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灰陽航路(かすがいこうろ)  作者: Asuga
第一章 灰
21/48

ネプトとアナンケー

 空が裂けた。


 爆音と共に響く轟音。赤黒く焦げた風が吹き荒ぶニューロンドの空を、巨大なHIが引き裂きながら飛翔する。あまりにも異質な銀色の機体――〈オブリヴィオン〉。所有者すら判然としないその機体が、真夜中の都市を火の海に変えながら駆ける光景に、市民たちはただ逃げ惑い、兵士たちは凍りついていた。


 アナンケー・ウンブラはその混乱の只中を、地を蹴っていた。

「ネプト……! どこにいるの……ッ!」

 周囲では激しい爆発が地響きのように響き、人々の悲鳴が飛び交う。そんな中、ひときわ鋭く己の名を呼ぶ声が彼女を引き止めた。

「アナンケー大尉!」

 振り向くと、部下のエアリーゼがいた。顔には灰と血が混じり、額から流れる汗が裂けた傷口を伝っていた。

「ソーラ・コアが、強制稼働しています!政府の命令ですが――どうも、私たちが知る計画とは違うのです!」

 アナンケーの眉が跳ね上がる。

「違う……? どういう――」

 彼女が問い返そうとしたその瞬間、街中のスピーカーが一斉に起動し、空気を震わす無機質な声が流れた。

 キーンとした音が町全体に広がる。


「連合軍並びに地球政府に告ぐ。我が名はウィル・トール。今のソラリスを率いる者だ」


 アナンケーの心臓が握り潰されるように締め付けられた。ウィル・トール。

 三十年以上も前に死んだ――はずの男の名。


「要求は二つ。これを呑めば、我々は撤収する。

 一つ。連合軍は各異星人管轄区を廃止し、人類による自治を取り戻せ。

 二つ。地球政府は、クローン人間の命を燃料とする兵器たる人工太陽『ソーラ・コア』を直ちに解体せよ。無益な流血を望まぬ。決断せよ!」


 その声に街全体が凍りついた。

 瓦礫の中で逃げ惑う人々の動きが止まり、兵士も市民も、虚空に拡がる声の主を仰ぐ。

「ウィル…トール…」

 アナンケーが呟くより早く、町に散るソラリス残党たちが歓喜の声を上げ始めた。

「ウィル・トールが戻った!」

「希望だ!」

 その場にいた兵士の数名さえ、その熱狂に足をすくわれそうになる者さえいた。


 しかし、次の瞬間。政府の命令で遠隔操作されたミサイルが空を切り裂き、オブリヴィオンのいる空域へと襲いかかる。

 ほぼ同時に、連合軍の無人HI部隊がオブリヴィオンへ一斉射撃を開始した。


 スピーカーから再び、冷たい声が響く。


「貴殿らの回答は承知した。ならばこれより、ニューロンドのクローン人間ベースを破壊する。この町の民には誠に遺憾だが、共に忘却の海底へ沈んでもらう」


 直後、爆発。

 市街地に聳える政府ビルの最上階が一瞬で蒸発し、連鎖するように下層の高層施設群が次々と崩れ落ちていく。

「……これで四つ目か」

 冷徹な言葉が、再び空を支配した。


 瓦礫は熱風となり街を焼き払い、無数の悲鳴が爆音に掻き消されていく。誰かが焼かれ、誰かが吹き飛び、誰かが名もなく押し潰されていった。


「だがまだだ…あと二つ…ここを潰さなければ終わらない…

 今、終わらせなければならないんだッ!!」


 だがその轟音を突き破る音が一つ。

 空を断つような高速飛翔音。銀の巨影から一度見失われた飛翔体が次の瞬間、地上へと降り立つ――

エインヘリャル隊の主力機〈ヴァルキリー〉が、膝をつくように着地した。


 コックピットが滑り開くと、そこにいたのはアナンケー自身だった。

「……あの機体を止める。貴官はヒルド・スカウトで後続を指揮せよ」

 エアリーゼは震える指先で敬礼を返し、後を託す。


 ヴァルキリーが再び舞い上がる。アナンケーの視界に、オブリヴィオンの単眼――不気味な白い監視眼が鋭く映る。

「ウィル・トールなどと名乗る愚か者! 貴様の名乗りが真実だとして……この惨劇を、『必要な犠牲』と呼ぶのか!」

 通信が接続され、歪んだ声が返った。

「犠牲などではない。だが……必要な『選択』だった」


「……必要な選択?」

 口にした瞬間、アナンケーの瞳が見開かれた。ボイスチェンジャーの奥に、得体の知れぬ粘りつくような何かを感じ取った。


 ウィル・トールは続ける。

「連合は異星人の支配統治を強行し、地球人を家畜のように扱う。政府はクローン人間を炉心に投げ込み、偽りの太陽を燃やす。何が正義か。血と命で固めた秩序が、正しいと言えるのか?」

