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蒲公英と菊 6





 

「失礼致します」


 病室の引き戸を開けて目の前に見えたのは大好きな母の驚いた顔だった。

 体調が安定しているのか、前回来た時よりも顔色が良く、やつれていた頬もほんの少しふっくらしている。父が亡くなる前の元気だった姿に近づいていた。


「和花。久しぶりね」


 一ヶ月半ぶりの再会に母は驚きながらも温かく迎え入れてくれた。

 走りたい衝動を抑え、早足でベットに近付く。


「お母様、以前よりもお顔の色が良さそうね。体調は大丈夫なの?」


「ふふ。そうね前よりずっと良いわ。新しいお薬が効いているのかも」


(お母様が元気そうで良かった)


 お茶目に笑う母を見て和花は胸を撫で下ろした。


「全然来てくれないから寂しかった……あら?そちらの方は?」


 子どものように口を尖らす母は和花の後ろに立つ由紀に気付いき首を傾げた。


「こちらは由紀さん。加納の家で家事をして下さる方よ。とても良くして頂いているの」


「お初にお目にかかります。由紀と申します」


「初めまして。和花の母の藤崎奈津子です。いつも娘がお世話になっています。不躾な格好で申し訳ございません」


「いいえ!とんでもございません! 私の方が和花さんに色々と助けて頂いております……!」


 互いに頭を下げ合う二人の間に立ち、和花の口元が綻んだ。

 穏やかな空気感と優しい言葉。

 大切な人たちに囲まれ和花はこの上ない幸せを感じていた。

 ずっとこのまま平和な時間が続いて欲しいと強く思う。


「和花さん、私少し出てきてもよろしいですか?」


「……?ええ。大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。来る途中に気になるお店がありまして。すぐに戻りますね」


 きっと親子水入らず、気を遣ってくれたのだろう。本当に出来た人である。

 それが母にも伝わったようで「良い方ね」と由紀が出て行った戸を眺めていた。


「えぇ。本当に良い方よ。とても大切な方」


 ベットの脇に椅子を出し腰掛ける。

 会っていない時間を埋めるかのようにたわいもない話で盛り上がった。


 手描き職人の仕事は楽しいこと、今着ている着物も自分で仕立てたこと、お客様から褒められて嬉しかったこと……

 母を心配させたくない思いから、義両親や直斗のことは誤魔化しながら話を進めていく。

 和花の話に相槌を打ちながら、優しい顔で母は聞いていた。


「今日はとても良い天気ね」


 和花がひとしきり話し終えると母は窓の外を眺めながら呟いた。

 陽の光が差し込むあたたかな昼下がり。母はうっとりと雲ひとつない青空を見ている。


「覚えているかしら?昔、このくらい天気が良い日に家族三人でお花畑でお弁当を食べて遊んだわね」


 遠い記憶。

 母と一緒にお花の冠を作り父に贈った覚えがある。そして、母の手作りのお弁当をみんなで食べた。

 その時の二人の笑顔が目に浮かぶ。


「……覚えているわ。お父様もお母様も私も皆笑っていた……」


 母の話を聞き昔を思い出した。

 幸せな家族。幸せな日々。戻りたくても戻れない日々――


「ねぇ和花?」


 外を見ていた母はいつの間にか和花をじっと見つめていた。


「なあに?お母様?」


 母の目に吸い込まれそうな感覚。目が離せない。


「あなたは今幸せ?」


「……!」


 母の言葉が胸に突き刺さる。

 はい、と即答できなかった。言葉が詰まり、自分を見る母から目を離せない。


 母を安心させるために「幸せです」と一言言えば良いはずなのに、母の目を見ていると嘘がつけない気がした。いや、嘘をついたとしても見破られそうだった。


 本当に自分は今幸せなのだろうか?

 母のことを思って加納家に行き、一年やってきた。

 婚約者との間に愛がないことも幸せになれないかもしれないことも覚悟の上だった。

 それでも、もしかしたら幸せになれるかもしれないとほんの少し希望を持っている自分もいた。

 しかし、実際に加納家で暮らし、あの家では心が満たされない、辛いと感じてしまう。幸せの「し」の字も感じられないほどに冷え切った場所に和花の心も疲れ切っていた。

 だが、大好きな母の為にこのまま一生使用人以下の扱いで生きていくことに腹を括っていたつもりだった。

 それなのに母の言葉とまなざしに決意が簡単に揺らいでしまう。

 何も言えず固まる和花の頭を母はそっと撫でた。


「和花は誰と一緒にいると幸せを感じる?これから誰と生きていきたい?」


「誰と……」


 じわり。目の前の母がぼやけて見えた。

 母の言葉を聞き、頭に浮かんだのは義両親でも直斗でもなく、先程ばったりと会ったあの人だった。


 今までの和花は母が全てだった。母が元気で生きていてくれれば良い。それが幸せだと思っていた。

 だから加納家で冷遇されても我慢出来た。「母が生きている」この幸せを継続させる為には多少の我慢は必要だと思い込んでいた。


 だが、違った。

 あの人と出会い気付いてしまった。

 共に過ごす人が変わるだけで見える景色の色が変わるのだということを。

 信忠が来た時は灰色一色にしか目に映らない景色が、蒼弥が来るとどうだろう。華やかな明るい色が浮かび上がっていく。同じ作業部屋のはずなのに見え方が感じ方が変わってくるのだ。

