石竹の舞扇 2
父の死は事故ではなく、誰かの意図によるもの――
その悍ましい事実が胸に突き刺さった瞬間、和花の中で何かが崩れ落ちた。
そんな悍ましいことを計画しなければ、父は今も生きていたのかもしれない。
そうすれば母も体調を崩さなかったかもしれない。
そしたら今も、和花は両親と平和な日々を過ごしていたのかもしれない――
知らぬが仏とはまさにこのこと。知りたいようで知りたくなかった。
そして、和花の脳内では後悔が渦巻き始めた。
あの寒かった雪の日の朝。
父は連日の仕事の疲れと寒さもあって体調が思わしくなかった。
仕事を休むように言ったが「大丈夫」の一点張りで、父の言葉を信じて見送ったのだ。
忘れもしないあの大きな頼もしい背中を。
もしあの時、もっと強く言い聞かせ、休ませていたら。
もしその計画に少しでも気付き、何かしらの方法で止められていたら。
もっと強く言っていれば。
もっと、早く、気づいていれば――
そればかりが頭を巡る。
救えたかもしれない後悔と義父に対する強い怒りが湧き上がり、和花の心を大きく混乱させた。
「父の代わりと言ってはなんだが僕から謝罪をさせて欲しい。本当に申し訳ありませんでした」
「……」
再度、深々と頭を下げる直斗に言葉をかけようと口を開くも、声が出なかった。
直斗は何も知らないのだから仕方ない。そんなこと分かっている。それでも一度引き摺り込まれた泥道から足を抜いて歩くのは容易ではない。
何かを伝えようとする度、混乱し呼吸が乱れていく。
「……っはぁ」
息が苦しい。息を吸っているはずなのに、全く身体に取り込まれない。
「……和花さん?」
「……っ」
和花の変化にいち早く気づいたのは蒼弥だった。
握っていた和花の手をそっと離し、優しく彼女の背中を撫でる。
「……大丈夫です。ゆっくり呼吸をして下さい」
おろおろする由紀と困惑する直斗を横目に、蒼弥は和花が落ち着くまで背中を摩り続けた。
そのぬくもりに意識を向け、呼吸を整えていく。
「……っすみません……ありがとうございます……」
まだ少し苦しい気もするが、とりあえずは息が吸えるようになった。
向かいに座る由紀は、安堵の表情をしているが、その隣に座る直斗は苦しそうに顔を歪めていた。
言わなくては。そうしないと直斗は、ずっと苦しいままだ――
大きく息を吸うと、詰まりながらも和花の気持ちを述べた。
「……確かに、怒りが込み上げます。ですが、直斗さんは何も悪くないじゃないですか……お義父様が……単独で致したことでしょう?」
「そうかもしれません。ですが、この償いは息子として父の尻拭いをしなくてはと思います。本当に申し訳ない」
「お顔を上げてください……」
「……本当に申し訳ない……」
自分は何も知らなかったと言うのに、父の為に謝罪をする直斗を見て、心苦しくなった。
可哀想なほどに縮こまる直斗は、視線を合わせぬまま呟いた。
「今日は謝罪と別れを言いにきました」
「別れ……ですか?」
「はい。加納屋は店を閉め、僕と母は地方に移り住むことにしました。明後日、帝都から出て行きます」
静かな部屋に直斗の声だけが響く。
「……そうですか……」
せっかく代々受け継がれてきた店を閉めてしまうのは勿体無い気もする。
加納の家や人は苦手だったが、加納屋に来たお客様が着物を手に取る時に見せる笑顔、美しく煌びやかな着物や反物が並ぶ様を見るのは好きだった。
だが、和花にはどうすることもできない。直斗や義母が決めたことを受け入れるしかなかった。
「それと、こちらを渡しに」
「……?」
「父が処分しようとしていたものを拾い、こっそり隠しておきました。いつか渡そうと思って」
直斗が机の上に若緑色の風呂敷を置く。箱のようなものが包まれているような感じがした。
