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紫紺の葡萄蔓 3





「十分に気をつけて帰って下さいね」


「分かりました」


「知らない人に着いて行ってはいけませんよ」


「そ、そんなに心配なさらなくて……大丈夫です……!」


「本当ですか?こんなに可愛らしい人を……やはり心配なので私も……」


「大丈夫ですから!蒼弥さんはお仕事を……!」


 帰る和花を門まで見送ろうとしてくれる蒼弥だったが、先程から耳にタコができるくらい同じ会話を繰り返している。

 斜め前を歩く蒼弥を見て、思わず苦笑した。

 和花を一人で帰らせるのが、とても心配なようだ。

 もちろん和花自身も全く不安がない訳ではない。ただ、一人でここまで来れたことが少し自信になっている気がした。帰りは反対を辿れば良いだけ。緊張も行きに比べて少し緩和されている。

 ……それに今は、違うことの方が気にかかる。


「本当に心配です」


 ふぅと、蒼弥がため息をつき、その度に大丈夫だと、言葉をかけるのも今で何回目だろう。蒼弥は心配性だと思いながらも、こんなに気にかけてもらえるのは少し嬉しい気もした。

 しかし、一緒に歩いているはずなのに、前を歩く蒼弥と距離を開けてしまう。

 彼が嫌な思いをしないように、無意識だった。

 もやもやと心の中は穏やかではないが、蒼弥に悟られまいと必死に取り繕う。

 そんな和花の気持ちを知る由もなく、目の前の蒼弥は、まだ心配を口にしていた。


(どうして蒼弥さんは……私なんかと……)


「あら?蒼弥さん?」


 庭先に差し掛かった所で、背後から落ち着いた女性の声が掛かった。二人で足を止め、振り向く。

 先頭の女性を筆頭に、数人の女性たちが二人を見ていた。

 声の主はきっと、先頭に立つ女性だろう。その人を視界に捉えた途端、和花は目を瞬かせた。


(綺麗な人……)


 美しくすぎて年齢が読めない。

 栗色の髪を一つに括り、頭には繊細な、豪華な簪がいくつも付けられている。しかし、統一感のある簪は、頭の上で一つの作品のように見えるから、とても見栄えが良い。

 優しそうな琥珀色の瞳に小さな口、顔には上品な化粧が施されている女性。

 何より和花の目を引いたのは、着物だった。

 落ち着いた紫紺の布地に、裾と胸元に今時期らしい葡萄が描かれている。葡萄からは蔓が伸び、蔓と蔓とが絡まり合いこれまでに見たことない模様を作っていた。普通、葡萄柄はやや幼い印象を受けるが、色味がなんとも絶妙で美しく、上品に見える。

 きっと着ている人も相まってだろう。

 美しい女性は、蒼弥の隣に立つ和花の頭から足先までじろりと見遣った。その視線に耐えられず、和花はそっと視線をずらす。


「お久しぶりです、晴子様」


 蒼弥は改まって礼儀正しく挨拶をした。


「そんなに改まらなくてもよろしいのに」


 ふふ、と上品に笑う姿はとても魅力的だ。


「お久しぶりね。蒼弥さん、お変わりなさそうで」


「はい、おかげさまで」


「お父上もお元気で?」


「はい。あちらで母とのんびり暮らしているそうです」


 話の内容からして、二人は余程親しいのだろう。次々と話題が浮かんでくる。和花は弾んでいく二人の会話をぼーっと聞いていた。


「……そちらの方は?」


 突然、話題が和花に向けられる。二人の会話をただ聞いていただけだった和花は狼狽えながらも、挨拶をしようと口を開きかけた。しかし、それよりも早く蒼弥の声が聞こえた、


「こちらは――私の妻になる方です」


「……っ!?」


 躊躇わずに言う蒼弥に、和花は思わず息を呑み、隣に立つ彼を見上げた。


 恋人である蒼弥とは、ゆくゆくは婚姻を結び、穏やかに暮らしたいと思ってはいた。

 だが、先程のこともあり、自分は妻どころか恋人になど相応しくないと思い始めたのも事実。

 それなのに、こんなにもはっきり、妻になる方と言い張るだなんて……

 動揺が隠しきれない。

 そんな和花の気持ちに気付くはずもなく、蒼弥たちは変わらず言葉を交わしていた。


「……妻になる方……あら、蒼弥さんにも春が来たというの?万年仕事人間なあなたが?」


「えぇ。自分でも驚きましたよ」


 ふふ、と上品に笑う女性は美しい。 

 そして、美男美女の二人が並ぶととても絵になった。

 和花の心に、得体の知れないモヤのようなものがかかる。

 年齢を感じさせない若々しさと美しさと落ち着きが、蒼弥の隣に並ぶと互いに引き立って見えた。


(蒼弥さんは、あのような落ち着いた方と並んだほうがお似合いなのかも知れないわ……) 


