第二部 その参 愛とはお互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである。 フランス人作家・パイロット アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ ⑥
「ふーん。もしかして夕陽ちゃん、敏生先輩との結婚とか考えてる?」
「!」
図星だ。あっさりと見透かされた。
「……あたし、重たいですよね。出会ってから一年半も彼のこと散々焦らしてたくせに、いざ恋人同士になったら、彼のことが好きで好きで、結婚したくて堪らないんです。こんなに自分勝手な女だって、彼に知られたら嫌われちゃうんじゃないか、って……」
消え入りそうな声で吐き出す夕陽に、若葉はくすり、と笑った。
「あしがらを恐怖のどん底に陥れたあの大胆不敵な戦闘機パイロットが、こんなに可愛い女の子だなんて。皆が知ったらびっくりするだろうなー」
ぽんぽん、とあやすように夕陽の背中を叩く若葉。
「別に重たくなんかないよ。女なら、大好きな人と結婚したいって考えるのは自然じゃん。時間なんか関係ないし。それに敏生先輩はそこまで夕陽ちゃんに想われているって知ったら、嫌うどころか、大喜びするに決まっているわよ」
そう力強く言い切ってくれる若葉に、不思議と気持ちが軽くなる。と、そこで他の客の魚を捌き終えた板前が、二人に声をかけてきた。
「お待たせしました。どちらのお魚をお捌き致しましょうか?」
「お勧めってあります?」
女の表情から一転、眼光鋭く生簀を見つめ直す若葉。
「今日はいいフグが入ったんですよ、下関から直送で。養殖ですけどね」
「どうする夕陽ちゃん? せっかくだからフグいっとく?」
「はい、是非! あたし、実は地元が下関なんです」
「ほんとに? よっしゃ、じゃあフグお願いします! あとは……奮発してそこのシマアジ丸一匹! あたしの奢りよ!」
「ええっ、すごーい!」
養殖ものとはいえ、気風の良い彼女に、パチパチと手を叩いて喜んでみせる。自分にもいつの日か、彼女のような幸せな瞬間が訪れることを願いながら。
*
お開きとなり、酔い醒ましに夜景を眺めながら、ゆっくりと大桟橋を歩く。あの後は、若葉を中心にかなり盛り上がり、二次会はカラオケに雪崩れ込んだ。
予約しているホテルにはレイトチェックインを連絡済み。だいぶ遅くなったが、しばらくは休暇なので、明日はゆっくりと寝ていられる。二人して飲み過ぎたので、二日酔いへの不安が頭をもたげたが。
「槙村さんと若葉さん、素敵なカップルだったね~」
「俺らほどじゃないけどな」
「あは、何それ~?」
すっかりと出来上がった夕陽は、後ろ手を組みながら、鼻歌交じりにふらふらと敏生の前を歩く。
「若葉さんと色々お話ししちゃった」
「どんな話だよ? 俺のこと?」
「へへー、なーいしょ。女同士の秘密~」
「何だよ、それ」
敏生が後ろからぐいっと夕陽を抱え込む。
「ふにゃ~」
夕陽は敏生にもたれ掛かると、甘えたように彼の腕に頬ずりした。
「敏生の田窪伸利、いつ聴いてもかっこいいよねー。また歌ってくれる?」
「お安い御用で。いくらでも歌ってやるよ、ラブソングなら」
「ふふ……。ね、キス、したいな。息が止まるくらいの」
「甘いやつだね。それもお安い御用で」
敏生の手に導かれ唇を重ねる。とても安心する、彼の温もり。だから油断が生じたのかもしれない。
「結婚かぁ。いいな、若葉さん……。幸せそう……」
酔った勢いで呟いてから、夕陽はハッと我に返り、慌てて口をつぐんだ。
「あっ、いや、今のは催促なんかじゃないからね!? あ、あたし敏生の重荷になりたくないし、今のままで充分幸せだし」
これだけは口にするまい、と決めていたはずなのに。恐る恐る彼を見ると、彼は顔をしかめていて、一瞬にして酔いが醒める。だが、彼の口から出た言葉は予想外のものだった。
「いつ誰が夕陽のこと、重荷なんて言ったよ?」
「敏生……?」
彼のいつになく真剣な表情に動揺する。睨みつけるような眼差しが少し怖い。
「今のは夕陽の本心だと思っていいんだな?」
「え?」
彼は腕を解くと夕陽の右手を取り、ジャケットのポケットから小箱を取り出して、手のひらに乗せた。
「付き合い始めてまだ半年ちょっとだし、もし、夕陽にその気が無かったらどうしよう、ってずっと悩んでたけど……」
思ってもみなかった展開に、夕陽は信じられない思いで手のひらの小箱を見つめる。
「開けてみてよ」
彼に促されて恐る恐る蓋を開けると、そこにあったのは見覚えのある、眩いばかりのエンゲージリング。驚きのあまり夕陽が敏生を見上げる。彼は照れた様子で目を逸らし、小箱を持って指輪を取り出すと、夕陽の左手を取り、薬指にそっと嵌めてくれた。そしてその手を撫でると、意を決したように夕陽と目を合わせた。
「俺たち、出会ってからもう二年が過ぎて、このままだと恐らく来年にはお互い異動で離れ離れになる。でも、俺はこの先も夕陽とずっと、ずっと一緒にいたい。夕陽と一時も離れたくない。もう俺には他の女なんて目に入らない。こんなに人を好きになったの、君が初めてなんだ」
うそ、うそ……、本当に……?
今、自身の身に起こっていることが信じられず、空いている右手で口元を覆う。
「君を誰にも渡したくない。俺だけの夕陽を一生束縛したい。夕陽を一生守り続ける権利を手に入れたい。だから……」
彼が夕陽の左手を掴んだまま、スッと跪き、夕陽を見上げた。
「お願いです、神月夕陽さん。俺と……結婚してください」
彼がプロポーズの言葉を言い終える頃にはもう、夕陽の顔は涙でぐしゃぐしゃで、言葉を紡げずにただ何度も頷くと、両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。彼はホッとした様子で息をつくと、優しく頭を撫でてくれる。
「どうだ? 俺の方がよっぽど重いだろ?」
夕陽は何も答えられず、顔を覆ったまま首を横に振った。秋の夜半に浮かぶ月はどこまでも清く、そして白かった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
その参、終わりです。ようやくプロポーズまで書けて、ホッとしました。
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