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緋色の紅葉 9





 翌朝、和花は温かい布団の中で目が覚めた。

 窓から差し込む光が眩しい。開けたての目を瞬かせ、寝返りを打った和花は、息が止まりそうになった。


(そ、蒼弥さん……!?)


 目の前には目を閉じて、すやすやと眠る愛しい人の姿があった。


(そ、そうだわ、私……)


 昨夜のことが鮮明に思い出される。

 本音を語らった二人は、しばらく月夜を眺め、その後、同じベッドで眠りについたのだった。


(お、同じお布団で……え、えぇ?)


 気持ちが通じ合い、天にも昇る心地だった昨夜は、何も深く考えずに共に布団に入ったが、熱が覚めてくると恥ずかしさが勝り、穴があったら入りたくなった。 


 意外にも初めて見る蒼弥の寝顔をじっと見つめる。目を閉じている彼も美しい。静かな寝息があまりにも不用心で、愛おしくてたまらない。


(蒼弥さんの寝顔を見られるのは、私だけなのね)


 その事実が嬉しく、思わずにやけてしまった。

 吸い寄せられるように、蒼弥の白い頬に手を伸ばす。

 触れるか触れないか、瀬戸際の所で、和花はふと我に返った。


(わ、私なんてことを……!)


 慌てて手を引っ込め、勢いよく半身を起こした途端、和花の手首は大きな手に掴まれた。


(……え?)


 何に掴まれたのか探る間もなく手首を優しく引かれ、和花の身体は再びベットに沈んでいく――どころか、温かい大きなぬくもりに包まれた。


(え、えぇ……!)


 とても近い距離に蒼弥の顔がある。優しく和花を見つめる瞳と目が合った。


「何をしようとしていたのですか?」


「……!」


 ふふ、と朝一で穏やかに笑む蒼弥に目が釘付けになった。

 全身に血が巡り出し、急激に体温が上がり出す。


「あ、いや、えっと……」


 しどろもどろになり、視線を逸らす。


「顔がすごく赤くなっていますよ」 


「……っ!み、見ないで下さいっ!」

 恥ずかしさから、身体の向きを変えようと身を捩った。しかし、手首を掴まれ、背中に手を回されていては動けない。


「最初に仕掛けてきたのは和花の方じゃないですか?逃げないで下さい」


 蒼弥の息が顔にかかる。そのくらい近い。密着している部分から、和花の熱や鼓動が伝わってしまいそう。


「……逃げてなんかいません」


「そうですか。では、今何をしようとしていたのですか?」


 不敵な笑みを浮かべる蒼弥は絶対に楽しんでいる。それが分かった和花は、むっと口を結んだ。

 本当にずるい。顔や声が良い蒼弥は、何をやっても格好良く見えてしまう。


「そ、蒼弥さんは……い、いじわるです!」 


「ふっ」


「私怒っていますから!なんで笑っているのですか?」


 昨日、蒼弥には本音を話しても大丈夫だと確信が持てた和花は、早速、頬を膨らませて怒っている風を装うも、蒼弥は吹き出していた。 


「あまりにも可愛すぎて困ってしまいますね」


「そ,そんなことは……!」


 こればかりは蒼弥の方が一枚上手だった。

 いつも自分ばかりがドキドキさせられる和花は、猛烈に悔しくなり、さっき頬に触れようとしていた手を再び伸ばし、蒼弥の頬に優しく手を滑らせた。  


「……蒼弥さんが、格好良すぎるのが、悪いんです」


 目を逸らさず、しっかりと見つめる。

 その瞬間、手首を握られていた手から力が抜けた。蒼弥の目も口も大きく開かれ,美しい顔面が固まってしまう。


「わ,私!朝の支度をしてきます……!」  


 蒼弥の力が弱まったことを良いことに、和花はベットから抜け出す。甘い空気に耐えきれなくなった和花は、顔を赤らめたまま、足早に部屋を後にした。





 扉を閉めて、誰もいない廊下に出た和花は、顔を覆ってしゃがみ込んだ。

 身体の奥がふわふわと温かくて、おかしくなってしまいそうだった。 


(あぁ、もう、恥ずかしい……)


