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蒲公英と菊 5




 

 桜が儚く散り、青々とした若葉が芽生え始めた時期。

 この日の和花はいつもより数倍も心が軽く、穏やかだった。

 何を隠そう義両親が二泊三日の地方旅行に出かけたのだ。行き先は海の見える旅館らしい。

 その土地の小冊子を広げ嬉しそうに計画を立てたり、準備をしたりしていた二人が旅立ち、和花はほっと胸を撫で下ろしていた。


『貴方には到底泊まることができない良い所よ。羨ましいでしょう?』


 なんて嘲笑われたが、正直どうだって良い。自分を見る冷めた目が無ければ何処でも天国に感じるのだ。 

 直斗も直斗で和花と二人きりになることが耐えられなかったのだろう。しばらくの間友人宅に泊まると出て行った。加納家の使用人も大半が休暇を取っているし、加納屋も定休。


 信忠に押し付けられた仕立ての仕事は山ほどあるものの、誰にも罵られない、冷たくされない平和な三日が始まろうとしていた。


(何をしようかしら)


 朝のやるべき仕事を終え、手持ち無沙汰になった和花はこれから何をしようか思考を巡らせた。

 この三日間、自分の仕事さえ終わらせていれば何をしても問題ない。何処に出かけようが誰と会おうが自由だ。期待に胸が膨らむ。


(まずはお母様のところへ行こう)


 自由な時間ができたら一番やりたかったこと。それは母の見舞い。

 実に一ヶ月半ぶりの見舞いになる。晴れやかな気持ちの和花は早速支度に取り掛かった。


 外行き用の蒲公英色の振袖に袖を通す。

 桃色や白、橙などの色とりどりの小さい菊が豪華に描かれ鮮やかな色彩が一際目を奪う。

 義両親の目を盗み、自分用に作った振袖。普段は暗い色を身に付けることが多いが『自分の好み』を思い返すと自然と眩しい色を選び、可憐な小菊を描いていた。

 これを仕立てている時だけは素の自分になれた気がした。

 初めて身に付けたが不思議と着るだけで心が軽くなった。

 和花は鏡の前に立ち、自分の姿を一目見ると曖昧な笑みを浮かべた。


(お着物は素敵だけど私には合わないかしら……)


 普段からきちんとお化粧をしたり、もっと上手く髪を結えられたりしたら見た目も良くなるとは思うが、日々忙しい和花にはそこまで手が届かず、技術がない。最低限の化粧と決まった髪型。華やかな着物を着た時に悪目立ちしてしまう気がした。


「和花さんお支度終わりました?」


 今日一緒に出かける由紀から声がかかり我に返った和花は玄関へ急いだ。


「お待たせ致しました」


 草履を履いて待っていた由紀は和花を一目見て、まぁと頬に手を当てた。


「和花さん、お着物とてもお似合いですわ」


「本当ですか?私には派手すぎるかなと思ったのですが……」


「そんなことございませんっ!美しすぎて心配になります」


「……心配?」


「えぇえぇ。今日は私から離れてはいけませんよ」 


「……? わ、分かりました」


 由紀の圧にたじろぎ頷いたものの、本当の言葉の意味を理解はしていなかった。自分の魅力に気づいていない無意識な人ほど恐ろしいものはない。

 でも何故か心の奥がじわりと温まった気がした。


「それでは参りましょうか」


 綺麗な緑の木々が歩道を覆い尽くす。まるで木のトンネルのようだった。日の光が木々に遮られ暑くもなく寒くもないちょうど良い陽射しが降り注ぐ。


 母の病院までは家の近くのバス停からバスに乗って三十分で着く。少々遠い挙句、義父母から許しがなかなか出ない為、滅多に行くことができない。本来なら毎週にでも通いたいくらいだが、今日のように義父母が旅行でいない時を見計らって行くのがやっとである。


