蒲公英と菊 7
病院を後にした和花と由紀は、その足で甘味処を訪れていた。
平日の昼間ということもあり、店内は人がまばらで、髪を一つお団子に括った清潔感のある店員から、
「お好きな席にどうぞ」と言われた二人は外の景色がよく見える窓際の席に着く。
「甘味処なんて久しぶりです。とっても嬉しい……」
お品書きに目を通す和花の顔は明るく輝いていた。
「今日は好きなものをゆっくり食べましょうね。誰も咎める人はおりませんから」
「はい!」
加納の家では見せない屈託のない和花の笑顔に、由紀は複雑な顔をしている。
もやもやする由紀の心など知る由もなく、和花は頼んだ甘味が早く来ないか、今か今かと待ち構えていた。
「お待たせ致しました。ごゆっくり」
茶色い丸い机にあんみつと紅茶が置かれた。
あんこや果物、寒天など様々な具材がのった彩豊かなあんみつは見るだけでも楽しい。
「うわぁ!美味しそう!いただきます」
あんみつを一口掬い、口に運ぶ。
あんこの甘さと果物のさっぱり感が口の中いっぱいに広がり幸せな気分になる。
和花は昔から甘いものに目がなかった。
料理上手な母はお菓子を手作りして振舞ってくれた。
大福や団子、カステラ……
和花も団子をこねて丸めたり、大福に餡を包んだりとよく手伝っていたものだ。
加納家に来てからは甘いものを食べる余裕もなく、こんなに豪華な甘味を食べるのは久しぶりだった。
不思議。とても甘い味がする。
加納家で食べるものは味が分からなかったのに。厳しい監視の目もなく、余裕ができた和花の味覚は不思議と戻っていた。
久しぶりの美味しさに手が止まらない。
「本当に美味しそうに食べますね」
向かいに座る由紀は紅茶を飲みながら幸せそうにする和花を見て歓笑した。
「えぇ。本当に美味しい」
会話も忘れ、黙々と食べ進める和花。無邪気な姿に由紀は妹を見る姉のような気持ちになった。
「由紀さん」
ふと和花の手が止まり、匙を置いた。
「どうしましたか?」
真剣な和花の表情につられ、由紀も持っていた紅茶茶碗をそっと机に置いた。
「ありがとうございました」
理由も告げず頭を下げた。何に対する礼なのか分からず、由紀は焦る。
「え?あ、あの……?どうしました?お顔を上げてください……!」
おろおろする由紀を横目にゆっくり顔を上げた和花は、手元のあんみつを見つめた。
「何に対してって訳ではないんです。今日も着いてきて下さいましたし、いつも私を気にかけて下さる……もし私と親しくしていることが義両親の耳に入ったら肩身の狭い思いをしてしまうかもしれませんのに……」
「そんなっ!私は和花さんと居たくて、自分の意思でやっておりますので……!」
「ありがとうございます。とても嬉しいです。ですが、自分のことも大切にしてくださいね。私は大丈夫ですので……」
「どうしてそのように言うのですか!?」
類い稀な由紀の大声に和花はたじろいだ。
「和花さんは何か悪いことをしたのですか?何故我慢するのですか?!……私は親切な和花さんが大好きです。大好きな人と一緒に居たいと思うのはおかしいことですか?」
「……由紀さん」
「でも私も臆病者です。旦那様や奥様の前では知らないふり、見ないふりをしてしまいます。それが心苦しくてしょうがありません……」
「それは仕方がないことだと……」
「いいえ。もっと私に勇気があればと何度も思いました。陰でしか助けられませんが、私にとって和花さんはとても大切で、幸せになって欲しいと願ってやまない人です」
「……」
「九条様も和花さんが心から笑うことを望んでおられますよ」
「ど、どうして今九条様の名前が……」
「お好きなんでしょう?和花さん」
「……」
病室での母との話が蘇った和花は、決心して口を開いた。
「好き……かもしれません」
「かもしれないんですか?」
「……はい。お恥ずかしい話ですが、異性の方を好きになった経験がありません。これが好きという感情なのかまだ分からないのです」
「そういうことですか」
ふふっと口元に手を当て由紀は小さく笑った。
「きっと和花さんは九条様を好いていらっしゃると思いますよ」
「え?」
「九条様とお会いになる時、和花さんはいつもとても幸せそうなお顔をされていますから」
まるで自分のことのようにうっとりする由紀。
気持ちを伝えても引かなかった由紀に安堵しつつも、和花はもう一つ気がかりなことを尋ねてみた。
「……由紀さんは怒らないのですか?」
「何をですか?」
「私は加納家に嫁いだ身。嫁いだはずなのに他所で気になる人を作るのはよろしくない行為だと思います。だから……」
「それで和花さんは幸せになれますか?」
「……っそれは」
「直斗様と結婚されるより九条様の方が和花さんを幸せにしてくれると思いますよ,私は」
「……そうですか?」
「はい。九条様の方が和花さんの変化をよく見ていますしね。今日お会いした時も嬉しそうだとすぐに見破られていましたし」
朝のことを思い出したのかクスクスと笑い出す。
「私はお似合いだと思いますよ。九条様と和花さん」
和花の顔がかぁっと赤くなった。なんてことなしに言ってくれるが、とても恥ずかしい。
「和花さんのお気持ちを聞かせて頂けて嬉しいです。私はあなたの味方です。何かをしたいのであれば協力したいと思っております」
「ありがとうございます。由紀さんが居てくれて心強いです」
「加納家の使用人ですが、いざという時は辞めて和花さんと共に生きるくらいの覚悟がありますから!」
「ふふふ。これからもよろしくお願いします」
ぎこちなく差し出した和花の手を由紀は優しく握った。
「はい!もちろんです!」
顔を見合わせると自然と笑みが溢れた。
「さぁ!食べ終わったら次どこに行きましょうか?」
「そうですね……あ、雑貨屋さんに行ってみたいです!」
「良いですね。行きましょうか」
由紀がそばにいてくれると安心する。
心なしかすっきりした表情の和花は再び匙を持ち直し、あんこを口に入れる。
同じあんみつなのに先程よりも甘く感じた。
蒼弥に対する気持ちに気付いたざわめきはある。好きだと意識すると、より会いたくなるし、話したくなる。
それでも、今は目の前の由紀との時間を噛み締めようと食べかけのあんみつを頬張った。