


 この男――リュウジ。俺のような家柄もないやつを、その慧眼で見出し、破格のスピードで少尉にまで引き上げてくれた恩人。だが同時に、その双眸の奥には底なしの闇が広がっている。何を考えているのか決して読めない深淵。それが、この男を「尊敬」と同じくらい「恐怖」させる所以だった。


「はっ。閣下のお引き立ての賜物でございます」

「謙遜は不要だ。君の腕は本物だ。……だからこそ、君にしか頼めない任務がある」


 来たか。俺はわずかに息を呑む。


「一か月後、ダルムシュタットスクールへ赴任してもらいたい。臨時教官として、だ」


「……ダルムシュタット、ですか」


 その名を耳にした瞬間、胸の奥で小さな反発が芽生えた。――ガキの園。軍人なら誰もがそう揶揄する育成機関。血を浴びることも知らぬ半人前を相手に、なぜ俺が。


 だが、閣下の声は淡々と続く。


「そうだ。あそこには未来の逸材が集まっている。……ああ、そうだ。ユイチカも、今はあそこにいる」


 息子の名を口にしながらも、その声音には親としての温情など一片もなかった。まるで兵站表に記された一つの番号を読み上げるかのように冷淡で、無機質で。リュウジにとって実の子すら、計画の駒のひとつにすぎないのだろう。


「君には軍学部の生徒たちを鍛え上げてもらいたい。そして、来るべき時のために、彼らが我々〈ソラリス〉の“力”となるよう導いてほしい」


「……ご子息のことも、見てやれと?」


「いや」リュウジはゆるやかに首を振る。「あいつは、好きにさせればいい。君の任務は、あくまで次代の兵士の育成だ」


 その一言に、逆に安堵が胸を撫でた。だが同時に――喜びもあった。


 ユイチカ・ニイガエ。数年前、基地での演習の折に一度だけ会った。父親の影響を一切感じさせぬ、真っ直ぐで澄んだ瞳を持つ少年。そして、HI操縦に関しては、研磨すれば光るどころではない、原石のダイヤモンドのような輝きを秘めていた。


「……あいつに、また会えるのか」


 不意に独り言が漏れた。リュウジは面白げに目を細め、俺を観察する。


「期待しているよ、レイ・ソーン少尉」


 名を呼ばれた瞬間、その響きが、鎖のように俺の忠誠を深く縛り付ける。


 官邸を後にし、軍の寮へ戻る道。月は不気味なほどに明るく、地面に影を濃く刻んでいた。

 ――あいつはどれほど腕を上げたのか。

 珍しく、未来への期待が胸に芽生えている自分に気づき、俺は苦く笑った。


 同時刻。ダルムシュタットスクール、生徒会室。


 重厚な机を挟んで、アゼル・グラード生徒会長は二人の報告を静かに聞いていた。

 カーテンは固く閉ざされ、室内は卓上ランプの灯りのみ。そこにいるだけで空気が重くなるような、沈黙を孕んだ空間だった。


「――以上が、我々の掴んだ情報です」


 ナミの声は冷静だったが、その瞳は決して揺らいでいなかった。

「ハウゼンで流通している違法薬物は、軍の輸送コードを用いて、この学園の敷地内に一度搬入されている可能性が高い。そして、その最終届け先は……第三男子寮」


 その隣で、アキラが小さく息を整え、補足する。

「おそらく関与しているのは、ユイチカ・ニイガエの取り巻きの上級生グループです。彼らが運び屋なのか、それとも売人そのものなのか……そこまではまだ」


「証拠はあるかい?」

 生徒を疑うのならば何か、核心的な証拠が当然あるんだろう?と言わんばかりの表情で二人をアゼルは睨んだ。


 アキラは一歩前へ出ると印刷された紙を見せた。


「そこに記載されてる受取人の名前がユイチカ・ニイガエの取り巻きにいた。ポード・メーレと名前が一致しております。また、その量から決して一人ではないことも検証済みです。」


 報告を聞き終えたアゼルは、ゆっくりと組んでいた指を解き、静かに頷いた。


「……なるほど。二人とも、ご苦労だった。この件の捜査継続を、生徒会として正式に許可する。ただし――」


 彼は視線を鋭くし、二人の目を真っ直ぐに射抜いた。


「二週間後には中間試験がある。学業を疎かにすることは許さない。……いいね?」


「はい」

 ナミとアキラの声が重なった。


「それから……」アゼルは声を少し和らげた。「エアリア君は、最近どうしている?」


 その問いに、二人は顔を見合わせた。そして、まるで示し合わせたように肩をすくめ、すっとぼけた答えを返す。


「さあ? 相変わらず、元気に過ごしているんじゃないですか」

「僕は男子なので、女子生徒のことは……」


「……そうか」


 アゼルはそれ以上追及しなかった。だが、その横顔に、どこか寂しげな影が差したことを二人は見逃さなかった。


 生徒会室を出ると、張り詰めていた空気が途端にほどける。人影のない廊下で、ナミがぽつりと声を落とした。


「……副会長」

「ん?」

「私……どうしたらいいのか、分かりません」


 普段は冷静沈着な彼女の声は震えていた。迷子の子どものように不安げで、弱々しく。


「フィリカさんのこと……です。私、見てしまったんです。彼女が――アウリアンだって……」


 告白の余韻に、廊下の静寂がさらに重くのしかかる。


 だがアキラは驚きを見せなかった。ただ、窓の外に浮かぶ月を見つめながら、静かに語り出す。


「……僕の昔の知り合いにもね、異星人のやつがいたんだ」


 ナミははっと顔を上げる。アキラの声は穏やかで、遠い記憶をたどるようだった。


「初めて会った時は……やっぱり驚いたさ。耳の形も、肌の色も、言葉も、何もかも違ってた。でも、話して、笑って、ときには喧嘩もして……そうやって一緒に過ごすうちに気づいたんだ。あいつも、俺たちと何も変わらない。『同じ人間』なんだって」


「同じ……人間……」


「怖がる必要も、忌む必要もない。彼女はフィリカさんだ。君が知っているあの、少し騒がしくて、でも優しいフィリカ・エアリアだ。……それだけだろ?」


 その言葉は、月光のように静かにナミの胸へと染み込んでいく。

 ――そうだ。何も、変わらない。


 彼女がアウリアンだと知ったところで、E-07室での日常が偽物になるわけじゃない。時に迷惑なほど騒がしく、それでも笑い合い、支え合った大切な日々。あの四人で過ごした時間は、確かに本物だった。


 ナミの心の奥で、絡まり続けていた糸が、するりと解けていくのを感じた。


「……はい」


 彼女は強く頷き、顔を上げる。その瞳には、もう迷いはなかった。


「何も変わりません。フィリカさんは、私の――大切な友人です」


 そして彼女は、固く誓った。


「だから、私が彼女の秘密を守ります。絶対に」


「うん。その方がいい」


 アキラは穏やかに笑みを浮かべ、夜空の月を仰いだ。

 その光は、やけに眩しく、地上の二人を静かに照らしていた。

次のエピソードは9月16日の19時に更新します

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