真紅の彼岸花 8
「――それから奈津子とは音信不通だったわ。連絡をとる手段もなかったし、どこでどうやって生きているのかも分からなかったの」
昔のことを語り終えた皇太后の目からは、再び涙が流れていた。
(そんなことがあったのね……)
初めて聞く母の昔話に、和花は動揺を隠せなかった。膝の上に置かれた手を固く握りしめ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
「私は今でも後悔しているし、夢に見るわ。寄り添えず突き放してしまったことを。もう少し話を聞いて、味方になれば良かった。皇族の母としてではなく、一人の女性として、あの子の意見を尊重し手助けしてあげれば良かった……悔やんでも悔やみきれないわ。それに、藤崎治人さんが彩色の手をお持ちだということも、奈津子が家を出てしばらく経ってから知ったの。とても申し訳ないことをしたと思っているわ」
この国を豊かにするために尽力して下さった色神様の力を分け与えられた者の子孫。知らなかったとはいえ、そんな尊き方を無碍にしてしまった後悔で、くしゃり、と皇太后の顔が歪んだ。
その表情を見ただけで心が痛んだ。
十八年もの間、たくさん後悔し、自分を責め続けたのだろう。彼女の心から悲痛の叫びが聞こえた気がした。
きっと、当時の皇太后は皇太后なりに必死だったに違いない。その時なりに考え、決断したことを和花は否定するつもりもない。
ただ一つ、素朴な疑問が浮かんだ。それは胸の内に留めて置けず、和花の開かれた口からするりと落ちた。
「……母と会おうとは思わなかったのですか?皇太后様が望むのであれば、探して会うことも可能だったと思いますが……もしよろしければ、私が母をこちらへ連れて来ましょうか?」
帝国で最も権力のある皇族。その力を駆使すれば、奈津子を探すことなんて容易かっただろう。それなのに、その力を使わず、後悔を抱えて生きてきていたのだ。今回、和花と皇后様たちが出会えたのは奇跡だ。それならば橋渡しをしようと考える。
「えぇ、そうね。あなたのいう通りよ。どうにかして会うこともできたと思うわ。それに会って謝りたいとも思う」
皇太后は、一呼吸おくと「でも……」と涙を抑えながら、頭を左右に振った。
揺れに合わせて、彼女の頭から、ちりんちりんと小さな鈴の音が聞こえる。
その小さなか弱い音は、和花の耳にやけに残った。
「あの子はこんな母親は嫌だと思う。だから――会うことはないわ」
「そんなことないと思います……!」
まるで自分を嘲笑うかのように、力なく笑う姿と寂しそうな目に和花は耐えきれず、話の途中だというのに遮って声を上げてしまった。
(私はお母さまではないし、母親になってないから全てを理解することは難しい……でも、これだけは分かる……!)
話を聞いている途中に、気付いてしまった。
奈津子も皇太后も、お互いに後悔していて、離れても尚、相手のことを大切に思い、幸せを願っていることを。
そうでなければ、孫である和花に、こんなに丁寧に接してくれるはずもないし、奈津子のことを夢に見るまで悔いていないはず。
それに、それに……!
和花は真っ直ぐ手を伸ばし、皇太后の頭を指差した。
自然とそこに視線が集まる。
「皇太后様の頭につけている鈴の簪、母も大事そうに毎日付けていました」
「……っ!」
皇太后と晴子が大きく息をのんだのが分かった。
ちりん。また鈴の音が鳴る。
ガラス細工でできた、透き通るように美しい百合の花の簪。高貴な色である淡い紫がほんのり色付いている簪は、光が当たるときらきらと輝いていた。
和花はそれに見覚えがあった。
「母はいつも大切そうに、その簪と同じものを必ず身に付けていました。父が亡くなった時は、それをきつく握りしめ涙を流していたこともあります」
「そう……だったのね……これは、私と晴子と奈津子とでお揃いでもらったものなの……先帝から」
皇太后の話を聞き、和花は晴子を見た。確かに、晴子の髪にも同じ簪がさしてある。
「きっと母にとって、家族との繋がりを感じられる唯一の大切なものだったのかもしれません」
奈津子はとても優しい家族思いな人だ。和花や治人が困っていると自分を犠牲にしてまで手を差し伸べてくれる。奈津子の家族思いなところは、きっと心の温かい先帝や皇太后、皇帝、晴子の元でのびのびと育ったからだろう。
別れ方は後悔が残るものだったかもしれない。ただ、それまで一緒に過ごした日々は、家族の温かさは確実に奈津子の心に留められている。そして、奈津子は治人や和花にしっかりと繋いでくれていた。
「母は父を愛していました。そして私のこともとても大切に愛してくれています。でも、それ以上にご家族の方も大切に思っていたと思います」
「ありがとう。本当にありがとう……」
いつの間にか、淹れてもらっていた紅茶はひんやり冷えていた。だが、目の前の皇太后と晴子から流れ出る涙は、ふんわりとどこか温かい。涙がこぼれ落ちるたび、固く凍っていた氷がじわじわと溶けて流れていくようだった。
(いつか、お母さまと皇太后さまたちが、笑い合える日が来たらいいな)
ささやかな望みを抱きながら、和花は二人を見守るのだった。