 彼と一緒にいると心が穏やかになり心地良い。

 このまま時が止まって欲しい、彼のことをもっと知りたいと強く願ってしまう。

 彼といると幸せを感じる――

 こんな気持ち初めてだった。


 でも、気が進まずとも一度加納家に嫁ぐ決意をしたのだから、直斗以外の異性に興味を持つだなんて言語道断。嗜められたり、軽蔑されたりすると思い、その気持ちには無理やり蓋をしていた。

 自分の気持ちを言葉にすると何かが壊れてしまそうで人に言えなかった。

 母の温かい手が和花の涙を拭う。


「人を思って自分の感情を抑えることは人とより良い関係を築いていく為に必要かもしれないし、それが自分を生きやすくさせるかもしれない。でもね、自分の気持ちを伝えることは決して悪いことではないわ」


 一語一語が和花の心に響く。


「自分の中でどうしても譲れない大切にしたい事、物、人。それを手にして離さない為には自分の思いを持ってそれを周囲に示すこと、それから勇気を出して動く必要ことが必要だと思う」


「自分の思いと勇気……」


「和花は優しいから人の為に動いてしまうかもしれないわね。でもね、私はあなたに笑っていて欲しい。お父様とお母様の宝物だから、幸せになって欲しい」


「……っおかあさま……」


 眉を下げ寂しそうに笑う母。

 自分を想ってくれる母の愛がひしひしと伝わってくる。伝わる度に涙が溢れて止まらない。

 全ては母の為だと思っていた自分の行動が、もしかしたら母を苦しめていたのかもしれない。

 心配かけまいと加納家の良点を伝え、自分は大丈夫だと,平然を装っていたつもりだったが、母にはお見通しだったのだろう。

 自分のせいで好きでもない人と一緒になる娘を見て、胸が張り裂けそうになったに違いない。


「ごめんなさい……私、お母様の体調が良くなることを望んで加納家に行きましたが、たくさん心配をかけてしまったのね……」 


 涙声に構わず、必死に自分の気持ちを言葉で表してみる。


「……私は、こ、このままでは幸せになれないと思います」


 一度言葉を紡ぐと次々と溢れてきた。


「……じ、自分にとって大切な人、私を想ってくださる人と一緒に生きていきたい。ささやかでも良いから穏やかに笑って暮らしたい……」


 涙で言葉が詰まりながらも和花は必死に訴えた。 


「それがあなたの本心なのね?」


 何度も首を縦に振る。

 今まで他人を優先してきた和花にとって、自分の気持ちを人に伝えることは難しいし、勇気がいる。

 緊張で手が震えながらも母に思っていることを告げるとふっと肩の力が抜けた気がした。


「自分の気持ちがしっかりあるのだから、あとはそれを行動するのみよ。あなたは良い子だからきっと誰かが必ず手を差し伸べてくれるわ。私はあなたの味方よ」


「……ありがとうお母様」


 和花は着物の袖で涙を拭い笑って見せた。

 まだ不安しかないが、次こそ母に心配をかけないように、自分の思った通りに決断してみよう。

 風が吹けば揺らいでしまいそうな弱い弱い覚悟。

 でも変わりたい。自分の気持ちを伝えられる人になりたい。

 自分の幸せは自分で見つけ手にしたい。

 真っ暗だった和花の中でぽっと火が灯ったように、暖かく、明るくなった。


「元気になって良かった。ところで和花、何かあった?」


「何かって?」


 きょとんとする和花に目を細めて笑いかける。


「前回に会った時も同じような話をしたけれど、全く聞く耳を持たなかったでしょう?この一ヶ月半で何か心変わりすることでもあったの?」 


 確かに母は毎度和花が見舞いに来る度に似たような話を言い聞かせていたが、いつも「大丈夫」の一点張りで聞く耳を持たなかった。それなのに一ヶ月半前と違う和花の反応に母は違和感を覚えたのだ。


「もしかして好きな人を見つけたとか?」


 鋭い母の問いに、うっと言葉を詰まらせた。


(きっと蒼弥さんに出会ったからかもしれないわ。彼の気持ちは分からないけれど、私は彼と一緒にいることを望んでしまっているから……これは好きということ?私は彼が好きなの……?)


 この気持ちを一度自覚してしまうと後に引けなくなりそう。

 彼のことを考えるだけで頬が熱い。優しいまなざしが頭から離れない。

 今まで異性に対して特別な感情を抱いてこなかった和花にとって、これが好きというものなのかよく分からなかった。


「……」


「ふふ。あらあら」


 初めて見る娘の姿に、母は微笑んだ。


「誰かを思うことは素敵なこと。あなたをきっと強くしてくれるわ。怖がらずその気持ちを信じてみなさい」


「お母様……」


「和花、手を出してちょうだい」

 母はそういうとベットの隣の棚から何かを取り出し、そっと和花の手の上に乗せた。


「かわいい……」


 それは手のひらに収まるころんと小さな兎の置物だった。白い兎はつぶらな瞳でこちらを見つめてくる。


「これはね、お守りよ。和花が強くなるための」


「……ありがとうお母様」


 手のひらの上で行儀よく佇む兎を見るだけで、和花は強くなったような気がした。

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