石竹の舞扇 3
――和花へ
これを読んでいるということは、もしかしたら私はお前のそばにいてやれないのかもしれない。
ここ最近、我々の力を狙い、裏で不審に動く影がちらついている。
お前に危害がないように手は尽くすが、もし接触してこようとしたら逃げなさい。
お前の絵は人々を幸せにできる。
そしてお前の力はお前のものだ。誰かに良いように使われる物でも、悪用される物でもない。自分のために、自分が望むものに惜しみなく使うんだよ。
私は和花と母さんを守るためならなんだって出来る。たとえそれが自分の命を引き換えにしたとしても……
最後に。
和花、愛している。父さんと母さんの宝物。お前の人生はお前のものだ。幸せになってな。
父より――
「……っお父様……」
涙で手紙がぼやける。
何度も何度も読み返しては涙を誘った。
こんなにも自分の幸せを願ってくれていたのか。
こんなにも大切に想ってくれてくれていたのか。
ひしひしと父の愛が伝わる。
「それなのに、私……」
私自身は自分の幸せを願えていただろうか。
何故、今まで自分の気持ちを押し込めてばかりいたのだろう。
母を守るため、誰かを傷つけないため、迷惑をかけないため――理由はいつも誰かのためで、自分の心の声には耳を傾けられていなかった。
けれど、父の言葉はそんな私を優しく叱るようで、同時に包み込むようだった。
「ごめんなさい……お父様……」
声にならない嗚咽が喉の奥から込み上げ、胸の奥を震わせる。
でも、今ならほんの少しだけ、前を向いて、自分の生きたい道を進んでいける気がした。
これは私の人生――
父と母が私に与えてくれた、たった一つの大切なもの。
もう、誰かの顔色を窺って生きるのはやめよう。
自分の力で、自分の望む幸せを描いていこう。
自分の思いを自分の言葉で伝えてみよう。
今まで閉ざされていた扉の鍵を見つけたような気持ち。
鍵はかちゃりと難なく開き、びくともしなかった扉が重い音を上げながらもゆっくり、大きく開かれていく。
その先には眩しいけど心地良い、明るく色彩豊かな光が見えた気がした。
涙を拭い、前を見据える。
(まずは……)
私にはやることがある。
出掛け前に蒼弥と約束したこと。
蒼弥にまだ言えていなかった『自分の気持ち』を想いのままに伝えなくては。
手紙と石竹色の着物を風呂敷に包み直す。これはお守りだ。和花が自分の声に素直に耳を傾けるための。
蒼弥の元まで行こうと襖に手をかけたその時、まだ触れてもいない襖が勝手に大きく開け放たれた。
「……わ!」
小さな声を上げ、後ずさる。目の前の視界には紺色のきちんと結ばれたネクタイが入った。それを辿るように目線を上に上げる。
そこには同じく目を丸くした蒼弥が立っていた。二人の視線が交わる。
「あ、す、すみません……」
「驚かせてしまいましたね。こちらこそすみません」
彼の元までいこうとしていたはずなのに、実際に目にすると緊張で固まり、うまく言葉が出てこなくなる。
ふい、と思わず目を逸らしてしまった。
(彼に伝えなくてはならないことあるんでしょう?!)
心の中で自分に言い聞かせる。やっと決意ができたのに、目の前の彼に簡単に言えないのはきっと――彼が好きだから。
嫌われたくない、そんな気持ちが顔を出すからだろう。
「よかったら散歩にでも行きませんか?」
一人あれこれ考えている和花の耳に優しい声が届く。
「散歩ですか?」
「この時間の散歩はとても心地が良いですよ」
ふと外をに目をやると茜色の空が広がっていた。
いつの間にか日が傾き、もう少しで沈もうとしている。
「……ぜひ行きたいです」
「はい。行きましょう。お待ちしているのでよければ――その着物を着て来てください」
「え?」
蒼弥の指先は和花が大切に抱えている風呂敷を指していた。
「知っていたんですか?この中身」
「こちらへ向かう道中、加納さんに教えて頂きました。お父様からの素敵な贈り物だと。和花さんへの想いが詰まった素敵な着物を見てみたいです」
「……分かりました」
そう答えた和花の口元に、ほんのわずかに笑みが浮かんだ。
蒼弥が出ていったことを確認すると、姿見の前で石竹色の着物に袖を通す。
明るい色味が、和花の顔色をぱっと華やかに見せる。加納家では黒や紺など暗めの色を選ぶことが多かった。なるべく目立たずひっそりと過ごすため。だが、もうその縛りもなくなったのだ。
久しぶりに着る明るい色味に少し緊張が走る。
こんな華やかな色、私に似合うかしら?分不相応ではないかしら?そんな考えも頭を掠めたが、勢いよく振り払った。
これは父が残してくれたお守り。父が私のことを考えて残してくれたもの。分不相応なんて言ったら父に失礼だ。
カナが気を利かせて持って来てくれた化粧道具を借り、久しぶりに顔に色を乗せる。
目元や口元に色を付けただけで別人のような気がした。
私は今、生まれ変わった。今なら言える。
(よし、行こう)
鏡に映る自分を鼓舞するように一つ頷き立ち上がる。
先日のように気持ちを伝えられないまま終わってしまわないように。
きちんと恐れず伝えられるように。
父からの手紙と母からもらった兎を袂に入れ、蒼弥の待つ玄関に足を進めるのだった。
(変に思われなかっただろうか……)
玄関先で和花を待つ蒼弥は頭を抱えていた。
自身も黒色の着物の上に象牙色の羽織りを身に纏った落ち着いた雰囲気の和装になっていたが、心は落ち着いていられなかった。
(着物を見たいです、なんておかしな発言では無かったろうか?)
思わず本音が飛び出てしまった先程の自分を恨めしく思う。いや、見たかったのは本当だが、気付いたら口走っていたので自分自身も驚いた。
「お待たせ致しました」
背後から声をかけられ振り向いた蒼弥は、驚いたように目を見開いた。
「……」
言葉を失った。彼女の白い肌に石竹色がよく映える。彩豊かに描かれた四季折々の花々が彼女の美しさをより引き立てていた。
これまでの彼女も良かったが、一番良い。彼女は明るい色味の着物の方が似合う。
「……あの……変、ですよね。私がこんな華やかな着物は……」
何も答えない蒼弥に不安そうに戸惑いの声を上げ、その声にふと我に返った。
「すみません。あまりにも綺麗でつい見惚れてしまいました」
「……え、あの、あ、ありがとう……ございます……?」
蒼弥の突拍子もない言葉に和花の頬が赤くなった。そんな姿さえも愛おしい。
だが、それ以上に自身も熱い。風呂上がりのような熱がまとわりついている。
「それでは行きましょうか」
「は、はい……!」
少々ぎこちなくなりながらも玄関の戸を優しく開けた。




