第二話 百年兵を養うは、ただ平和を守るためである 連合艦隊司令長官 山本五十六 ②
その日の午後、ながと戦闘飛行隊は本州から三〇〇キロ南方の伊豆諸島沖で、航空母艦として改修されたばかりのDDV183「ながと」への初着艦を果たした。
もともとヘリコプター搭載護衛艦として建造された、海上自衛隊艦艇史上最大の満載排水量二六、〇〇〇トンを誇る巨艦だが、空から見つけた時の大海原に浮かぶ姿はまるで木の葉のようだった。着陸できるか不安に駆られたものの、集中訓練の成果もあって無事着艦に成功した。
飛行甲板は想像以上に広い。キャノピーを開けると海風が吹きつけていて、空自育ちとしては何処か不思議な感じがする。全員が着艦を終えるとパイロットたちは一旦、ブリーフィングルームに集められ、艦内生活のレクチャーを受けたあと、艦内を案内された。
夕陽の部屋は男子禁制の女性居住区で、アラート待機任務などの負担を考慮され唯一の個室を与えられた。特別扱いをされたくなかったので二人部屋への移動を申し入れたものの、三交代制のクルーと異なり戦闘機パイロットは不規則な勤務体系が予想され、同室者に迷惑が掛かるとのことで従わざるを得なかった。もっとも女性乗組員たちは温かく迎え入れてくれたので、まずは一安心だ。
輸送飛行隊のV22オスプレイで先に運び込まれていた荷物を解き、手早く片付けると、息をつく間もなく再びブリーフィングルームに集合となる。いよいよ空母戦闘飛行隊としての本分である、艦上での本格的な錬成訓練が始まるのだ。
だが、勝野の発表した週間スケジュールには、夕陽が期待したACM訓練は組まれていなかった。今週はただひたすらに離着艦訓練とスクランブル訓練、そして「ながと」を旗艦とする第一護衛隊群と艦隊防空演習を繰り返すらしい。
「今週の訓練は機体にあまり負荷が掛からなさそうなので、あたし達も楽ですねー」
女性居住区の娯楽室で、美鈴がホットチョコレートを啜りながら本音を漏らす。一日の課業を終えた安らぎのひととき。
「ライトニングは整備性が従来機よりかなり向上したって聞いているけど、実際のところはどうなの?」
「B型は自衛隊にとって初めてのSTOVL機ですからねー。今までになく構造が複雑でノウハウも少ないから、かなりの歯応えです。アメリカさんのブラックボックスも多いですし」
「そっか、そうだったね。いつも遅くまで整備してくれて本当にありがとう」
「仕事ですから。それより夕陽さん、あの子もっとぶん回してくれていいんですよ?」
「え?」
「教導群の時はそりゃもう、皆さんいつも機体をバキバキにして帰ってくるもんだから、気が抜けなくて本当に大変でした。半端な鍛えられ方はしていませんので、遠慮なくぶん回してやってください」
そう語る美鈴の目に浮かぶのは絶対的な自信。教導群はパイロットだけでなく、整備隊員や管制官もまた、国内最高峰の実力を有している。彼女のもの言いこそ柔らかいが、機体を預かる身として、トップパイロットたちと夕陽の差を的確に捉えているのだろう。
「うん……。ありがとう、頑張るよ」
「はい! 打倒アッシュとガイア、ですね」
にっこりと微笑む美鈴。そういえば彼女は刑部、敏生と仲がいいって言ってたっけ。
「ね。あの二人、やっぱり小松でも凄かったの?」
「女遊びですか?」
がくっ、と首を垂れる。やっぱりそうなんかい!
