純白の手袋と怪雲の兆し 6
その日は、冬の初めにしては暖かい日だった。
空は青々として、もくもくと形の良い雲が浮かんでいる。
蒼弥を見送った和花は、一人で庭の手入れをしていた。
真っ赤な篝火花や桃色の山茶花、優雅な薄紫色で大きな花を咲かせる皇帝ダリアなど、庭には肌寒さを忘れさせてしまうような、鮮やかな色の花々が並んでいる。
(とても綺麗に咲いているわ)
花に水をかけている和花の口元は自然と緩んだ。
冬特有の澄んだ匂いが、和花の身体中を駆け巡り、とても気持ちが良い。じょうろから流れ出る水は、太陽に当たりきらきらと輝きながら花に落ちていく。和花はたっぷりと水をかけていった。
和花の右手には、先日縫い合わせて直したばかりの手袋がはめられている。縫い目が綺麗に揃った手袋は、破れていたことが分からないほど綺麗になっていた。
蒼弥に手のことを詳細に打ち明けられ、すっきりした和花はこの鮮やかな花たち同様、心の中が明るかった。
(あら?あそこに随分と雑草が生えているわ)
ふと目に止まったのは、皇帝ダリアの茎の根元。そこ一帯にだけ濃い緑のスギナのような雑草が生い茂っていた。
(どうしてここだけ生えているのかしら?この前の抜き忘れ……?)
他の花の根元を見ると一、二本生えている所もあるが、それは誤差である。なぜか皇帝ダリアの下だけ深緑色に覆われているので、和花は首を傾げた。
(もっと生えないうちに抜いておきましょう)
和花は足元にじょうろを置くとしゃがみ込み、右手の手袋を外した。
白い手袋が緑色に変色してしまってはひとたまりもない。
太陽は出ているといってもやはり十一月。時折吹く風は冷たく、身震いしてしまう。和花は「よし!」と勢いをつけて、素手で雑草を掴んだ。
(か、固いし、重い……!)
スギナの生命力は凄い。土の中の根が深く太く張っているようで、なかなか抜くことができなかった。それでも負けずに力を込め上に引き上げていく。
「……っよいしょっ!」
ぶちぶち、と音を立てて根が掘り起こされると、立派な太い根っこがあらわになる。その大きさに和花は思わず苦笑いを浮かべた。
(こ、こんなに根が太ければ抜くのは容易ではないわ)
ふぅ、と息を吐きながら、まだ真っ直ぐに上に伸びているスギナを見る。なかなか気が遠くなりそうな作業だ。
和花は無心になり、ひたすら抜いていく。庭には、ぶちっと根が引っこ抜かれる音が響いた。
「すみません! どなたかいらっしゃっいませんか!?」
集中して手入れをしていた和花は、低い男の人の声が聞こえてくることに気付いた。
(お客様かしら?)
どこか切羽詰まる慌てた声に、和花は一瞬ぽかんと固まった。
(な,何……?)
その間も、玄関先の方から人を探す声が聞こえる。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
「は、はい……!ただいま参ります……!」
何か良からぬことでも起きたのだろうか?和花は草を抜く手を止め、急ぎ立ち上がる。そして、白い手袋をはめて玄関に向かおうとした時、玄関へ続く道からひょっこり男性が顔を覗かせた。
和花は驚きつつも咄嗟に右手に手袋を握りしめ、背に隠す。
「あ、いらっしゃった! 藤崎和花さん!」
「あの?えっと……」
慌てた様子の客人に圧倒される。
何故か彼の口からは流暢に和花の名が出てきていた。
「突然申し訳ありません。しかし、時間がありませんのでお許しを……!」
「時間?なんのことでしょう?それにあなたは一体……?……あら?」
どこかで見覚えがある。和花の本能がそう騒ぐ。
男性にしては少し長めな紺色の髪を後ろで一つ括りにし、上品なスーツを着こなしている。
背が高く、和花を見下ろす紫色の目は、まるで紫水晶のようで、吸い込まれそうなほど美しかった。
どこで会ったことがあるのだろう?いや、思い出せないのだから気のせいか?一人考え込む和花をよそに、目の前の男性は、つらつらと話し始めた。
「私は、宮廷で文官として務める者、九条さんの部下に当たります。突然で驚かれるかもしれませんが、九条さんが……!九条さんが大変なんです!」
「え?」
突然出てきた婚約者の名に、和花の心臓がどくり、と大きく音を立てる。
「仕事先で色々ありまして……九条さんが大変なので一緒に来ていただきたいのです」
「大変なこと?蒼弥さんが?それは一体……」
「今ここでゆっくり話している時間がありません。早く一緒に行きましょう!」
これまで蒼弥の仕事関係の人が家を訪ねてきたことなどなかった。家に突然やってきて、さらには凄い焦りように只事ではないと和花の胸がざわめく。
「わ、分かりました!あの、一緒に参りますので、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
カナも由紀も出払っている今、出かけるからこの家の戸締りをしなくてはならないし、持ち物も何も用意していない。最低限の準備は必要だと、和花は縁側に上がろうと、男性に背を向けたその時。
いつの間にか和花のすぐ後ろに移動していた男性に左手首を掴まれた。
「ひゃっ……!」
そのまま男性の方へ強く引かれ、和花はバランスを崩しそうになる。
「さぁ!早く!」
まごまごしていた和花に、痺れを切らした男性の表情が変わっていく。
顔は笑っているはずなのに、先程よりも声が強く、大きい。そして、紫色の目の奥は氷のように冷たく見えた。
和花に得体の知れない恐怖が襲いかかる。
「え?っや……あの……!」
「早く!」
何かがおかしい、そう思った時にはもう遅かった。男の人の力には勝てるわけがない。
和花は半ば引きづられるようにして庭を出た。強く掴まれている左手が痛い。
「や、やめてくださいっ!」
なんとか踏みとどまろうと足を踏ん張るが、ぎりぎりと腕を引っ張られどうすることもできなかった。
「わ、私をどちらへ連れていくつもりですか……!?蒼弥さんの元へなんて嘘ですよね!?」
必死に抵抗するも無駄だった。
男性はぴたりと足を止めると、和花の顔を見た。
「もう少し静かにして下さいませんか?……全く、しょうがありませんね」
「……っ」
突然、和花は首に衝撃を感じた。
それが何かを確認するまでもなく、青空と紫色の瞳が目前に見え、溶け合っていく。
そして、そのまま意識が途絶えた。
はらり。力が抜けた和花の手から白い手袋が離れ、土の上に落ちた。
「本当に手のかかる人ですこと。ですが、あなたさえ手に入れば、もう何も心配はない」
男性は、にやりと不的な笑みを浮かべながら和花を抱き上げ、その場を後にした。
もぬけの殻の庭には、和花が抜いた雑草の山と、純白の手袋が静かに取り残されていた。




