真紅の彼岸花 11
宮廷から帰宅し,早々に夕食、お風呂を済ませた和花と蒼弥は、縁側に並んで夜の庭を眺めていた。
空には三日月が顔を出し、緑の草の上に止まる鈴虫が優しい音を奏でる中、二人は静かに語り合っていた。
内容は今日の昼間、皇太后から聞いた奈津子のこと。
和花自身、日中聞いたことがまだ受け止めきれていないところがあり、まるで自分にも言い聞かせるように、頭の中を整理しながら蒼弥に包み隠さず話した。
「そんなことがあったのですね」
「……はい、私もいまだに信じられません」
蒼弥は特に大袈裟に驚く訳でもなかったが、「そうでしたか」と小声で呟きながら自分に落とし込んでいるようだった。
「確かに、皇太后様、晴子様と和花、それから和花のお母さまはどこか似ているかもしれませんね」
「似ていますか?自分ではよく分かりません」
「美しく優しい雰囲気が似てると思いますよ」
確かに奈津子や晴子、皇太后はさすが親子といったところか似ていると和花も思った。しかし、そこに自分も入れてもらえるとなると話は別である。何故だかおこがましい気持ちになってしまう。
和花は黙り込んで月を見上げた。ぼんやりと明るい光が目に優しい。怒涛の一日を終え,落ち着いて頭を整理させると、さっきまで沸かなかった新たな感情が顔を出した。
――もしも、私が生まれなかったらどうなっていたのだろう。
こんな疑問を抱いても仕方がないということは自分でも分かっている。こればかりは和花がどうこうしようにもしょうがない。そんなことは知っているが、もしも、という言葉で頭がいっぱいになった。
もしも、あの時、和花が奈津子のお腹に宿らなかったら、両親は違う手を使って、皇太后たちを説得させ、幸せに結ばれたかもしれない。そうしたら、家族との縁を切らずに済んだかもしれない。今もみんなが仲良く過ごせていたかもしれない。
それに、自分が原因で奈津子の家族の絆を引き裂いてしまったのだったら、私がなんとか繋ぎ直さなくてはいけないのではないか。
そんな考えが和花の脳裏をよぎった。
目に映る月が、じわじわと霞んで見えた。月はぼんやりと原型を無くしていく。今まで賑やかに聞こえていた鈴虫の音が一瞬止んだ気がした。
(私が、お母さまたちを不幸にしてしまったの……?家族をばらばらにしてしまったの……?それを修復することは難しいの……?)
目に溜まった雫が落ちないように、歯形がつきそうなくらい唇をぎゅっと噛み締めた。
唇が痛い。でも奈津子や皇太后たちの心の方がもっと痛かったであろう。
(私なんて生まれてこなければ……)
ちくちくと自分の心に針を刺していた和花だったが、そんな思考は低い声に止められた。
「和花」
返事をする間もなく、蒼弥の大きな手が和花の肩を抱き寄せていく。意識を全て自分の中に向けていた和花は抵抗する隙もなく、されるがまま蒼弥の方に倒れ込んだ。
蒼弥の腕の中、身動きが取れないほどに優しく温かく抱擁される。
耳から蒼弥の鼓動が直に伝わり、それが和花の顔を朱く染めた。
「そ、蒼弥さん……?」
自分の体制を理解できた和花は、戸惑い声を詰まらせた。
「どうして泣いているのですか?」
「……」
それ以降、蒼弥は何も言わない。和花もなんて答えれば良いか分からずただ黙っていた。深々とした空気が二人を包み込み、遠くから別の虫の声がかすかに聞こえた。
蒼弥の逞しい腕に包まれていると不思議と心に刺さった針が溶けていくのを感じる。そして和花は気づいたら口を開いていた。
「私がお母さまの人生を崩してしまったのでしょうか?」
気持ちを言葉に表すと、それに比例し涙が溢れてくる。
「……どうしてそう思うのですか?」
一瞬の沈黙をおき、冷静な蒼弥の声が耳に届いた。和花は大きく息を吸ってから、ぼそぼそとまるで独り言を話しているかのように話し出す。
「私が生まれてこなければお母さまは家族と離れなかったのでしょうか?ちゃんと話し合い、和解してから祝福されて結婚できたのでしょうか?」
蒼弥は何も言わない。しかし,和花を抱きしめる腕にさらに力が込められた。
「私がどうこうできた話ではないと理解はしています。ですが、私一人のためにみんなが傷ついていると思うと居た堪れなくなります。自分は人を不幸に陥れる疫病神か何かと錯覚してしまいます。それに、皇太后様とお母さまの間で仲立ちをとも考えましたが、あまり私に踏み入られたくないご様子で難しそうでした。本当に私は役立たずです」
全てを吐き出した和花の心はほんの少し隙間ができ、軽くなった気がした。人に聞いてもらうだけで、こんなにも心持ちが変わるのか。最近それを理解し始め、今ここで実感し、思わず一つため息を吐いた。
それなに、その少しの心の軽さはすぐに消えた。なぜなら、一瞬のうちにして空気が冷えたからである。
蒼弥から呆れた笑みが漏れた。
「和花は何故、そんなにも自分を追い込むのですか?」
包まれていた温かさがすっと離れ、肩を掴まれた和花は強制的に蒼弥の方を向かされた。
突然のことに頭が真っ白になる。視線を外す余地もなく、和花の目は蒼弥に釘付けになった。
蒼弥の目つきは鋭かった。その目の奥にはゆらゆらと炎が揺らいでいる。
(どうして……)
蒼弥の目は、言葉はまるで怒っているようだった。
これまで蒼弥が怒っている姿は幾度か見たことはある。しかし、その怒りを自分に向けられたのは初めてだった。
普段穏やかな分、迫力があり、とても怖く感じる。
目を逸らしたいが、身体が言うことを聞かず、その目とひたすらに向き合うしかなかった。
(言わなければ良かった……)
自分の考えを述べたことで、蒼弥を怒らせてしまった。後から後から後悔の波が押し寄せる。
(でも、どうして怒っているの……?)
別に誰かを傷付けた物言いをした訳でもない。自分の不甲斐なさを口にしただけなのに何故そんなにも怒っているのか。和花には蒼弥が怒る理由に見当がつかなかった。
肩に乗せられた手に徐々に力がこもり痛い。それが和花の恐怖心を煽った。
「ご,ごめんなさい……」
咄嗟に下を向き、蚊の鳴くような声の謝罪が静寂な夜の闇に消えた。
空は星の瞬きがよく見えるくらい晴れ渡っているのに、その場の空気は重々しく、和花の心は後悔と不安の雨で土砂降りだった。




