第一話 指揮官はまず楽観的であることが重要である アメリカ合衆国第三十四代大統領 ドワイト・D・アイゼンハワー ⑤
ブリーフィングを終え、午後の訓練が始まる。
今度こそ、今度こそはしっかり飛ばさなきゃ……。
暗い気持ちで隊舎を出てエプロンに向かう。空は碧いのに気分は優れない。
自分は今まで、一体どんなふうに飛行機を飛ばしていたのだろうか? 完全にハマり込んでしまった迷宮。
それは突然の奇襲だった。
「ぶははははははっ」
いきなり背後から両脇腹をくすぐられ身をよじる。
「あ、笑った」
またしても門真二尉だ。
「ちょっ、何すんのよ!? 変な声出しちゃったじゃない! セクハラよ、セクハラ!」
怒る夕陽の頭にポンと彼の手が乗る。
「ずーっと思い詰めた顔しちゃって。肩の力抜けよ」
その彼の言葉に夕陽はハッとした。
「お。いいね、その顔」
彼の手が夕陽の頤にかかり、すっと顔を持ち上げられる。
「夕陽が一体、何をそこまで背負っているのか俺には分からないけど……」
絡み合う視線。その目には自分を馬鹿にしたような感じは見受けられない。いや、それどころか初めて見る真剣な眼差し。あまりの顔の近さに思わず息をのむ。
「相手はバケモノだ。ねじ伏せようなんて考えるな、巻かれてみろ」
「え……?」
「きっと楽しいぜ?」
彼は笑うと、再び夕陽の頭をポンと叩いて自分のライトニングへと向かっていった。
夕陽はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、やがて空を見上げて大きく息を吸うと、再びエプロンに向かってゆっくりと歩き出した。
そうだった。相手はバケモノ。ライトニングも、そしてこの飛行隊の仲間たちも。
自分は一体、何を勘違いしていたのだろう。まだ実戦部隊に配属されてようやく三年目に差し掛かったばかりの身だというのに。
思い出した。念願叶い、初めてF15Jイーグル戦闘機の操縦桿を握ったときの、あのワクワクとした高揚感を。
思い出した。高校生の頃、初めて訪れた航空祭でダイナミックに躍動するイーグル戦闘機に心を奪われた、あの時のときめきを。
見上げるのは雲ひとつない清秋の蒼穹。
あたしはこの空を、自由に翔るためにパイロットになったんだ。
ライトニングに向かう足取りが一気に軽くなったような気がして、夕陽は逸る気持ちを抑えられず駆け出した。
迷いが吹っ切れてしまえばもう怖いものなどない。
その日の午後のフライトは自分としては初めて納得の行くものとなった。今まで一体、何を悩んでいたのか馬鹿馬鹿しくなるほどに。
基地に戻ってきた夕陽は機を降りると、美鈴を捕まえて初めて機体の状況についての申し送りをした。 美鈴は真剣な顔で夕陽の話に耳を傾けていたが、やがて嬉しそうな表情を浮かべると弾むように機体の下に潜っていった。
彼女の様子にほっとひと息つくと、辺りを見回す。探し人はもちろん―――
いた。
彼はまだ愛機の下にいて、機付長の坂本航三等海曹と真剣な表情で身振り手振りを交えて話をしている。機体の調子について納得のいかないところでもあるのだろうか?
やがて、話し終えた彼がこちらに向かってきた。夕陽は意を決しその行く手を遮ると、彼を見上げた。
多分、今、きっと変な顔だ。
「あ、えっと……と、敏生!」
名前を呼ばれて目を丸くする彼。その反応に自分の顔が赤く火照るのが分かる。
何よ!? あんたが名前で呼べって言ったんじゃないの!
恥ずかしさのあまり心の中で悪態をつくが、ハッと思い直すと、しおらしく目を伏せた。
「その……さっきはありがとう………ね」
夕陽の言葉に、ポカンとしていた彼は、やがて嬉しそうにニカッと笑った。その、子供のような笑顔に心臓がトクンと跳ねる。
なに……これ。
ぎゅっと胸元を抑える。今までにない、初めての感覚。
「それだけだから! じゃ!」
戸惑いを悟られたくなくて、夕陽はプイッと彼から視線を逸らすと、逃げ出すようにその場を立ち去った。違う、ぜったいに違う、と呪文のように胸の中で唱えながら。
第一話完です。内容を気に入っていただけましたら☆評価をよろしくお願いします!