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第六話 悔しさが男をつくる、惨めさが男をつくる、悲しさが男をつくる。そして強大な敵こそが、真におまえを偉大な男にしてくれる。  ドイツ帝国陸軍航空隊騎兵大尉 マンフレート・フォン・リヒトホーフェン ①

第六話、始まりです♪

 本当に、胸が苦しくなるんだ……。


 二十代半ばにして初めて知る恋の味。約二カ月に渡るリムパックから帰還した翌日。

 

 ルーティンの早朝トレーニングを終え、シャワーを浴びた後、ベッドに寝転んで物思いに耽る。


 目の前にぶら下げてまじまじと見つめるのは、ハート型のペンダントトップ。有名ブランド・ステファニーのこの春の新作だ。


 リムパックでの最後のオフに訪れたアラモアナのジュエリーショップで、敏生が買ってくれたペンダント。彼の気持ちに応えられていない状況で、そんな高価なものを買ってもらうわけにはいかないと、ひたすらに断ったのだが。


〝だめだって! そんなに高いの!〟

〝でも気に入ったんだろ?〟

〝確かにすごく可愛いけど、買ってもらう理由がないよ〟

〝理由? 好きな女の子に贈る少し早い誕生日プレゼントじゃん〟

〝あたしの誕生日は一月! 今は七月!〟

〝知ってるよ。山羊座A型女子だよね。じゃあ俺の誕生日が来月だから、俺へのプレゼントとして夕陽にプレゼントさせて〟

〝意味が分かんないよぉ~〟

〝やっぱり俺の言うこと、聞いてくれないんだ……〟


 と、演習での命令違反を引き合いに出されては受けざるを得なかった。


 免税手続きなどどこ吹く風、買ったばかりのペンダントをその場で着けてくれた敏生。


〝あ、ありがとう……〟


 あのとき、落ち込んでいた心を一気に浮上させてくれた彼からのプレゼント。恋心を自覚した直後だっただけに、その日の夜は天にも昇る気持ちで眠れなかった。


 男性から贈られるペンダントには「彼女を束縛したい」という意味があることを知り、自然と顔が緩むが、彼のことを思い浮かべた途端に胸が苦しくなってくる。ドーパミンなる物質が恋によって大量に分泌されることが、この苦しさの原因のようだ。

 

 出会って以来、自分のことをずっと大切に想ってくれている彼。だが、こっちはこの歳にして初めて抱いた恋心にただ戸惑うばかり。どのように彼に応えたら良いかも分からなかった。


 それに。


〝あたしとなら彼はもっともっと上を目指せる。貴女になんか任せていられない〟


 いまだに脳裏を過る、エイミーの言葉。あの言葉が自分の中で消化できない限り、彼の手を取ることは憚られた。


 今のあたしにできること……。


 ペンダントを小さく振りながら考える。彼の笑顔が見たい、と思った。子供のような、あの、屈託のない笑顔を。


 うん……やっぱり、あたしはこれしかないよね。


 夕陽はペンダントをギュっと握り締めると起き上がり、ベッドサイドのスマホを取った。


          *


「ごめんね、休みの日に呼び出したりして」

「何言ってんだよ。夕陽からの呼び出しなら世界のどこに居たって飛んでくるさ」


 閑静な住宅街にあるカフェ。敏生は女性店員にカプチーノを注文すると、腰を下ろした。


「可愛いな、夕陽。そのペンダント、すごく似合ってる」


 胸元のプレゼントを認めた彼が、嬉しそうに微笑んで身を乗り出してくる。


「あ、う、うん。ありがとう……」


 夕陽はそっとペンダントに手を添えると、赤くなった顔を見られないように俯く。そのまま甘い気分に浸りそうになって、我に返ると、パッと顔を上げた。


「あ、あのね。相談っていうのはその……、敏生と一緒にトレーニングさせて下さい。お願いします!」


 一気に言い切ると、ペコリと頭を下げる。


「トレーニング? 毎朝の?」


 唐突なお願いに彼が戸惑っているのが分かる。それはそうだろう。


「うん」

「どうしたの? 急に」


 夕陽は膝の上に置いた手をギュっと握り締めると、敏生を見据えた。


「あたし……強くなりたい。敏生の横を、胸を張って飛びたい。ガイアのウィングマンはイデアだって、周りに認めさせたい。だから……あたしに足りないものを身につけたいの」