 アナンケーは歯を食いしばって応じた。

「人を殺して掲げる正義など、聞く耳持たん! 我はアナンケー・ウンブラ大尉!貴様を討つものだ!」


 交わることのない言葉。だが、ネプトには分かっていた。


 彼女が…アナンケーがあのヴァルキリーに乗っているのだ。敵として、目の前にいるのだ。

「アナンケー……」

 ネプトの手が震えた。首元の鎖に通した指輪が触れ合い、かすかな金属音を立てる。


 一方、政府高官たちはルミナ・サーヴェリオの誘導で地下シェルターへ避難していた。

冷気が漂う地下会議室で、モニターに映るニューロンドの惨状を前に、誰もが声を失う。


「これは……」


「全く……」

 高官たちはネプトのオブリヴィオンに恐怖し、震えていた。


「ルミナ・サーヴェリオ。あれは何だ?ウィル・トールなどと嘯くのはソラリス残党にしては出来過ぎだが……」

 リュウジ・ニイガエが苛立ったように問う。


「さあ?絶望の悪あがきでしょう」ルミナは冷ややかに応じる。

 その瞳の奥に、救いを求めるような光が一瞬だけ揺れた。


 燃え盛るニューロンドの空に、凶刃のような影が浮かび上がる。

 銀が炎に溶け、灰色へと変容する〈オブリヴィオン〉。


 その機体は、神話の魔獣が蘇ったかのようだった。

 背部で唸る超伝導アクチュエータは、アウリアン超技術の結晶。関節が金属の断末魔をあげる中、理不尽なまでの制御性で一切の攻撃を寄せ付けない。


 圧倒的な機動が、オブリヴィオンを獣のように獰猛に、そして人のように狡猾に踊らせた。


 宙を滑る。

 エアリアル・オプティマイザの揚力制御フィンが鱗のようにひらめき、ヴァルキリーの狙撃を紙一重で躱す。

 右腕の砲門からは無数の赤い蛍が吐き出された――マイクロミサイルの飽和攻撃。血のように夜空を染める弾幕が、ヴァルキリーを包む。


「アナンケー・ウンブラ。貴殿も政府の本性は知っているはずだ… クローン人間の命で動く、人口太陽。それを止めなければ、次の犠牲が出るだけだぞ‼」


「テロリストの詭弁など聞かん!」

 アナンケーの応答と共に、ヴァルキリーの肩部シールドが展開し、ミサイルを次々に撃ち落としていく。


 しかし、一発、二発――縫うように潜り込んだ弾が装甲を掠め、白い閃光と共に胸部が焦げた。


「ッ……!」


 その隙を突いて、オブリヴィオンは急接近する。


「早いな――」

 ネプトが呟くより早く、ヴァルキリーの槍が水平に薙ぎ払われた。

 オブリヴィオンは後退――が、遅すぎた。刃がコックピットを直撃する――!


 瞬間、イデアライト装甲が蜘蛛の巣状に裂けながら衝撃を吸収し、内部のナノマシンが瞬時に亀裂を縫い合わせる。


(この間に……!) 


 ネプトが息を詰める。

 左腕を不自然に捻じる。ガーディアン由来の多関節駆動が極限の角度を可能にした。


 ヴェルキリーの死角から電磁投射砲の低い唸りが空気を震わす。

 オブリヴィオンの左肩から伸びた砲身が青白い電磁を纏い、超高速の弾丸を叩き込んだ。

 弾丸はヴァルキリーの脚部を掠め、地面を抉り取る。


 轟音。舞い上がる瓦礫。炸裂する火の粉。


「アナンケー!何のために戦う!なぜ、そこまで!」

 ネプトの声に焦りが滲む。

「知ったような口を……ッ!」

 しかし、アナンケーも引かない。


 操縦桿をぐいと引き倒し、逆関節の脚部を折り畳むようにバレルロールで回避。

その勢いのまま、オブリヴィオンの腹部へ突撃する。


 槍が風を切り裂く。

「終わらせる…人々を踏み躙る悪魔め!」


「言葉は虚妄……ならば!」

 ネプトは背中に収めた大型ビームソードへ手を伸ばした。

薄青に燐光を放つ刀身。

 スロットル全開と共に高出力モードへ移行。

 ガーディアンOSの演算が最適動作を導き出す。


「来い……アナンケー…!」

 両機の刃が激突。

 ヴァルキリーのスピアとオブリヴィオンのビームソードが噛み合い、溶けるような閃光と金属の断末魔が炸裂した。

 

 オブリヴィオンはさらに前へ。

高出力リアクターの限界を叩き出すエネルギーを機体に流し込み、ブースターが青白い業火を噴いた。

 大気が割れる。

視界が一瞬で暗転するほどの重力が体を圧す。

ネプトはアナンケーの死角を確実に捉えた。


(決める……!)