 彼の表情が脳内で何度も再生される。

 朝からこんなでは一日心臓がもたない気がしてしまう。 


「何しているの?和花?」


 一人うずくまり悶えていると、頭上から声が聞こえた。


「具合でも悪いの?大丈夫?」


 声につられ、視線を上げると、ぎょっとした顔の奈津子が立っていた。


「あ、お、お母さま……おはよう……」


「おはよう……具合でも……と思ったけど、違うみたいね」


「え?」


「ふふふ、何でもないわ」


 まだほんのり赤く、でも昨日よりもすっきりした和花の顔を見た奈津子は何かを察したようで、にこにこと笑っていた。


「ちょっとこちらにいらっしゃい」


「え?えぇ?」 


 有無を言わさず手を引かれ、和花は奈津子の背中を追った。


「ちょっと、お母さま、どうしたの?」


「良いから良いから」


 やけに楽しそうな奈津子は、ある一室の前に辿り着くと、中に入った。 


 部屋は、洋風の台所だった。

 竈や流し台、食器棚だけの質素な和風台所とは違い、大きなオーブンやガスコンロ、冷蔵庫が配置されている。部屋自体もとても広く、綺麗だ。

 見慣れない光景に、和花は立ち尽くした。


「すごい……」


「すごいでしょう?本当に、九条さんには感謝しかないわ」 


 やはり名家、九条家の名は伊達じゃない。金銭的余裕はもちろん、このように取り入れているものが進んでいる。

 この台所なら、昨晩の豪華な洋食が作れるのも納得だ。


「和花」 


 和花が見慣れないオーブンをまじまじと見ていると、奈津子は奥の部屋から小麦粉や塩、得体の知れない何かの粉を抱えて持ってきた。


「それは……?」 


「さぁ、一緒に作りましょう。久しぶりに」


「え?」


「朝ごはん作りましょう?」


「……! はい!」


 一緒に料理をするなんて何年ぶりだろう。嬉しさと懐かしさが込み上げ、和花の頬が緩んだ。


 身支度を整え終わると、奈津子は数種類の粉を混ぜ合わせ始めた。 


「何を作るのですか?それにその粉は……?」


 粉雪のように、さらさらと入れ物に舞い落ちていく粉を食い入るように見る。 


「これは、小麦粉と塩.それから酵母よ」


「こうぼ?」


 聞き馴染みのない言葉に、和花は首を傾げた。


「異国では、イーストというみたい。今日は朝食のパンを焼こうと思って」


「パン……聞いたことあるわ。食べたことはないけど……」


 頭の隅に追いやられていた記憶を引っ張り出す。

 確か、お菓子として加納家の人たちが食べていたことがあったかもしれない。

 こんがり焼けた良い匂いと、ふわふわした見た目が食欲を誘っていた。まぁ、使用人以下の存在だった自分は食べるどころか、触れたことすらないが。


「粉類と水をしっかり混ぜて、こねていくの。そうすると一つに纏って形が作れるようになるわ」


 奈津子の指示通り、ひたすらにこねていくと、初めベタベタと手につきまとっていた生地が落ち着き、ひとかたまりに纏った。

 新しい料理を覚えられることも嬉しかったが、隣に奈津子がいてくれ、一緒に作れることが何より嬉しく、やる気がみなぎってきた。


「お母さま、こうかしら?」


「えぇ、とても良い感じね。そしたらこれを丸くしてちょうだい。こんな感じにね」


 奈津子の手の中で、生地の形が整えられていく。手のひらくらいの大きさのパンが出来上がった。


 台所の小窓からは起きたての朝日が入り、部屋を明るくした。丸め続ける二人に会話はなく、小鳥の囀りがよく聞こえた。


(小さい時もこうやって、お団子を丸めたことがあったわ。その時は上手くできなかったけど、今ならできる。お母さまと同じように作れるのが嬉しい……)


 小さい手で丸められた団子は歪な形だったが、それでも美味しかった記憶がある。過去の思い出が、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。


「和花、良かったわね」


「?」


 思い出に浸っていた和花は、奈津子の言葉に我に返った。

 奈津子はパンを丸める手を止め、優しい眼差しでこちらをみている。 


「朝一であなたを見た時に分かったわ。九条さんに気持ち伝えられたのね」


「え……? あ、はい……」


「あなた達二人は、また一つ絆が強くなったのね」


 和花の手が止まった。


「壁にぶつかっても、お互いを信じて前に進みなさい。立ち止まって休憩をしても回り道をしても良い。でも、そのあとは必ず手を取り合って前に進むの。進み続ければきっと――幸せになれるわ」


 ちょうど奈津子の背後から日が差し込み、彼女を照らした。

 眩い光の中に身を置く奈津子は美しく、きらきら輝く姿はまるで降り立った女神のよう。

 手の中のパンを台に置くと、呆然とする和花の右手を取り、そっと握った。

 手袋越しに、奈津子の手のぬくもりが伝わり、和花の冷たい右手を温めた。


「あなたならきっと全てうまくいくわ。だって、私と治人さんの、大切な娘だもの」


「お母さま……」


「何かあればいつでもいらっしゃい。私はどんな時でもあなたの味方だからね」


「ありがとう……お母さま……」


 奈津子の言葉はおまじないのようだ。耳に入れただけで、すんなりと身体に染み込み、幸せな色を作っていく。


「さ、早く完成させましょう!」


「はい!」


 弾けるような笑顔を向けた奈津子に一つ頷いた和花は、再び視線を手元に戻した。

 和花の顔は、花が綻んだように緩み、朝日のように眩しく輝いていた。

 

 

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