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第二話 百年兵を養うは、ただ平和を守るためである   連合艦隊司令長官 山本五十六 ④

 夜の海風が濡れた頬を優しく撫でる。


 澄み渡る夜空には時折、オリオン座流星群が描く美しい流星痕が現れては消えていたが、傷ついた心を癒すに足るものでは無かった。


 結局、三日間に渡るACM訓練で一度も敏生の背後を獲ることは出来なかった。いや、背後どころか、彼の機体を視界に捉えることすら出来なかった。これではオフボアサイト攻撃も何もあったものでは無い。ひとつだけ分かったこと、それは彼が正真正銘のフェノーメノ(怪物)だったということだ。


 ここに来てまたしても味わう挫折。いや、自身の気持ちの持ち方次第で立ち直れた前回よりも、どうにもならない圧倒的な差を見せつけられた今回の方が深刻だった。


 もちろん、これまでもコテンパンに負けたことなど数え切れない。だが、それは経験豊富な先輩パイロットたちを相手にして、だ。少なくとも同世代に敗れたことはこれまでただの一度も無かった。


 戦闘機パイロットとしての経験は同程度のはずなのに、何故、ここまでの差が開いてしまうのか。何故、勝野は実戦部隊配属一年そこそこの彼に惚れ込み、周囲の批判を押し切ってまで飛行教導群に引っ張ったのか。自分はどうしたらあの高みにまで辿り着けるのだろうか。


 様々な感情が綯い交ぜになってグルグルと頭の中を駆け巡る。


「お、いたいた。探したぞ。なーに泣いてんだよ」

 敏生だった。ライバルにこんな情けない姿は見られたくない。咄嗟に顔を膝に埋める。


「うるさい! ほっといてよ!」

「ほっておけるわけないじゃん。好きな女の子がこんな人気のない艦橋の裏で蹲っているのに」

 彼の言葉にムッとして顔を上げると、キッと睨み付けた。


「どうせ馬鹿にしてんでしょ!? あたしなんか口だけの客寄せパンダだって! そんなことあたしだって分かってるわよ!」


 彼に対する感情が爆発する。涙でぐしょ濡れの顔を隠すのも忘れて。腹立たしかった。こちらのライバル心など意に介さず、恋愛対象としてしか自分を見ていない彼のことが。


「何で必死に頑張っている仲間を馬鹿にする必要があるんだよ?」

 その言葉にハッと我に返る。彼は苦笑すると、ドカッと夕陽の横に腰を下ろした。


「夕陽はさ、何で戦闘機パイロットになったの?」

「……言いたくない」


 再び膝に顔を埋める。自身の才能の無さへの苛立ちを、感情のままに彼にぶつけてしまったことが、ただ恥ずかしかった。


「そっか」


 彼はこめかみを人差し指で軽く掻くと、ふっと息をついた。


「……それ以上聞かないの?」

「言いたくないなら無理して言う必要はないよ。いつか、夕陽が話したくなった時に聞かせてもらえれば」


 艦橋にもたれ、立膝をついて夜空を見上げる彼。


「月が綺麗だね」

 彼の言葉にぴくっと反応する。


「死んでもいい、なんて言わないわよ」

「あはは、知ってたか。でも今はそうじゃなくて。見てごらん」


 促され、すんと鼻を啜るとゆっくり夜空を見上げた。見事なまでの天満月。泣いている自分が、まるでちっぽけな存在に思えてくるほどに。


「今、この月をこうして眺めている人たちが他にもきっと沢山いると思うんだ」

 優しく諭すような声。


「一人でかもしれない。恋人同士でかもしれない。親子だったり、友人同士だったり」


 彼の横顔を月明かりが照らす。


「守りたいんだ、そんな日々を。俺にとって大切な人たちが、当たり前の日々を当たり前に過ごす。その幸せを守りたい」


 月をみつめ、想いを吐露する彼。それは夕陽が初めて目にする彼の姿。


「だから俺は自衛官になった」


 彼は視線を落とすと、おもむろに夕陽の方に振り向いた。いつにない強い眼差し。


「俺はもっともっと強くなる。そしてその強さを見せつけてやるんだ。何人たりとも、俺の大切な人達に手出しできないように。それが俺たち自衛隊の国の守り方だ」


 息を呑む。普段の飄々とした姿からは想像のつかない彼の一面。そうだった。彼は防衛大学校を卒業した幹部自衛官だった。その意識の高さに気圧され、思わず目を逸らす。


「凄いね……そんな風に考えることが出来るなんて」

「俺は両親が海自で、その背中を見て育ったからね。ああ、姉貴は普通の会社員だけど」


 急に自分が恥ずかしくなってくる。勝ち負けにこだわり過ぎていた自分に。ライバルはもっと別の大きなものを見ていたのだ。その時点で敵うわけなんかない。


「あたし、小さいな……。最低だ」

「最低なもんか。夕陽みたいな頑張り屋さんの女の子、どこにもいないよ」


 彼の大きな手がポンと頭に乗る。何故だろう、彼に触られるのは嫌じゃない。それどころか、労わってくれるような優しい手つきがとても心地よい。


「俺はここで守るべきものを見つけた。例えこの命に代えてでも。だからこそ夕陽には手加減なんかしない」


 絡み合う視線。


 そうだった。彼は女だからといって一切手を抜くこと無く、常に全力で向かってきてくれたのだ。自分のために。ファイターパイロットとして、これ以上のリスペクトがあるだろうか?


「の、望むところよ!」


 あれ? 今の言葉、ちょっと変だったかな? あれ?


 敏生はクスッと笑うと、くしゃっと夕陽の髪をかき混ぜた。


「さて、先に戻るわ。このまま隣にいたら、理性を保つ自信が無い」

「え?」

「夕陽も早く戻れよ? 油断していると風邪ひくぞ」


 敏生はすっと立ち上がると二本指で軽く敬礼し、その場を後にした。


 やだ、また。


 きゅっと胸元を握り締めるも鼓動がおさまらない。


「もう。何なのよ、一体……」


 夜の海を照らす青白い満月が、ただただ綺麗だった。

第二話終わりです。ぜひ感想をお聞かせいただけるとありがたいです!

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