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真紅の彼岸花 9



 

 


「本当にありがとうございました」


「いいえ、お礼を言うのはこちらの方だわ。あなたに会えて良かった」


 淹れ直してもらった紅茶を飲み終えると、和花は部屋を出ることにした。

 気付けば、だいぶ時間が経っていた。蒼弥に何も言わずに書庫から出てしまったから、早く戻らなくては心配をかけてしまう。

 ソファーから立ち上がる時に目に入った一冊の本。今日の目的であるこれを和花は手に取り、大切に抱きしめた。


「あの……この本……お借りすることは可能でしょうか?大切なものだということは十分に承知しておりますが……」


 おずおずと二人尋ねると、二人は似た笑顔でふわっと笑った。


「えぇ、もちろんよ。持って行ってくださいな」


「なにか手がかりが見つかるといいわね」


 奈津子に似た優しさに、和花の目の奥がじんわりと熱くなった気がした。


「ありがとうございます。お借りします」


「和花さん」


「失礼致しました」と一礼し、戸に手をかけた和花を、皇太后の美声が止めた。

 ゆっくり振り返ると、皇太后が近づき、和花の頬にそっと触れた。


「困ったことがあったらいつでもいらっしゃい。あなたは私の、大切な孫なのだから」


「――!」


 優しい笑顔と手の温もりが奈津子と重なった。

 あぁ、本当に奈津子と皇太后は似ている。その温かさに和花の心はくすぐったくなった。そして、とても心強くも感じた。


「ありがとうございます……!」


 和花は今日一の笑みを浮かべたのだった。





 ほくほくとした柔らかい気持ちのまま、書庫へ繋がる廊下を歩く。

 強い味方が出来た気がして、周りの目なんて気にならない。堂々と足を進める和花を、もの珍しく見ていた周囲の者たちは彼女の雰囲気にやや圧倒された。


「あんな美しい娘、ここにいたか?」


「いや?客人か?」


「客人なら一人でここら辺を歩かないだろう?」


 ひっそりと話されていた会話も耳に入らないほど、和花は気分が明るかった。


「あら?あなた、またここへいらしていたんですか?」


 もうすぐで書庫だというところで、背後から声が掛かった。


(この声……)


 すっ、と和花の足が止まる。玉を転がすような可愛らしい声だが、和花にとっては気分を害する声だった。姿を見なくても、以前のことを思い出させるには十分だった。


 ゆっくりと振り返ると、相変わらず可愛らしい顔面が目に入った。今日も今日とて深緑の煌びやかなワンピースを着こなしている。


「今日は何用でいらしたんでしょうか?……でもおかしいですね、私以前警告をしたと思うのですが」


 和花が返事をしないことを良いことに、その人はどんどん話を進めていく。

 せっかく気分が良かったのに、彼女の――さくらの登場によって和花の気分はどん底に落ちていった。


「今だにまだ、九条さんにまとわりついているんでしょうか?私、言いましたよね?あなたと九条さんとでは釣り合わない。天と地ほど差がありますと。それなのにまぁ、のこのこと」


 ぺらぺらと流暢に、冷嘲しながら言葉を並べるさくらと、背中を向け黙り込む和花。いつの間にか二人の周りには、人だかりができていた。

 何の騒ぎだとひそひそ話す声が聞こえる。

 さくらの心無い声が、和花の背中にぐさぐさと包丁のように突き刺さった。しかし、不思議なことに、刺さったはずの包丁には血も付かないし、傷口もできていない。和花の心も無痛だった。


「お話はそれで終わりでしょうか?」


 下を向き、静かにさくらの話を聞いていた和花は、彼女の言葉が止まるとそう囁いた。


「は?」


 顔に似合わない詰まった低い声が聞こえる。

 和花はゆっくりと振り返り、さくらと対面した。和花の瞳は曇りなく、ただ真っ直ぐにさくらを捉える。


「言いたいことはそれだけでしょうか?あいにく私は忙しいので、お話が終わったのであれば失礼させて頂きます」


 にっこり微笑んでみるが、和花の目の奥は笑っていない。冷たい目だった。


「……!あ、あなた……!私の声が聞こえないとでもいうの?! 九条さんとは釣り合わないと、あなたにこの場所は場違いだと言っているのよ……!」


 耳をつんざくような、きん、とした高い声が響き渡った。

 さくらの顔は般若の面のようだ。目は大きく見開き、吊り上がっていり、青筋を立てている。


「あんたさえ、あんたさえ居なければ……!」


 怒りから身体はふるふると震えていた。

 普段は女性らしい、可愛らしいさくらの変わり果てた姿に周りの見物人は息を呑んだ。

 ……そうか。そうなのか。

 そこで和花はやっと、さくらの気持ちを察した。

 さくらは蒼弥が好きなのか。

 蒼弥はあんなにも優しくて、格好良くて良い人だ。ずっと近くで仕事をしてきたさくらなら、惚れても当然である。

 降って湧いたような、見ず知らずの和花が突然現れ、恋人だと言われて面白くなかったのだろう。

 だが、和花にも譲れないもの、譲れないことくらいある。もう、さくらと前回会った時の自分とは違うのだ。


 ――信じます。私は蒼弥さんのことを、信じます……!


 だから、こんな言葉に怯んではいけない。蒼弥の恋人、いや婚約者としてしゃんと背筋を伸ばし堂々としていなくては。


「……私は」


 和花は大きく息を吸い込んだ。肺全体に空気を含ませ、身体中を落ち着かせる。蒼弥の柔らかい笑みが、自分の名を呼ぶ声が、頭に浮かんだ。

 胸の前で本を持つ手に力が込められた。


「……私は、九条蒼弥の恋人、いえ、婚約者です。ここにいることに何か問題でもありますか?」


 優美な振る舞いに、さくらはもちろん,周りの人は誰も声が出せないようで、しんと静まり返った。

 誰も一言も発さない雰囲気に、和花の心臓は、ばくばくと大きな音を立てていた。

 

 

 

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