一万分の一の希望
オブリヴィオンが夜空を切り裂き、炎の街ニューロンドを離脱した直後――政府高官たちが集まる地下指令室は、ただ一言、沈黙で包まれていた。
巨大なモニターに映っていたのは、空を焼き、炎と雷を引き裂きながらなお加速し戦線を離脱する黒き機影。各所に配置された連合軍の無人HIを蹴散らし、数度の軌道反転でミサイル網を無力化し、煙の海を突き抜けて消えていった。
「馬鹿な……あの動きは有人機ではありえん……!」
「いや、あれは……明らかにソラリスの反乱だ……!」
「――ルミナ、説明してもらおうか」
鋭い声が飛んだ。
問い詰めたのは、連合情報部長・ゴルファン・レイゼ。顔を紅潮させ、ルミナを睨みつける。
「君が我々に協力したというのは建前か? まさか、ソラリス残党を使い我々を……!」
「私は協力した。確かに。だが……」
ルミナは言いかけ、言葉を切った。
そのとき――
「失礼」
部屋の扉が開き、席を外していたリュウジが、余裕の笑みを浮かべながら戻ってきた。
リュウジ・ニイガエ。
地球政府外交調整官であり、ルミナの協力者であったはずの男だった。
だが、その瞳には冷たい光しかなかった。
「まさかこんな展開になるとは…まあ、いい。皆聞いてくれ」
「彼女は……今回のテロ行為の首謀者として、連合軍保安局に身柄を拘束させる」
「……なっ……!」
ルミナはようやく、自分が初めから捨てられる算段だったと気づいた。
「ずいぶんお節介なことをしてくれたな。おかげで我々は想定より早く動かざるを得なくなった」
「あなたたち……最初から、私を……」
リュウジは無言で保安官たちに合図を送り、ルミナを囲む。
「あのHI、技術は素晴らしい。持っているんだろう? 渡してもらおうか」
その瞬間、彼女は懐から小さな通信端末と、もう一つ――赤い起爆装置を取り出した。
「だったら……これだけは…」
パチン。
乾いた音とともに、爆裂。
一瞬の閃光。
そして床に落ちた、焦げた灰となったチップ――そこには、オブリヴィオンやプロミスティングを含む、異星技術を融合した最先端HIの設計図が入っていた。
「何を――してくれたッ!」
リュウジが怒鳴る。
「消し去ったというのか!?」
「どうせ殺されるなら、彼の場所に行ける。その方がずっといいわ」
ルミナは微笑んでいた。
実のところ彼女自身が一番、ウィルは戻ってこないと確信していたのだ。
彼は死んだ。だからこそ、当てもなく死に場所を求めていたのかもしれない。
その目は、覚悟と虚無と、どこかに微かな安堵を湛えていた。
だが、リュウジは鼻で笑った。
「……勘違いするな。お前を殺すものか」
「……は?」
「私は理解しているよ。お前が望むのは死による贖罪。ならば、それを与えはしない」
ルミナは、初めて顔を歪めた。
その動揺を楽しむかのように、リュウジは言い放つ。
「お前は終身刑だ。死ぬことすら許されず、地下の鉄壁の牢で、朽ちるまで生き続けろ。……それが、何よりの罰だ」
――その刹那、モニターが変わった。
赤い文字が並ぶ。警告音。
「ソーラ・コア、調整完了。」
「……やれ」
リュウジが命じた。
「これが――地球の夜明けだ」
空が、裂けた。
否――空すらも飲み込む、新しい太陽の誕生だった。
アナンケーの視界が一瞬、白に染まった。
それは眩しさというよりも、視神経そのものが焼かれる感覚だった。
彼女のヴァルキリーが緊急警告を発し、全感覚センサーが強制的に遮断された。
「なに……これ……」
抑えきれない震え。
空が鳴動し、風が空間を裂き、星そのものが断末魔をあげているような轟音が世界を包んでいた。
地平線の彼方。
そこに、新たな光が現れた。
命の光線――ソーラ・コア。
それは寿命尽きる太陽の代わりに建造された人工的な太陽。しかし、報告に聞いていたものとは違い、これは兵器そのものだった。
喉から、かすれた声が漏れた。
ふと、機体の自動制御が再起動し、周囲の空間情報が戻ってくる。
そして、機体外の衛星映像がスクリーンに映し出された。
アヴィオス。
アウリアンの母星だったはずの星が、今、一輪の火花のように崩壊していた。地殻が隆起し、大気が剥がれ、コアが爆ぜ、星が――燃えていた。
「ウソ……でしょ……」
アナンケーは言葉を失った。
機体の操縦桿を握る手が震える。
(ウィル・トール……いや、あのHIのパイロットが言っていたこと――)
『クローン人間の命で動く、人工太陽。それを止めなければ、次の犠牲が出る。』
あれは狂人の妄言だと、切り捨てていた。
だが――
「現実になっている……?」
オブリヴィオンの声が頭をよぎる。
あのボイスチェンジャーの奥にあった「何か」は哀しみだったのだ。
殺戮の主犯が、自分よりも人の命に哀れんだ。
その事実が、胸の奥を引き裂かれるような疑問を生んだ。
「どうして……どうして、こんな……!」
星が砕け命が吹き飛び、宇宙が凍りつく。
アナンケーの心にも、疑念という火種が灯された。
人工太陽ソーラ・コアによる光線照射。
その照射先は、外交官を失った異星、アウリアンの母星・アヴィオス。超高密度の粒子光が星の大気を割り、惑星全体を貫く轟音が銀河の果てまで響いた。大地が波打ち、空が砕け、アヴィオスは爆裂する星屑と化した。数十億の命が、名も告げず、ただ熱と衝撃に飲まれて消えたのだ。
「見ろ! そこだ!」
ユンボの叫びと同時に、アキラは上を仰いだ。
ニューロンドの空を赤黒く染める炎と煙、その中で数棟のビルが崩れ落ちていく。熱風が皮膚を裂き、地面が傾く。
「だめだ……こんなんじゃ……!」
アキラは、思わず泣きそうになった。
逃げようと、わかっているのに――彼が、いない。
そのときだった。
「――危ない!」
瓦礫の上から手が差し出された。
「――ゼス……!」
クリケトスの男・ゼス。その手には、傷だらけの、溶けかけた金属の破片が握られていた。
「ユンボ、この戦いは終わった。あなたも見たろう? あれが使われた… 我々の負けだ」
「そうだな…」
「これを……ネプトが持ってたものだ」
アキラは目を見開いた。
それは――羽のない飛行機の模型。
しかし、それはネプトが所持していたものだ。
「彼は……死んだ。間違いない」
静かに言われたその言葉が、アキラの中の何かを砕いた。
(嘘つき…)
言葉にならない悲鳴が喉の奥で燻り、手が震える。
「でも、泣いてる暇はない。まだ……生きねばならない」
ゼスがアキラの肩を掴み、背を押した。
ユンボも、涙を拭って叫ぶ。
「生きるぞ! 今だけでも……未来に繋ぐんだ!」
アキラは振り返り、遠くに燃え盛る聖堂を見つけた。
そして涙を浮かべ呟いた。
「いつか…」
三人は、瓦礫の隙間を走り抜け、焼け落ちた鉄橋を渡って、燃えるニューロンドを背にした。かつて希望を乗せて戦った者たちは、皆去った。
だが――
希望は、まだ誰かの胸に灯りうる。
いつか…この戦いの果てに、ネプト達が戦ったものに希望を見出すものが現れるかもしれない。
たとえ、それが一万分の一人でも。




