第一部最終話 本日天気晴朗ナレドモ波高シ 大日本帝国海軍中将 秋山真之 ⑥
「そういえば……敏生は何でここにいるの? 浜松の救難隊に救助されたんじゃ……」
「隊長が強権発動したらしい。意識があって動けるのなら、そのままこっちに寄越せって」
「大丈夫なの? 検査はちゃんとした?」
射出座席は脱出時に二十Gもの衝撃が掛かる。脱出できても戦闘機パイロットとして復帰できる可能性は五分五分と言われているだけに心配だった。
「ああ、ここで見てもらったけど問題ないって。一応明日、世田谷の中央病院で精密検査をしてもらうことになったけど」
「そっか、良かった……」
再びぎゅっと敏生に抱き着く。彼の温もりを確かめるように。
「諦めかけた時にさ……夕陽の泣き叫ぶ声が聞こえたんだ」
「え?」
敏生が声を震わせながら夕陽の黒髪に頬ずりする。
「行かないで、ひとりにしないで、って……。夕陽のあんな声聞いたら、簡単にくたばるわけにはいかないよな」
「それって……」
まだ朧げに覚えている、さっきの夢。まさかあれが彼とシンクロしていたのだろうか? 夕陽がエマージェンシーコールを聞いた時には、敏生のT4は墜落していたはずなのに。
「……どうしたの?」
「ううん、何でもない……。ただ」
夕陽は涙を拭うと、ニッコリと彼に微笑んでみせた。
「あたしのところに……還ってきてくれて、ありがとう」
「うん……」
敏生の目尻からも涙が零れる。どちらからともなく、再び強く抱き合う。絶対に離れないと、お互いに心の中で誓いながら。
「おう、相変わらずところ構わずイチャついているな、バカップルが」
その声に顔を上げると、病室の入り口に刑部が立っていた。いつもの斜に構えた様子はなく、どことなく優しげな笑みを湛えている。
この常に沈着冷静な男が、数時間前には血の気を失い、真っ先にライトニングで敏生の捜索に飛び立とうとして皆に羽交い締めにされていたことを、二人は知らない。
「アッシュ……」
「隊長が速攻許可してくれたぞ。良かったな、ほら」
刑部が敏生にひらりと一枚の紙を渡す。
「おっ。さんきゅ、刑部」
「構内ではほどほどに、な」
そう言って敏生を指さすと、病室を出ていった。
「なに、これ? 区域外旅行許可申請書? 何であたしの名前も書いてあるの?」
「あ、ああ。ちょっと俺、今週末に夕陽と二人で行きたいところが出来てさ。来週の月曜日も二人まとめて休み取っておいたから……」
「ちょっと見せて!」
「おわっ?」
夕陽は敏生から素早く申請書をひったくると、記載内容に目を走らせた。
「下関……」
「いや、その、そうフグ、フグ食いに行こうと思って」
「……下関ではフクっていうの。季節は十一月から二月で夏場にかけては毒性が強くなる。だから今は思いっきり時季外れよ」
「そ、そうなの? 知らなかったなー」
「どういうつもり? 何を企んでいるの?」
敏生は向き直ると、夕陽の両肩をがっちりと掴んだ。
「夕陽のご両親に会いに行く。夕陽の勘当を解いて貰って俺たちの交際を認めてもらう」
呆気に取られる。何を言い出すのかと思えば。
「いやだ。あたし行きたくない」
「夕陽」
「あたしはもう二度と下関には戻らないって決めたの!」
「本当に後悔しない? 血を分けた、夕陽をこの世に産んでくれた肉親なんだよ? 少なくとも夕陽をここまで立派に育てたご両親がそこまで酷い人たちだとは俺には思えない」
「敏生には分からないよ! あんなに立派なご両親に育てられた敏生には!」
「分かった。じゃあ一度だけチャンスをくれ。こうして生きて夕陽の下に帰ってきた俺に」
その言葉に押し黙る。今は何よりも重たい、彼の言葉。
「今回、死にかけて改めて思ったんだ。俺たち戦闘機パイロットは未練や悔いだけは残しちゃダメだって。ご両親のことが夕陽の中で引っ掛かっているのなら、今のうちに取り除いておきたいんだ」
引っ掛かっていないなどと否定はできない。何も言わなくても、敏生は誰よりも自分のことを分かってくれている。
「でも……だって人の話を聞かない人たちなんだよ!?」
「自分の親をそんな風に言っちゃいけないよ。俺は夕陽のご両親に感謝している。こんなに素敵な女の子に出会わせてくれたご両親に」
真剣な彼の目に心が揺らぐ。
心の底から自分のことを想ってくれているからこその提案を無下には断れない。
「……分かったわ。行きましょう、下関に。そうすれば敏生にもあたしの言っていることが分かってもらえると思う」
「ありがとう、夕陽」
目を瞑り、横に首を振る。
死線を潜り抜けてきたばかりだというのに、自身をそっちのけで慮ってくれる彼。むしろこっちが感謝しなくてはいけない。今回は自分の中で決着をつける良い機会には違いなかった。
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