 嘘偽りのない今の自分の気持ち。まずは自分が強くならなくてはいけない。彼の想いに応えるためにも、自分の中で折り合いをつけるためにも。


 敏生はしばらくの間、夕陽のことをじっと見つめていたが、カプチーノが運ばれてくると、ひと口飲んでカップを置いた。


「……夕陽は今でも十分に強いよ。そんなこと、俺が一番知っている」


 優しい口調で話す彼に、夕陽はぶんぶんと首を振った。


「強くなんかない! リムパックで思い知ったわ。女性でも上には上がいるということを」


 あの航空演習で、襲い掛かる各国空軍の猛者を次々と血祭りにあげたエイミー。獰猛なラプターを手足のように乗りこなす実力は本物だった。そして、同性である彼女に、漠然と頭の中に描いていた自分の現在地を、己の実力不足を、嫌というほど思い知らされた。 

    

 敏生のマニューバについていけるようになっていたことで、自分も強くなったと勘違いをしてしまっていた。思い上がりも甚だしい。

 

 だが。


「今まで、自分なりに頑張ってきたつもりだった。でも、この先、これ以上どうしたらいいか分からなくて。ごめんなさい。あたしにはもう、敏生に縋るしかないの」


 散々、偉そうなことを言ってきたくせに、この期に及んで敏生に助けを求めざるを得ない自分が情けないし恥ずかしい。できることなら自分の力だけで何とかしたかったが、ここから先は未知の世界だった。


「いいんだよ、夕陽。謝る必要なんかない」


 敏生が柔らかく微笑む。


「俺たちは個人戦をしているわけじゃない。組織で国を守っている。組織で大切なことはひとつの目標に向かってお互いが仲間を信じ、仲間を助け、仲間を頼ること。要はチームビルディングだ」


 柔らかい笑みを浮かべながら話す彼に、涙が滲みそうになり、軽く舌を噛む。


「俺を頼ってくれてありがとう。もちろん、喜んで協力するよ。ただ、ひとつだけ、言っておかなくちゃいけないことがある」


 一転して彼の顔が厳しさを湛える。上官としての顔だ。


「毎朝のトレーニングは技量維持のために、俺自身に課しているものだから、夕陽がついて来られなくても手は差し伸べられない。冷たいかもしれないけど、それでもよければ」


 全く冷たいとは思わない。むしろ、こういうところが信頼できる所以。


「望むところです。よろしくお願いします」


 夕陽の返答に、敏生はうん、と頷いた。


「よし。じゃあ……そこの綺麗なお姉さん、紙とペンもらえませんか?」


 声をかけられた女性店員が、頬を上気させながら、メモ用紙とペンを持ってきてくれた。かつてのプレイボーイの片鱗に少しムッとするも、真剣な表情でペンを走らせる彼に、いけない、と思い直す。


「いきなりだときついと思うから、二週間後に始めようか。それまでにこのウォームアップメニュー、出来るようにしておいて」

 

 そう言いながら彼が書き出してくれたメニューに目が丸くなった。とてもウォームアップと呼べるような内容ではない。


「分かりました。よろしくお願いします」


 動揺を悟られないよう、頭を下げる。


 自分が取り組んでいるメニューだって、決して生易しい内容ではないと思っていた。周りから追い込みすぎだと言われたことすらある。その夕陽から見てもかなりきつい内容。彼は毎朝、このメニューに取り組んでいるというのか?


「うん、一緒に頑張ろうな」


 身を乗り出し、頭を撫でてくれる彼。


 やるしかない。夕陽は意を決すると、彼にしっかりと頷いて見せた。

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