 ここに来てから、感じていた負の感情が一気に漏れ出した。気付かれないうちに蓋を閉めたいのに、雑に開けられ、中からどろどろとした嫌な気持ちが溢れてくる。それはもう止められないほどに。

 ――果たして自分は蒼弥の隣に立つに相応しい人間なのかと。


 宮廷で蒼弥と共に働く人は皆、堂々として学がある。それに、文官長である蒼弥が廊下を歩くだけで周囲の人から憧れの眼差しや尊敬の声が溢れていた。今のように声をかけらることも多かった。

 それに比べて自分は、幼さが残る顔立ちに、おどおどした態度。小さなことで心配になり、自分に自信がない。

 とても蒼弥の隣にふさわしい人間だとは思えない。

 目の前で楽しそうに話す二人が遠く感じた。


「和花」


「は、はい……」


 突然声をかけられ、肩が揺れる。


「まだ紹介していませんでしたね。こちらは主上の妹君の晴子様です」


(主上の妹君……?この方が今の帝の妹……)

 一気に背筋が伸びた。失礼があってはいけないと姿勢を正す。

 しかし、巾着を持っている手は小刻みに震え始めた。それを隠すように手をぎゅっと握りしめた。


「お、お初にお目にかかります。藤崎和花と申します……」


 戸惑いが伝わらないように、失礼のないように精一杯丁寧に礼をしたが、声が震えてしまう。


「……藤崎、和花?」


 何故か晴子は和花の名を、復唱した。

 何か粗相をしてしまっただろうか?胸の奥がざわめく。

 ゆっくり表を上げると、目の前の晴子は驚いたように目を見開き、固まっていた。口元には扇子が当てがわれている。


「あ、あの……?」


 晴子の真意が分からず、焦りが滲む。と、同時に疑問が浮かんだ。


(よく見るとどこかで会ったような……?)


 記憶を辿っても思い出せないが、どこか見覚えのある顔な気がした。だが、こんな高貴な方と知り合うつてもない。気のせいだと自分に言い聞かせる。


「なんでもないわ。それでは私はこれで」


 蒼弥と話す時は穏やかに優雅に話していたのに、和花が自己紹介をした途端、扇子で口元を隠し、どこか突き放す口調に変わってしまった。

 きっと蒼弥の隣に立つ自分に、落胆したのだろう。

 そう誰に言われた訳ではないが、彼女の態度からそう感じ取ってしまった。

 負の考えが一度駆け巡ると、思考は地に転がり落ちるように嫌な方へと向いていく。

 晴子はさっと踵を返すと、多くの女官たちを連れて足早に立ち去っていった。


 姿が見えなくなると、和花はやっと深く呼吸ができるようになった。しかし、胸のつかえはいまだ取れない。


(やはり私……気分を害させてしまったのかしら……)


 何がいけなかったのか、ぐるぐる思考を巡らす。

 埒が開かないと考えた和花は、思い切って隣に立つ蒼弥を見上げた。


「……蒼弥さん」 


「はい」


「私、晴子様の気に触るようなことしてしまったでしょうか?」


「いいえ。何も心配いりません。挨拶も礼も丁寧でしたよ」


「それならいいのですが……」 


「きっと初めて会った私の妻になる人に驚いたのではないですか?」


 蒼弥は和花の顔を覗き込み、笑いかけた。


「……そうだといいのですが……」


 和花の中で新たな悩みが出てきた。

 一つは自分に会った時の晴子の態度。

 もう一つは、蒼弥の隣に自分は相応しいのか。

 和花はその場に立ち尽くした。


「和花?大丈夫ですか?」


「……」


「和花?」


「……はい、大丈夫です」 


 心配をかけまいと口許を緩めるも、どこかぎごちない。いや、緩めようと頑張ってみたが、口角が上がらなかった。


「文官長!急ぎの用件が……!」


 遠くから蒼弥を呼ぶ声が聞こえた。彼が仕事中だったことを思い出す。迷惑をかけてはいけないと、無理矢理笑顔を作った。 


「……それでは失礼いたします」


「和花!」


 和花は逃げるようにその場を立ち去った。

 背後から蒼弥に声をかけられた気がしたが、振り返られなかった。

 こんなみっともない顔、見せられない。

 宮廷を出ると、また暑い日差しに照り付けられる。ただ、今の和花にはその暑さも感じられないほど、心の中がざわめいていた。


(こんな気持ち、久しぶりね)


 行きより緊張が減ったと思いきや、帰りは色々なことが脳内を張り巡らせ、気持ちを重くする。

 鉛のような重い足取りで、ゆっくりゆっくり家路に着くのだった。

 

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