 だが、踏み込む一歩のその時――

脳裏を走ったのは、あの温もりだった。

優しく囁いてくれた声。


 二秒。

 たった二秒の空白。


 その隙を、ヴァルキリーは逃さなかった。

 瞬時に反転し、槍を突き立てる。


「はあああああああ!」


 オブリヴィオンのコックピットを貫く鋭い閃光。


 内部で爆ぜる火花。

 腹部の装甲が砕け散り、血とオイルが飛沫した。


「ぐあっ……!」


 呼吸が喉に詰まる。


 視界が赤く滲む。


 ナノ修復は追いつかない。


「……アナンケー……!」


 しかし、ヴァルキリーの二撃目が心臓部を捉えた。

 モニターが狂乱の赤で警告を叫ぶ。

 ネプトは残った出力を右手のソードに集め、

 ソードをヴァルキリーの肩へ叩き込もうとする。


 しかし、届かない。


 アナンケーの槍が深々と押し込まれ、オブリヴィオンのメイン回路が徐々に沈黙していく。


 ゆっくりと。


 力なく。


「クソ……」


 震える拳で、操縦桿を握りしめた。


 オブリヴィオンの背部リアクターが悲鳴を上げて爆発し、機体は傾きながら墜落軌道へ。ネプトは薄れる意識の中で――それでもなお、悔しさに唇を噛みしめた。


 オブリヴィオンはニューロンドへ墜ちた。


 衝撃が全身を蹂躙し、コックピットの内側を真紅に染めた。警告音の断末魔の中、ネプトの口から血の泡が零れた。腹から下の感覚が消え、温かい液体だけが重力に引かれて流れ落ちる。


 即死はしていない。だが、命の灯は確実に萎みつつあった。


「ここまで……か」


 だが、その時だった。


 オブリヴィオンの周囲に、もう一機、また一機と、ソラリスのHIたちが姿を現した。


〈やらせるものか!俺たちが盾になる!〉

〈殺させない…希望は俺たちが守るんだぁああ!〉


 ソラリスの仲間たちは、ネプトの正体も恐らく知らないだろう。だが、彼の叫びと行動に心を打たれ、命を賭してその意志を継ごうと決意したのだ。

 たとえそれが自らの死を意味しようとも。


 ネプトは震える唇で呟いた。

「やめろ……頼む……」


 コックピットを強制開放すると、灼熱の風が肌を焼いた。一歩、また一歩と体を引きずる。その度に傷口から血が噴き出し、息が肺を切り裂く。


(熱い……熱い熱い熱い。痛い痛い痛い。まだ――)


 前方に、赤く歪む影が見えた。瓦礫の間にぽつりと残った、小さな聖堂。アナンケーと初めて手を繋いだ場所。彼女がいつも祈りを捧げていた、あの場所。


 そこへ、よろめく足を向けた。


 焼け爛れた扉を押し開き、内部へ――肌が裂け、骨が軋み。それでも彼は進んだ。


 聖堂の中心に辿り着いた時、天井は崩れかけ、火の粉が降り注いでいた。ネプトはその場に膝を折った。

「僕は……死ぬのか…ウィルとして、精一杯やったというのに…」

 涙が頬を伝う。それが唯一の冷たさだった。


 脳裏を走馬灯が駆け抜ける。その中で最も輝く記憶――ハッと我に返り、ネプトはオブリヴィオンへ引き返した。

 燃えさかる操縦席で、ポケットのダグラスの残したメモを掴む。裏面の文字がかすかに読める。


「セーフティーモードを実装した。作動時は全機能制限。武装・飛行能力は1/3出力。機体形状も変わる。『オブリヴィオン』とは判別不能にした。できれば使う時が来ませんように」


「余計な機能を…」

 紙が炎に飲まれ、灰となろうとしていた。

 ネプトは機体を静かに起動し、いくつか言葉を必死に残し、一つの座標へ自動航行を設定する。炎に照らされ、コックピットに置かれた指輪の首飾りがきらめいた。アナンケーに渡せなかった想い。今はもう誰にも届かぬ誓い。


 コックピットが閉じ、オブリヴィオンはこれまでとは比べ物にならない鈍い速度で飛翔を始めた。

「オブリヴィオンが動いた! 生きてる…!」

  ソラリスの一員が叫ぶ声は、ヒルド・スカウトの砲撃に掻き消された。


 機体は遠く――ネプトの視界から見えなくなるほどに、加速を繰り返した。


 ネプトは振り返り、いつも二人が座っていた長椅子の傍へと這うように寄った。壁にもたれ、溶けかかる視界で、硝煙に濁った空を見上げる。

 あの日と同じ不思議な光が見えた。今はっきりと、それは優しい青だとわかった。


 そして、力尽きるように、愛おしい名を零した。

「アナンケー……君を……愛してるよ……いつか…」


 涙ではなく、炎が頬を濡らした。

 ネプトはその場に崩れ落ちると、無邪気な子供ような声で呟いた。

「……疲れた…」


 それが、ネプト・アンビションの最期の言葉だった。

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