 久しぶりに母に会える喜びは大きく、バスの中で一人そわそわしてしまう。まるで遊びに連れて行ってもらう子どものようだと自分自身でも呆れてしまった。


「お母様お元気だと良いですね」


心なしか隣に座る由紀の声色も明るい。


「そうですね。 ……由紀さんごめんなさい。せっかくお休みが取れる良い機会でしたのに……」


 由紀と一緒に出かけられることは嬉しい。だが、少し申し訳ない気もした。

由紀だって実家に帰ってゆっくりしたかっただろうに和花と一緒に残ることを選んでくれた。


「いいえ。私は和花さんと二人で心置きなくのんびり過ごせて嬉しいです。目一杯満喫しましょうね」


「……! はい!」


由紀の優しさにほくほくと心が温まった。




 部下二人と帝都の視察を終えた蒼弥は宮廷に向かっていた。


「思いの外早く終わりましたね」 


「長丁場にならなくて良かったです」


「本当ですね」


 一仕事終え、安堵のため息を吐く部下二人を横目に蒼弥の頭の中はいかに仕事を終わらせられるかでいっぱいだった。


 水筒を返却したあの日から蒼弥は頻繁に加納屋へ訪ねるようになっていた。

 人目を盗んで和花の作業部屋でたわいのない話をしながら二人でお茶を飲む。

 穏やかで平和な時間。

 いつの間にか彼女の寂しそうな笑みは消え、柔らかな笑顔を向けてくれるようになった。それが嬉しくもあり、自分がそうさせていると思うと鼻が高かった。

 今まで仕事一筋だった蒼弥は彼女との時間に癒しを感じるようになり、会えることが楽しみになっていた。 


 しかし、最近宮廷内で噂になっているある名家の調査でここ二週間全く行けていない。

 お金の横領や不正な行為などが色々なところから報告をされ、今も現地調査をしてきたところだった。

 せっかく見つけた心安らぐ時間を削られ仕事が忌々しく思えてくる。


(まさか一人の女性の方にこんな入れ込むとは……) 

 少し前の自分には想像もできなかっただろう。 


「九条さん?どうかしました?」


「……」


「九条さん?」


「……え?あ、いや、何もありません」 


 一人物思いにふけっていた蒼弥を部下二人は不思議そうに見た。


「九条さん最近仕事のしすぎて可笑しくなってしまいました?熱に浮かされたかのように仕事に熱中したり、反対に今みたいにぼーっとしていたり……」


「ちょっと!冴木さん!」


「だって小山もそう思うだろう?」


「そんなこと思っていませんよ!」


 冴木和人と小山涼。二人は文官長の側近として蒼弥のことを助けている。


 今年で三十歳になる冴木はお調子者で嘘がつけない性格。言葉を選ばない物言いにはらはらさせられる時もあるが、言っていることは正論なので助かることもある。反対に小山は蒼弥の一つ下であるが、真面目でしっかりしている。冴木の失礼な発言を訂正したり、おっとりしている蒼弥に喝を入れたりと一番下ながらやることが多い。