「和花さん」
「はい」
直斗と視線が交わる。直斗の瞳の奥は不安や怒りや、様々な感情を含めて、ゆらゆらと揺れていた。
「僕からこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、この婚約はなかったことにしましょう」
「……」
「これからの人生、何に縛られることなく幸せになって下さい」
そう静かに告げた直斗は和花からの返事を聞く間もなく、ゆっくり立ち上がった。一礼し、部屋から出て行こうとする直斗を、和花の頼りない声が呼び止めた。
「直斗さん」
きっと彼と会うのはこれが最後。
地方へ赴く彼とはもう、会うことは無いだろう。
「今までありがとうございました」
和花はその場に立ち上がり、頭を下げた。
決して、今までのこと全てを水に流せた訳ではない。しかし、自身も被害者であるのに、父のために罪を償おうとしている直斗に少し同情してしまった。
だから、せめてもの思いで頭を下げる。
「こちらこそ」
直斗は微かに笑った気がしたが、そう一言告げると振り返らず立ち去って行った。
――たった今、和花は自由になった。
直斗との婚約は破棄された。
でも何故か、手放しで喜べない自分もいた。力なく笑った直斗の顔が頭にこびりつく。
こちらを振り返ることもない彼の広い背中には、加納家の終わりと、償うべき罪の重みが静かにのしかかっていた。
それを背負って生きていくという覚悟が、言葉よりも雄弁に語っていた。
直斗を見送るために弥と由紀は席を外し、和花は一人きりになった。
和花も玄関までついて行こうとしたが、身体に力が入らず、その場から立ち上がれなかった。
呆然と今しがた知った事実を思い出す。
殺されたなんて嘘だと信じたいが、直斗が置いていった目の前の風呂敷が現実だと和花に言い聞かせているようだった。
何を隠そうこの風呂敷に見覚えがあった。父が良く使っていたもの。仕事道具を包んで持ち歩いていたものだった。
しばらく見つめていた和花だったが、覚悟を決めそっと結び目に触れた。
するすると解き風呂敷を開くと、現れたのは石竹色の生地に扇面文様があしらわれた一着の着物だった。
「綺麗……」
石竹色がとても愛らしい。その上をいくつもの扇面が舞うように配されている。
それぞれの扇面には四季折々の花が描かれていた。
風に揺れるしだれ桜に可憐な朝顔、色鮮やかな秋桜に春を告げる梅。
四季の移ろいを感じさせる意匠だった。
背景には金糸でに描かれた流水紋が流れ、扇面をやさしくつないでいる。
すべてが連なり、季節が巡るように、終わりは始まりへとつながっていた。
「お父様の絵……」
きっとこれは彩色の手を持つ父が描いたに違いない。
だってこの季節の花々は、あの幸せだった家の庭に咲いていた物だったから。
春にはしだれ桜の下で三人でお花見をした。
夏の清々しい朝に咲く紫や青色の朝顔は美しかった。
可愛らしい秋桜が心地良い秋風を運び、それをみんなで眺めた秋。
寒さにも負けず春を告げようと懸命に咲いた梅を温かい部屋から見守った冬。
脳内に昔の思い出が蘇る。
この着物は父が和花との記憶を扇に閉じ込め、一つ一つ描き遺したものだった。
四年ぶりに父の想い、父のぬくもりに触れられた気がした。
何も告げず父がいなくなり、心にぽっかり空いていた穴が、少しずつ満たされ埋められていった。
四年という月日は、和花からあまりに多くのものを奪っていった。
けれど今、確かにここにある――父の想いが。
そっと手に取り胸に抱きしめる。父の愛を想いをすぐ近くで感じたくて、ぎゅっと強く、優しく――
力を緩めた途端、ひらりと落ちてきた紙切れを手に取った。
優しく丁寧に広げると、そこには見覚えのある父の文字が浮かんでいた。




