第三話 落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の男を殺すのだ 革命家 エルネスト・「チェ」・ゲバラ ①
もう一か月経ったんだ。
手帳を眺め感慨に浸る。ここまであっという間だった。それは「ながと」への異動以来、濃密な時間を過ごしてきた証だろう。
訓練航海から戻った翌日。今日はオフで、夜にはながと戦闘飛行隊の飲み会が予定されている。今さら部隊発足の懇親会と言われてもどこか違和感が拭えなかったが。
夜までどうしようかな。ゴロンとベッドに横たわり、しばしの間思案していたが、突然パッと顔を輝かせると、勢いよく起き上がった。
そうだ、横浜! 赤レンガ倉庫! 一度行ってみたかったんだよね。
厚木に赴任して以降、プライベートでの外出は航海前日に二駅先の海老名に買い物に行っただけ。そこで女友達? とデート中の敏生と遭遇してしまったわけだが。
久しぶりに服も見てみたいし、頑張っている自分へのご褒美でブランド物のバッグでも買っちゃおうかな。あ、だとしたら横浜よりも……。
頭に浮かんだ地名をスマートフォンでとりあえず検索してみる。
すごーい、ここからだと表参道まで一時間で行けちゃうんだ。
学生の頃から憧れていた彼の街が、警急呼集にも対応できる二時間圏内と知り、地方女子としては一気にテンションが上がる。
でも。
根っからの心配性かつ慎重派。正直、東京の電車の乗り継ぎが良く分からない。万が一、迷ったり電車が遅れたりで二時間で戻れなかった場合を想定すると、ある程度土地勘が身につくまでは「冒険」は控えた方がいい様に思えてきた。
うん、やっぱり横浜にしよう。横浜だって憧れの街だもんね。
自分の中で折り合いをつけると、早速準備に取り掛かる。鼻歌まじりにテキパキと身支度を整えると、足取り軽くアパートを出た。
最寄り駅のさがみ野から電車に乗り、見慣れぬ車窓に心を躍らせる。相鉄線の急行で三十分弱、辿り着いた横浜は期待通りの街だった。老舗高級百貨店や若者に人気のショッピングモールが軒を連ね、一日居ても周り切れそうにない。駅前はいつでも来ることができると考え、先に赤レンガ倉庫や中華街など、有名な観光スポットを周ってみることにした。
本来なら電車で行く距離のようで、徒歩であれば駅前から赤レンガ倉庫まで三十五分、赤レンガ倉庫から中華街までは二十分。
これくらいだったら歩けるね。
そう考えてしまうのは自衛官の性分だろうか。スマートフォンの地図を片手に歩き出す。ランドマークタワーを抜け、日本丸を眺めながら汽車道を散策する。小春日和の浜風が心地よい。途中、みなとみらい地区のショッピングモールを覗きたい衝動をぐっと堪えると、その先に赤レンガ倉庫が見えてくる。かつて明治政府が保税倉庫として建築したこの歴史的建造物は、今では個性的でおしゃれな店が集うショッピングスポットとして有名だ。
心行くまでショッピングを堪能すると、次は腹ごしらえ。途中、山下公園に寄り道し、赤い靴の女の子像や氷川丸を写真に収めつつ、中華街に向かう。あらかじめ目星をつけておいた女性に人気の飲茶のお店で舌鼓を打つと、仕上げは元町ショッピングだ。異国情緒あふれる街並みに心を躍らせながら、次々とショップを覗いて回る。
あ、あのお店かわいい。雑貨屋だろうか? わくわくしながらお店の扉に手を掛けると、ちょうどスッと扉が開き、中から人が出てきた。
「あ、すみません」
ぺこりと頭を下げて、そして固まる。
「夕陽?」
「敏生……」
視線を横に向けると、案の定、彼の傍らには容姿端麗な美女。そしてこれまた腕組みをして夕陽のことを見下ろしている。この間とはまた違う女だ。
何だ、これは。デジャヴか?
夕陽はフイっと踵を返すと、その場を駆け出した。
ちょっと! 何であたしが逃げ出さなくちゃいけないのよ!? だいたい何で毎回外出するたびに、知らない女にあんな目で見下されなくちゃならないの!?
我に返り立ち止まると、膝に手をつき息を整える。と、不意にポンと肩に手が乗った。
「追いついた。足早いな、夕陽」
え? 敏生、追いかけてきたの? 一瞬戸惑うも、沸々と怒りがこみ上げてくる。
「何であんたがここにいんのよ!? 何よ、あの女!?」
「何で、って……。俺の実家、戸塚だからここら辺は庭のようなもんだし」
「……戸塚市?」
「横浜市戸塚区」
ぽかんと敏生を見つめる。戸塚って横浜なんだ。……って、違う!
「そんなこと聞いてんじゃないわよ! 何でいつもいつもあんな目で見下されなくちゃならないのよ、ムカつく!」
「え? あいつ夕陽に何かした?」
「美人な彼女さんに聞いたらー!? どうせあたしはちんちくりんでダサい地方女子ですよ!」
腕を組みソッポを向くと、敏生に両肩を掴まれ正面を向かせられた。必死の形相だ。
「彼女はただの友達だよ! よく分かんないけど落ち着けって! 謝る、謝るから! この通り!」
突然、道端で手と膝をつき、額を擦り付けた敏生に夕陽は慌てふためいた。
「ちょっ!? なっ、何やってんのよ、こんなところで!? やめてよ恥ずかしい!」
「やめない! 夕陽が許してくれるまで!」
「分かった! 分かったからもうやめて―――!!」
必死に敏生の腕を引っ張り上げると、彼はゆっくり立ち上がり、パンパンと手を払った。
「良かった、夕陽に許してもらえて」
心底ほっとした表情の彼。一方の夕陽はグッタリだ。
「あ、あんたにはプライドってもんが無いの?」
「あいにく夕陽と両天秤にできるプライドは持ち合わせていないよ」
その言葉に何故かドキッとしてしまうのが悔しい。
「せっかくここで会えたんだし、飲み会までデートしない?」
彼からの誘いに、ま、いいか、と流されかけてハッと思い出す。
「って、あんたツレいるじゃない!」
「ツレ? ああ、あいつは何とでも……」
「何それ!? 信じらんない! 最低! もう追って来ないで!」
夕陽は一気にまくしたてると、足早にその場を立ち去った。
何なのよあいつ! 何なのよ!? 女を馬鹿にすんな! 見損なったわ! せっかくいい奴だと思い始めていたのにっ……。
切ない感情が胸に去来し、夕陽は断ち切るように首を振った。
第三話始まりです。




