真紅の彼岸花 7
あの日から、奈津子と治人が私邸で会っている姿を見てからというもの、心がずっとざわめいている。
相変わらず奈津子は、ぼーっとしたり、顰めっ面をしたりと忙しなかった。
そんな中――
「お父さま、お母さま、お話があるのですが……」
久しぶりに家族水入らずで夕食を終えた後。美味しい料理に舌鼓を打ち、満足していた所で、場に似合わない奈津子の小声が聞こえた。
一瞬のうちに部屋は粛々とした空気に包まれる。
「どうしたんだ?奈津子」
娘を溺愛していた先帝は、奈津子と目線を合わせ、優しく問いかけた。
「……」
何か言いたげで、でも言いづらそうで、言い渋る奈津子の背後には暗い影が見えた気がした。
「……奈津子?」
家族四人の視線が一斉に奈津子に集まった。兄も姉も心配そうに彼女を見つめる。
奈津子は正座し直すと、畳に額を擦り付ける勢いで頭を下げた。
「……お父さま、お母さまにお願いがございます」
あまり見ない奈津子のしおらしい態度に、皆が息を呑んだ。
「……これから一緒に生きていきたい人に出会いました」
「え?」
晴子の気の抜けた声がする。
「……私を嫁がせて頂けないでしょうか?」
弱いか細い声。
呆気に取られ、誰も声を発せられなかった。
あぁ、やはり。奈津子はあの方と共に生きたいと考えていたのか。
言葉を詰まらせる家族の代表として、私は奈津子を直視して問い掛けた。
「突然どうしたの?奈津子。急に言われて驚くわ。相手はどなたなの?どこで出会ったの?」
どこか私は冷静だった。きっと先日二人の姿を見ていたからだろう。聞きたかったことをここぞとばかりにぶつけた。
顔を上げた奈津子の目にはうっすら膜が張っていた。
「……お相手は藤崎治人さまと言います。絵師をしているようで、宮廷の襖の絵柄を描きにきた際に出会いました」
ごくり。隣で俊太郎が大きく唾液を飲み込む音が聞こえた。
「彼はとても素敵な方です。私はこれからの人生、治人さまと一緒に生きていきたい……!」
「ちょっと、待って?奈津子、落ち着いて……!」
慌てた晴子は奈津子に駆け寄り、彼女の肩を掴んだ。
「あなた自分が何を言っているか分かっているの……!?」
肩に置かれた手には力が込められ、大袈裟なくらい奈津子を揺さぶる。奈津子は揺さぶられても動じず、ずっと前を見据えていた。
「やめなさい、晴子」
ずっと黙っていた先帝が一声放つと、誰もが動きを止めた。
先帝の言うことは絶対。これは我が家の暗黙の約束である。それが身に染みているようで、晴子は奈津子の肩から手を離し、静かに隣に座った。
「奈津子。お前の言いたいことは分かった。しかしだな、お前は皇族の身。どこの誰だか分からぬ人の所に嫁がせるのは正直難しい」
「……っ」
「藤崎治人と言ったな?彼は確かに腕の良い絵師だが、身分が違いすぎる。諦めなさい」
「そ、そんな……」
奈津子の大きな目から涙が落ちた。奈津子の気持ちもわかるが、皇族という立場上、簡単に頷けないのも事実。
「奈津子の気持ちはとても分かるわ。でもこればかりは……ね」
先帝の肩を持つ訳ではないが、納得できるよう助け舟を出す。
代々皇族は、位の高い人、親が決めた人に嫁ぐことが暗黙の了解だった。それを破り、しかも身分の低い絵師に嫁がせるなど論外である。
「で、でも……」
「話は終わりだ。今後、彼と会わないように」
未だ口籠る奈津子の声に重ねるように、先帝はピシャリと言い放ち立ち上がった。
この一件はこれで終わりだと力んでいた肩の力がすっと落ちかけた刹那――奈津子は珍しく視線を鋭くさせ、とんでもないことを口にした。
「私は……私はもう決めました――この子を守るためにも……!」
「……へ」
力強い言葉と、奈津子が自分のお腹に手を当てた仕草に、自分の口から間の抜けた声が出た。
(あの子は……何を言っているの……?)
情報処理が上手くいかない。きっとそれは自分だけではないはず。
あの仕草……奈津子のお腹に、赤ちゃんが……?
「奈津子、冗談はよしなさい。父上たちを困らせるんじゃない」
普段温厚な俊太郎も眉を顰め、動揺を抑えて声を掛ける。
「嘘なんてついておりません。本当です。この子は、私と治人様の大切な子です。私が絶対に守り抜きます」
「皇族の娘が、子を身ごもり身分の低い者の所へ嫁入りだと?他の者に示しが付かんだろう。言語道断!認めることなどできるものか!」
滅多と声を荒げない先帝が怒りでわなわなと震えていた。
「奈津子、子どもを産み育てることは簡単なことではありません」
必死に言い聞かせるも、奈津子の意思は鋼のように強かった。
「お父さま、お母さまたちにご迷惑をかけていることは百も承知です。ですが、私はもう覚悟もできました」
「……覚悟だと?まだ年若く、今まで何不自由なく暮らしてきたお前が上手くやっていけるとは思えん。諦めろ」
「嫌です!私はもう決めました。何があっても治人しまと一緒に生きていく。誰に何を言われようとも、そう決めました。ごめんなさい。親不孝な娘をどうかお許しください……」
奈津子は再び額を畳に擦り付けた。誰も話さない重々しい空気。いや、話せなかった。
奈津子の本気具合は切実に感じる。だが平静を失い、頭の中が散らかっている中で、適切な判断を下し、言葉をかけることは難しかった。
「お前は本当にそれでいいんだな?この決断はお前の人生に関わる。本当に後悔しないんだな?」
先帝の落ち着いた低い声。
(そんな言い方をしたら、あの子は頷いてしまうわ……!)
同性として愛する人を見つけ、その人をお慕いしたい気持ちはとても分かる。それでも、大切な娘を見ず知らずの人の元へ手放すのは、母として我慢ならなかった。
「ねえ、奈津子。考え直しましょう?ね?私たちも色々協力するわ」
必死に笑みを作りすがりつく。
「……」
俊太郎は沈黙を貫いていた。
「そっか……」
静かに話を聞いていた晴子は、目に涙を浮かべながら、奈津子の手を優しく握った。
「奈津子は治人さまがとても大切なのね。私は、あなたを信じているわ。治人さまと幸せになれるって――」
「……お姉さま……」
晴子と奈津子が抱き合って泣く様を、ただただ見続けた。いや、見続けることしかできなかった。
結局、話は平行線のままその日は終わった。
奈津子とゆっくり話をしようとした矢先。彼女は忽然と姿を消した。
きっと私たちが反対することを恐れたのだろう。
机上にこんな手紙を残して、彼の元へ行ってしまった。
『今までありがとうございました。わがままな娘でごめんなさい。愛しています。お母さまたちからもらった愛を、私も与えられるようになります。奈津子』
それを読み、私は泣くことしかできなかった。
涙は枯れることを知らないくらい、次々と溢れて止まらない。
どうしてもっと寄り添える言葉をかけられなかったのだろう。
どうしてもっと彼女の気持ちを考えられなかったのだろう。
どうして手を離してしまったのだろう。
「私は、母親失格ね」
乾いた声が静かな部屋に消えた。




