真紅の彼岸花 5
晴子からの言葉に、和花は肝を潰した。
先程から、驚愕することしか起こらない。驚き過ぎて心の中が騒がしく、やや疲れた気もする。
立て続けに聞かされた事実に心が追いつかず、和花は言葉を発することができなかった。
二人きりの部屋には無言の時間が続く。
和花は気持ちを落ち着けようと慌てて下を見て深く呼吸を繰り返す。だが、変わらず頭はぼーっとするのだった。
目の前に座る晴子は、動揺する和花を見ながら眉を下げ、どうにか彼女を落ち着けようと必死に言葉を探していた。
そんな重苦しい空気の中、部屋の戸を叩く音が聞こえ、和花は俯いていた顔を戸に向けた。
「どうぞ」
晴子がそう一言発すると、戸は静かに開け放たれ、しずしずと一人の女性が入室してきた。
途端、部屋の空気が変わった。
白い肌に白茶の髪、そして琥珀色の瞳。六十路くらいだろうか?だが、それを感じさせないくらい若々しく凛としたご婦人だった。成熟された美しさに目が釘付けになる。
ご婦人の登場に、晴子はさっと立ち上がった。
「突然お呼びして申し訳ございません――お母さま」
(……おかあさま……?)
和花は晴子の言葉に引っ掛かりを覚えた。
晴子は目の前に現れたご婦人をお母さまと呼んだ。晴子のお母さまということはつまり……
新たな人の登場に、より身を固めた和花を横目に、晴子はそのご婦人に向かって頭を下げた。
「構いませんよ、晴子。顔を上げなさい」
穏やかな美声が響く。落ち着きのある、やけに聞き馴染みのある声は、凝り固まっていた和花の心を若干和らげた。
(この声……)
「お母さま、こちらへお掛けください」
晴子は自分の隣にご婦人を座らせると、ゆっくりと和花に向き直った。
「和花さん、こちらは帝の母上にあたる皇太后様――つまり、私やあなたの母である奈津子の産みの親ですよ」
……だから似ているのか。
和花はひとりでに納得した。皇太后を一目見た時から、声を聞いた時から感じていた違和感。
聞き馴染みの良い声と似ている容姿。和花の母、奈津子と皇太后はとても似ていた。
「藤崎和花さん」
「は、はい……」
唐突に名前を呼ばれ、声が裏返りそうになる。ここで初めて、皇太后ときちんと目が合った。奈津子と同じ、宝石のような琥珀色の瞳。その瞳が和花を捉え、優しく細められた。
「……本当に、あの子にそっくりなのね」
「……」
「私の可愛い孫……」
気が付けば、皇太后の目からはひとしずくの涙が溢れ落ちていた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……奈津子、和花さん」
その声は頼りなく、震えていた。それはずっと胸の奥に押し込めてきた何かが、堰を切ったように溢れ出すような声だった。
ほろほろと次々流れてくる涙は皇太后の頬を濡らしていく。
「……お母さま」
晴子も涙ぐみながら皇太后の背中を摩っていた。
今まで存在すら耳にしたこともなかった自分の身内。それも自分に高貴な方の血が流れていることを知り、和花は複雑な気持ちだった。
(だから、お母さまは宮廷に彩色の手に関する書物があるかもしれないと知っていたのね。でも何故、今まで宮廷のこともおばあさまのことも、何も私に話さなかったのかしら?)
過去に一度、奈津子に自分の祖父母のことを聞いたことがあった。しかし、奈津子は苦笑いを浮かべ「いつか会えるはず」とはぐらかすばかりだったことを思い出した。
(お母さまとおばあさまたちの間には何かあったのかしら。だから高貴な血筋として生きていたことを私に隠したかったの?)
頭の中で色々な憶測が飛び交う。
(だからお母さまは、あの時……)
数日前、奈津子の元へ出かけた時の帰り際、宮廷のことを歯切れ悪そうに話をしていた顔が頭に浮かんだ。
何か深い事情があったのかもしれない。奈津子と皇太后たちの過去に和花が首を突っ込むことではないのかもしれないが、知りたかった。過去に母の身に何があったのか。何故、母は話を逸らしていたのか。
「……あの」
考えるよりも先に、和花の口は勝手に動いていた。
驚いた表情で目の前に座る藤崎和花は、記憶に残る可愛い妹とよく似ていた。
琥珀色の瞳は大きく開き、小さな口はぽかんと開いている。もう二度と見ることがないと思っていた顔に、驚きと嬉しさと申し訳なさと、様々な感情が湧き上がった。
隣に座る皇太后――母は涙が止まらないよう。それもそうか。奈津子とあんなふうに別れてしまったのだから。
何度も後悔した。あの時もっと彼女に寄り添っていれば、未来はもっと変わっていたのかもしれない。血縁なんて関係なく受け入れていれば、誰も傷付かなかったかもしれない。
後悔しても後の祭りで、夜も眠れなくなるほど、悔やんでも悔やみきれなかった。
「あの……」
昔の記憶を掘り起こしていると、和花が恐る恐る言葉を発した。
「……母は過去に何があったのでしょうか?私、今日初めて知りました。母が高貴な方と血のつながりがあるということを。昔、母に尋ねたことがありましたが、何も教えてはくれませんでした」
――お姉さま、私、まさかこんなことになるだなんて……どうしたら良いのか分かりません……
「……っ」
視線をあちこちに向け、戸惑う和花と昔の奈津子の面影が重なった。
身体を縮こませ、口ごもりながら話す和花に胸が苦しくなる。
「ですが,私がこの手のことで悩んでいた時に、ここに来るように教えてくれたのも母でした。その時、母は何故か少し苦しげに教えてくれました」
「……」
(私たちの元を去ったあの子は、私たちが知らない間にとても強い子になっていたのね)
「……あのっ!」
そんなことをぼんやりと考えていると、彷徨わせていた視線を一点に定めた和花にじっと見つめられた。それは何かを思う強い目。その強い目に似た目を晴子は過去にも向けられたことがあった。
「知りたいです。お母さまに昔何があったのか」
――あぁ、本当によく似ている。
可愛い可愛い、私の大切な妹に――
「そうね。あなたに全てをお教えしましょう」
それまで静かに涙を流していた皇太后は、ハンカチーフで目元を抑え、涙を消す。そして、深く息を吸い込むと、どこか遠くを見つめながらぽつりぽつりと話し始めた。