 それでもこの三人の力があってこそ今の文官の組織が成り立っているといっても過言ではない。

 蒼弥もこの二人には気を許し、信頼している。


「……私はそんなに最近おかしいですか?」


「あ、自覚なし、か……困ったなぁ」


 頭を掻く冴木に「はっきり言い過ぎですよ」と小山は焦りを見せた。


「おかしいというわけではありませんし、きっと他の方はわからないと思います。ただ、私たちは九条さんと長く一緒にいますので違和感というか何というか……」


「で?何かあったのかい?例えば……女とか?」


「冴木さん!」


 女という言葉から蒼弥の頭に連想される人はただ一人。和花の柔らかい笑顔だった。


「……」


「え?本当に?」


「九条さんまさか……」


 蒼弥の前を歩いていた二人は、黙り込む蒼弥に顔を見合わせ足を止めて振り返った。

 普段見ることがない優しい顔。

 いや、もともと蒼弥は誰に対しても優しいし穏やかだが、何か大切なものを想っているような優しい目をしていた。


「……九条さん、相当だな」


「思っていた以上にですね」


 仕事しか脳になかった上司の初めて見る一面に戸惑いつつも、彼にも人を愛でる感情を持ち合わせているのだと少し安心してしまった。


「九条さんっ!今度合わせて下さいね!その想い人!」


「……っ!お、想い人だなんて……!違いますっ!」


 冴木のからかいにやっと意識を戻した蒼弥は必死に否定するも動揺が隠しきれていない。


「仕事に支障をきたすほど深く惚れているのにぃ?好きなんだろう?」


「……好き、か……」


 これが好きという感情、恋というものなのか。二十六歳にもなって初めてのことに蒼弥も自身のことが分からなかった。

 ただ、彼女に会いたい、大切にしたい、守りたい……と強く強く思う。


「九条さん」


「はい?」


「俺も恋とかよく分かりませんが、すごく良いと思います。心休まらない責任ある仕事をしている九条さんを癒し励ましてくれる存在があると俺も安心します」


「小山……」


「よしっ!ここは人生の先輩として二人に恋とか愛とか教えてやろう」


「そんなに歳変わらないじゃないですか!」


 口を開けて大きく笑う冴木と呆れたように笑う小山。この二人が部下で良かったと心強く思えた。


「九条さんはもう少し仕事以外に目を向けて、自分の欲の為に周りを頼ってもいいと思いますよ」


「色々ありがとうございます。仕事には支障をきたさないようにしますので……あ……」


 蒼弥たちの真横を通り過ぎ、停留所に停まったバスから見覚えのある人が降りてきた。

 今会いたかった人。

 仕事中だとか考える間もなく、気付いたら足が自然とそちらに向き声を掛けていた。


「和花さん?」


 名前を呼ばれた彼女は蒼弥を見て目を丸くした。

 声を掛けたものの、まさかこんな道端で会えると思っておらず蒼弥自身も驚いている。


「九条様!どうしてこちらに……?」


「いや、驚きました。視察の帰り道でして」


「そうだったのですね。お仕事お疲れ様です」


「ありがとうございます。ここ二週間ほどお伺い出来ず申し訳ありません。少し仕事が立て込んでいまして」


「お仕事お忙しいのですね。落ち着きましたらいつでもいらして下さい」


 柔らかい二人の空気感に、由紀は優しい目をしている。


「九条さん突然どうしたのですか?」


 やっと蒼弥に追いついた冴木と小山は蒼弥と話す女性と、蒼弥の雰囲気を見ると何かを察し納得したように頷き合った。


「初めまして。九条さんと一緒に勤めております、冴木と申します」


「小山です」


 さっきまでのおちゃらけている姿はなく、礼儀正しく挨拶をする二人に和花と由紀も慌てて頭を下げた。


「は、初めまして……藤崎和花と申します」


「随分と可愛らしい方ですね。その蒲公英色の着物が良くお似合いで」


 にやりと笑いながら冴木が言うと和花は少し顔を赤らめた。


「いえ、そ、そんなことありません……」


「冴木さん。彼女が困っていますから」


 穏やかな口調ではあるが蒼弥の表情は固い。


「それは失礼しましたぁ。でも本当のことですよ?」


「冴木さん!」


 ついつい悪ふざけをしてしまう冴木を一喝するように蒼弥が止めに入った。


「全く……申し訳ありません」


「い、いいえ……大丈夫です」


 苦笑いを浮かべる和花に、蒼弥は困ったように笑いかけた。


「そういえば和花さんは今日何かご用事で?」


「母のお見舞いです」


「そうでしたか」


 作業部屋で話をした時にお母さんのことはうっすら聞いていた。


「お元気だと良いですね」


「はい。会うのが楽しみです」


「ふふ。だから今日はとても嬉しそうな顔をしているのですね」


 今日初めて顔を合わせた時から思っていた。いつもより表情が明るいことを。大好きな母と会えるのだから、それは表情も明るくなる。納得だ。


 だが同時に、自分も彼女にとって会えたら嬉しくなる、会いたいと思われる存在でありたいとも思う。

 目の前の彼女の頬がさらに赤くなり、恥ずかしそうに目を逸らした。

 触れたい衝動を無理矢理抑える。


「あの九条さん。次の打ち合わせそろそろですよ?」


 小山の声で現実に引き戻される。

 辺りを見回すとにやにやと笑う部下の顔が目に入った。

 やってしまった。久しぶりに和花に会えた嬉しさから勤務中だということをすっかり忘れていた。

 一つ咳払いをして和花に向き直る。


「それでは私はこれで。落ち着きましたらまた伺います」


「はい。お待ちしております」


 名残惜しさを感じつつも気持ちを切り替えて宮廷に戻る蒼弥だった。

 



 

 

 

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