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彩色の恋模様  作者: 白萩 たえ
第一部
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黒紅の桜 5



 


 作業部屋へと続く襖の対角線上にある襖を開けると台所兼居間のような所に繋がる。

 従業員の休憩所として作られた此処はお茶や菓子、茶器や小型冷蔵庫などが置かれていた。


 そっと襖を閉めるとそのまま寄り掛かり安堵のため息を吐く。

 自分の胸に手を当てるとどくんどくん、と心臓が大きく音を立てるのが分かる。

 加納家の人々もなかなかの美系揃いで、美顔には少々耐性がついていると思っていたが、今初めて会った蒼弥は群を抜いて美しく、気が動転してしまった。


 (……大変。早くしないと)


 思考回路が停止する頭をなんとか動かし、今自分がやらなければならないことを思い出す。


(お水何に入れようかしら)


 戸棚を開けると食器たちがきちんと整頓されていた。

 几帳面な従業員が管理しているであろう此処は無駄なものがなく、物がどこにあるか分かりやすい。


(湯呑み?それとも水筒のようなものが良いのかしら?)


 普段開けない下の棚を中を覗いてみる。いつ使うか分からないお重やせいろが詰め込まれていた。見た感じ一昔前の古い食具たちである。きっと加納家で使わなくなった物を入れたのだろう。 


 しゃがみ込んで最適な入れ物を探していると、奥から見覚えのある竹の筒が出てきた。 


(この水筒……)


 随分と懐かしい物。

 手に取った物は竹製の七寸程度の水筒。和花が幼い時に使っていた物だ。


 ちょうど一年前の記憶が蘇る。

 この水筒に水を入れ自室に運ぼうとしていたところ、紗栄子に見つかりギロリと睨まれてしまった。


『何?この汚いものは!こんな古臭い物この家に必要ありません』


『こ、これは、私が幼い時に……』


『お黙りなさい!わたくしの言うことが聞けないというの!?』


 強い口調で言い放たれ、怯んでいる隙に水筒は紗栄子の手に渡っていた。


『やめてください!!』


 必死に取り返そうと手を伸ばすもその手を払われてしまう。 


『そんな……』


 お気に入りの水筒で、実家から持ってきた数少ないものなのに没収されてしまった悲しい記憶。

 義母に捨てられた思っていた。でも此処にあるということはきっと誰かが隠すように残しておいてくれたのだろう。 


 手の中にある水筒を見つめていると、昔のことが思い出される。

 これを持ってお父様お母様とお花見をした事、

 暑い夏、澄んだ冷たい川の水を入れて一緒に涼んだ事、

 風邪を引いた時に薬湯を入れて付きっきりで看病してくれた事……

 一瞬で楽しかった出来事が思い起こされた。あの優しかった両親の笑顔も。

 だが、同時に大好きな両親がそばにいた幸せな過去には戻れない虚しさも頭の中をよぎった。


 「お父様、お母様……」


 和花の独り言は、寂しい空気に消えていった。





 ◇◇◇



 和花は藤崎家の長女として生まれ、優しい両親の元で幸せに暮らしていた。


 父は絵師として屏風や襖に絵付けをする仕事をしていた。真面目に働き、美しい絵をたくさん描く自慢の父。

 母はいつも穏やかで、和花の好物である甘いお菓子をいつも作ってくれる料理上手。

 笑いが絶えない、絵に描いたような幸せな家族。


 それが崩れたのは和花が十四歳の時だった。

 父が交通事故に逢い、突然この世を去ったのだ。

 絶望的だった。

 優しい父と二度と会うことができないと思うと涙が止まらなかった。

 深い悲しみに溺れる和花だったが母の方が深刻で、父が亡くなってからというもの塞ぎ込んでしまった。それに伴うかのように身体が病に蝕まれ衰弱していく。

 どんどん瘦せ衰え、寝たきりになった母を看病しながら過ごす日々。それでも母は和花の前では気丈に振る舞い、優しくしてくれた。

 裕福ではなかったが、母といると安心した。母と笑い合える日々を死守する為なら自分はどんなことでもやろうと思っていた。


 そんな生活が二年ほど続いた時に持ち込まれたのが加納家からの縁談話。

 母の治療費を負担する代わりに和花を嫁に欲しいと――


 夜、珍しく布団を並べて寝ようとする和花に母は穏やかな声で話しかけた。

 普段はそれぞれの部屋で寝ているが、婚約のことを考えすぎて眠りが浅くなっていた和花を母が誘ったのだ。


「和花、加納家のことだけど」


「なあに?」


「断っておくわね」


「……どうして?」 


 首を傾げる和花に母は力なく笑った。


「私の為に嫁ぐ必要は全くないの。結婚は自分が好きな人とするものよ。愛して愛されて幸せになるものなの」


「……」


「だから断りましょう。貴方には幸せになってほしい。」


「……お母様」


 母の温かい手が和花の頭を撫でた。

 もしかしたら加納家に嫁いだら幸せになれないかもしれない。一生愛と無縁の生活になってしまうかもしれない。それでも――

 この温かい母の手が遠くに、父の元へ行ってしまうことだけは避けたかった。


 「……お母様、私、」

 母の目を見据えて大きく息を吸う。


「加納家に嫁ぎます」


「……和花」


 母の唖然とした顔が頭から離れない。それでもこれだけは和花も譲れなかった。


「一度加納様の自宅を見に行ってまいりましたが、素敵な呉服屋をお持ちでした。そこに毎日いられると思うと私は幸せです」


 母を心配させまいと機械的な笑みを浮かべ、嘘を並べていく。

 その後何度も引き止められたが、和花も頑なに許さず結局あれよあれよと加納家に嫁ぐことになった。

 母は今病院で一人で暮らしている。和花は義両親の目を盗んでは見舞いへ行き二人の時間を満喫していた。

 今はそれが幸せ。

 母がいれば加納家での出来事も目を瞑っていられる。

 だから和花は何があってもここにいなくていけない。

 大好きな母を守るために――

 

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