「えっと、じゃなくてその、ファイターパイロットとして」
「あー、そりゃあもう。アッシュはお隣さんだったけど、凄く目立っていましたね。不思議とACMで負けた話を聞いたことが無いんですよ。圧巻はやっぱり去年の戦競での獅子奮迅の活躍ですかね? 三〇六のみんなの喜びようは羨ましかったなー」
正直なところ、刑部のようなタイプは苦手だ。それよりも聞きたいのは。
「えっと、その」
「ああ、夕陽さんのダーリンのことですね?」
「だっ、ダーリンなんかじゃないから!」
アハハ、と美鈴が楽しそうに笑う。
「ガイアはもう、言わずと知れたフェノーメノ、怪物でしたね。どんな操縦したらこんなふうになるんだ、ってくらい限界まで機体を追い込んでくれちゃうんで、整備はいつも大変でした。巡回指導先で各飛行隊のベテランパイロットたちが真っ青になっている姿を何度も見ましたよ。自信喪失して引退しちゃった人もいたんですって」
彼のことを整備員として、間近で見てきた彼女の話だけに実感がこもっている。噂に違わぬ実力ということか。
「それにしてもこの飛行隊、本当にすごいメンバーが集まりましたよね。編隊長たちは言わずもがな、第八飛行隊のバイパーゼロライダー、ナッツこと滑川智司二等海尉は日米豪合同航空演習で米豪軍から東方の幻影と恐れられた対地・対艦攻撃のスペシャリスト。三〇五のティーダ・清瀬和宏三等海尉はイーグルで米空軍のF22を何度も撃墜して墓堀人と呼ばれてたし、二〇四のジャック・北条涼介三等空尉は若手ながら中央観閲式で観閲を受ける飛行隊長の三番機を務めた有望株。あ、夕陽さんはジャックとは同期でしたっけ?」
「うん、航学でね。あんまり話したことは無かったけど」
当時は自分のことだけで一杯一杯で、周りは見えていなかった。北条からは初日に久しぶり、と声を掛けられたが正直なところ良く覚えておらず、彼はショックを受けていたが。
「そっかー。でもね、あたしにとってはやはり何といっても二年目で千歳のベストガイの称号を手にした北空の魔女、イデアですよ! こうしてお話できるのが本当に夢みたい」
まるでアイドルでも見つめるかのような美鈴の視線がとても照れくさい。
「そうそう、前から聞きたかったんですけど、何でイデアってTACネームなんですか?」
無邪気な彼女の質問に一瞬戸惑う。しばし躊躇うも、ふっと息をつくと口を開いた。
「先輩パイロットたちに付けられたの。有名なロールプレイングゲームに出てくる魔女の名前なんだって。無表情で無愛想なお前にピッタリだって」
「なにそれ! ひどーい!」
憤る美鈴に苦笑し、首を横に振る。
「その通りだったから特に反抗もしなかったの。今ではとても気に入っているわ」
自分を追い込むためにも仲間のパイロットたちとは一線を引いてきた。それゆえ周囲には冷たい印象を与え、「魔女」と揶揄された千歳時代。
「でも、夕陽さんは決して無表情で無愛想なんかじゃ無いですよ? とっても表情豊かで年下のあたしから見てもすごく可愛いです」
「そんなわけないよ、あたしなんかが」
昔から表情を作るのは苦手だ。特に笑顔は。ゆえに自分からしたら美鈴のような女の子がとても羨ましいのだが。
「今朝だって、マッカーサー像の前でガイアと楽しそうにしていましたよね?」
ぶほっとコーヒーを噴き溢しそうになる。まさかアレを見られていたとは。
「まるで長年連れ添った夫婦みたいでしたよ?」
「そっ、そんなわけないじゃない、あんな奴と!」
「そっかなー、すごくお似合いだと思いましたけど」
「やめてー! もうこの話題はおしまい!」
「はーい」
含み笑いを浮かべながら美鈴がマグカップを口に運ぶ。まったくもって調子が狂う。上官とはいえあのチャランポラン男は打倒すべき相手であって、断じて乳繰り合う相手などではない。
フェノーメノだか何だか知らないけど絶対にやっつけてやるんだから!
昨日の勝ち誇った女の顔が脳裏に浮かび、夕陽は闘志を燃やした。
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