第二話 百年兵を養うは、ただ平和を守るためである 連合艦隊司令長官 山本五十六 ①
腹立たしい。実に腹立たしい。朝っぱらから。
「なあ。なーに怒ってんの? 夕陽ちゃーん?」
馴れ馴れしく呼び止めてくるのは直属の上官殿。
「すみません。気安く話しかけないでくれます? 門真二等海尉殿」
肩に掛かった彼の手をさっと払いのける。何でこんなに腹立たしいのだろうか。
「まさか昨日のこと?」
「べっつにー。編隊長殿が街で他の女の子とよろしくやってようが、あたしの人生には何ら関係はありませんから」
思い出すだけでも腹が立つ。
勝ち誇ったようなあの女の表情。
確かにモデル級の美女には違いなかったが、何で初対面の人間にあんなふうに見下されなくてはいけないのか?
昨日は厚木に異動してきて初めての休日だった。初の訓練航海を翌日に控え、近場を探索してみようと出掛けた、最寄りのさがみ野から二駅先の海老名駅。予想に反して駅前は大きく、商業施設が集積していて、ショッピング好きの夕陽にとっては好奇心を掻き立てられる街。
ファッションや小物雑貨のお店など、ひとりうきうきしながら歩いているところまでは良かったのだが、そこに運悪く鉢合わせたのが美女とデート中の敏生だった。
「だから言ったじゃん。あれはただの友達の一人だって。俺が本当に好きなのは夕陽だけ」
「へーへー、そうですか。それはようござんしたね」
「本当は夕陽とデートしたかったけど、断られちゃったんだから仕方ないだろ」
確かに断った。彼からの誘いは決して嫌ではなかった。先日の一件以来、彼に対する当初の嫌悪感は既に払拭されている。歯止めとなったのは、あの時感じた胸の高鳴り。その違和感の正体を確かめるのが怖かったのだ。
とは言え。
「本当に好きな女の子がいる男が他の子とデートなんかする? 普通」
「そりゃ、男は本能的に種をまき散らす生き物だからさ。そこは仕方がないというか」
「なに開き直ってんのよ? 意味分かんない!」
「あー。もしかして夕陽、焼きもち焼いてくれている?」
「なっ、何であたしがあんたに焼きもちなんか焼かなくちゃいけないのよ!?」
自分が馬鹿だった。こんな奴に一瞬でも、もしかして、と思ってしまった己の愚かさに腹が立つ。そうか、このイライラの原因はそういうことだったんだ。分かって良かった。
「おいやめろ、お前ら。朝っぱらからこんなところで痴話喧嘩なんざ」
呆れた表情で悪態をつきながら二人の横をすり抜けていく刑部。
確かに今は出勤途中。コーンパイプを咥えたマッカーサー像の前で繰り広げるような会話ではなかった。
「ちがーう! って、あんた何ニヤけてんのよ!?」
「いやあ、でへへ。夕陽と痴話喧嘩」
「違うって言ってんでしょ!」
キャリーバックを傾け、ズカズカと刑部を追うと、敏生も後を追ってくる。
「お前も趣味が悪くなったな。よりによってこんな面倒くさいお子ちゃまに惚れるとは」
刑部が振り向きもせずに敏生を揶揄う。
「だっ、誰が面倒くさいお子ちゃまよ!?」
「そうだそうだ! こんなボンキュッボンなお子ちゃまがどこにいる?」
「何よその言い方! やっぱりあたしの身体が目当てなんでしょ!?」
「いや、その、売り言葉に買い言葉っていうか……お前のせいだぞ、刑部!」
自分の背後で繰り広げられる夫婦漫才に深いため息をつく刑部。仲の良い敏生とは周囲からよく同期と間違われるが、敏生は防大時代の一期後輩。ナンパ目的で一緒にクラブ通いをしていた時に、女の子の前で「先輩」と呼ばれることを嫌った刑部が、彼に無理矢理呼び捨てに矯正させて以来のタメ語だ。
公私共に馬が合い、小松で再会を果たしてからも、刑部が結婚で年貢を納めるまで頻繁に遊び歩いた仲。ゆえに彼の好みや、恋愛に対する考え方も良く分かっていたつもりだった。
それが、厚木への異動初日から想定外の相手に本気で入れあげ始めた彼に、正直なところ困惑していた。彼の天賦の才能に惚れ込んでいる身としては、少なくともこの中途半端な女に、後輩の足を引っ張って欲しくない。
「それから勘違いするなよ、イデア。そいつの横を飛んでいいのは本当に強い奴だけだ」
「なっ」
刑部はそう言い残すと、驚いて立ち止まる夕陽を尻目にスタスタと先へ行ってしまった。
なっ、何なのよ、どいつもこいつも朝っぱらから!
「ま、気にすんな。刑部は昔からああだから。いい奴なんだけどね」
「どこがいい奴よ!?」
「そのうち分かるよ。付き合いが長くなれば」
「分かりたくないわ」
首を振り吐き捨てると、再び歩き出した。
〝そいつの横を飛んでいいのは本当に強い奴だけだ〟
そういえば敏生、前所属は教導群だったっけ……。
飛行教導群は現役の実戦部隊パイロットたちを巡回指導、訓練する航空自衛隊最強にして最凶の仮想敵部隊。
そこは志願して人一倍努力すれば入れる、というような部隊ではない。実戦部隊への指導が任務である以上、他を凌駕する腕前を持っていることは当たり前、さらには相手の技量に応じて効果的な訓練内容を瞬時に組み立てられる力も求められる。
ゆえに教導群の凄腕パイロットたちに「こいつは凄い」と言わしめた者だけがスカウトされ、右胸に「負けは死」を意味する髑髏、左肩に「敵は必ず仕留める」コブラのワッペンを縫い付けることを許されるのだ。
基本的な操縦動作から、彼の腕前がかなりのレベルにあることは想像つくものの、それであれば空自には優れた技量の持ち主はごまんといる。また、彼の普段の様子からもその片鱗を垣間見ることができない。なんでこんなチャランポランな奴が、あの勝野によって一騎当千の教導群に抜擢され、よりによって「史上最強」などと言われているのか。
いまだ慣らし運転中で、本格的なACM(Air Combat Manoeuvring/空中戦闘機動)訓練も行われていない中、もやもやとした気持ちだけが残る。
早く戦ってみたい。コイツと。
「あたし、ぜったい負けないからね」
「へ?」
ポカンとする彼を振り返ることなく、夕陽は歩みを進めた。
第二話、開始です♪
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