緋色の紅葉 6
口を挟まずに和花の話を聞いていた奈津子は、聞き終えると「そうだったのね」と囁いた。
ゆっくりと奈津子の手が伸びてきて、和花の頬を優しく包み込む。そしてそっと上を向かせた。視線が交わる。
「和花、苦しいのね。……今、とても苦しそうな顔をしているわ」
「……」
図星を突かれ、唖然とした。
「それほど大切なのね、九条さんが」
「……大切」
奈津子の一言一言が、和花の胸に深く突き刺さっていく。
「時間をかけてゆっくりと、お互いを信じる気持ちを育てていく、私はそれが愛だと思っているわ」
「信じる気持ち……」
「えぇ。『彼なら大丈夫だ』と、信じる気持ちが、強い絆があれば、周りの目なんて気にならなくなるものよ。今はまだ信じる気持ちを、愛を育てている段階なのかもしれないわね」
さっと吹き抜ける風が、二人の艶やかな髪を揺らした。深々とした空気の中、小鳥の囀りがやけに大きく聞こえる。
何か言葉を紡ごうと重たい口を開いた途端、奈津子は目を逸らし、聞き逃しそうなほど小さな声で呟いた。
奈津子の手は和花の頬から離れ、力なく、だらしなく膝の上に置かれる。
「私たちもそうだったから……」
「え……?」
思わず目を見開いた、
風の音にかき消されそうな声。初めて聞く両親の話に、和花は仰天しながらも耳を傾けた。
「私と治人さんも、不釣り合いだって散々言われたわ。結婚もすごく止められた」
「……」
奈津子の目は遠くに見える山々に向いていた。口は笑っているのに、目は全く笑っていない。憂いを帯びた表情に目が離せなかった。
「心無い言葉に私の気持ちが折れそうになって、一度は離れる決意もしたわ。でもね、治人さんは絶対に諦めなかった」
「お父さまが……」
「えぇ。『周りの目なんてどうでも良い。これはふたりのことなんだから、周りになんと言われようと、こちらの気持ちを優先すべきだ。あなたはどうしたい?あなたの気持ちを、本心を知りたい』そう治人さんは私に言ってくれたわ。だから、私は彼と一緒にいることを選んだ」
「お母さまとお父さまは強かったのですね……」
今度は和花が目を逸らす番だった。
母と自分は雰囲気こそ似ているが、気持ちの持ち方が全然違う、そう思った。
いくら父から自分たちの気持ちを優先にと言われても、その気持ちを貫くためにはそれ相応の覚悟と強い気持ちが必要になるはず。
――和花には、そんな自信がない。
一人落ち込む和花に奈津子は、ふるふると首を横に振った。
「いいえ、強くなんかないわ。何度も心が折れたもの。でもね、どんなに批判されても、一緒にいてくれると約束してくれた治人さんを信じたわ。治人さんも、そばを離れませんと誓った私を信じてくれた。嫌なことがあっても、治人さんは身を挺して守ってくれた。だから、私は幸せになれた」
「……っ!」
再び視線が交わった母の瞳は、とても明るかった。きらきらとひかり、目が眩んだが、その明るい目から目が離せなかった。
「それに私、誰に何を言われようとも、治人さんを愛していたから。だから、周りの目に屈することなく、前に進むことができたわ」
朗らかな奈津子の顔がやけに輝かしく、今の自分には眩しすぎた。愛していると告げた母は、少女のように生き生きとして、とても可愛らしかった。
「幸せになる為には、待っていては駄目よ。信じ合えるように自分から歩み寄るの。自分の気持ちは自分で言葉にして伝えなくては人には伝わらないのよ。良いところばかりだけではなく、駄目なところも見せ合って、受け入れ、乗り越えていく。だからね、和花、その不安な気持ちを、九条さんに話してみたら良いわ。怖がらず、自分の言葉で正直に」
「……私にできるかな」
ゆらり、と和花の瞳が揺れた。
記憶の中の両親は、夫婦仲が良く、いつも楽しそうにしていた。そんな両親も辛い思いをしたことがあったなんて、誰が想像できただろう。
困難を二人で乗り越えてこそ、幸せがある。
だとしたら、幸せな未来を作るために、和花は今、腹を括らなくてはならない。
「伝えてみなさい。怖がってそのままにして、取り返しのつかないことになる前に、ね」
「ありがとう、お母様」
「いいえ。あなたは私の娘だから、絶対に幸せになれるわ」
ぱちりとお茶目に片目を閉じる奈津子を見て、和花の中で萎れていた花が徐々に上向きに伸びていく感覚がした。
これから自分がどうしなくてはいけないのか、その答えは明確だった。
道端に咲く橙や黄色、桃色の色鮮やかな花の中に、不安な顔をした毒々しい紫や藍色の花が混ざって咲いている。
これまでの和花ならば、毒々しい花は一刻も早く摘み取らなくてはいけないと思っていた。
だけど,違う。
摘み取るのではなく、上から明るい色で染め直せば良い。好きな色で綺麗に染めて、色が褪せても何度でも何度でも塗り直したら良い。
そしたらきっと、いつの日か、明るい色に完全に染まる時が来るはずだから。
たとえ最初はくすんでいたとしても、色はきっと、何度でも生まれ変われる。
それは、人の気持ちも同じだと思う。
負の感情を消す努力をするのではなく、嬉しい、喜ばしい感情で上書きすれば良い。心が正の感情でいっぱいになったその時、きっと幸せを感じられるようになるはずだから。
和花は、そう信じてみることにした。




