亜人
「魔物が人間を狙うのは体内魔力のせいだ。魔物は魔力が宿るものを摂取しなきゃいけられねぇんだよ」
「そういうことだったのか」
南シジの街を歩きながら、俺はメリヌに質問攻めをしていた。
この世界は五つの大陸に分かれており東をフセット大陸地方、西をオルバー大陸地方、南をホティア大陸地方、北をカントリ大陸地方、そして中央に位置するウィスクエス大陸地方に分けられており、ここはオルバーの中でも比較的温暖だが雨季の時の気温はかなりキツいらしい。
「んで、人間が言う"バルコニー"っつう今いるこの世界の裏に引っ付いてる世界からやってきた侵略者が魔物ってことだ。門が開いてる数にもよるが、割とどの大陸にもある程度出現してるらしいな」
魔物のような獰猛な生き物はどこにでもいるのか? そんな質問にもメリヌは淀みなく答えてくれた。
街にある冒険者ギルド――正式名称はテニトス冒険者ギルドという場所は各地に支部を持っていて、王族や領主、俺の言葉で言い換えるなら地方自治体と連携して魔物討伐などの依頼を冒険者に斡旋してくれる場所らしい。聞けば、二十代後半ぐらいまでは冒険者として活動するのが今の若者の一般的な生活らしい。
「そういえば俺も聞きたいことあったんだ。昨日のアレ、原理はどうなってんだ?」
「アレ?」
「ほら口から楽器みたいな音、色々出してただろ。吟遊詩人の隠された特殊スキルだったりするのか?」
「ああ、あれ? あれはね。スキルとか魔法とかそういうんじゃなくてただの技術だね」
散策しながら適当に言うと、メリヌはぴくりと眉を動かして腕を組んだ。
「おいおい。アレがただの技術なわけないだろ。口から笛の音を出すやつの話は知ってるが、口から打楽器の音を出すやつなんて見たことも聞いたこともねぇ。つか、打楽器以外にも鳴りまくってただろ」
「まぁそうだね。基本はドラムセットとかだけどトランペットとかも出せるかな。伝わらないかもしれないけどシンセサイザーっぽい音とかサイレンの音も出るね」
「と、トランペット!? 嘘つけ!!」
「え、嘘じゃないよ。ほら――」
原理は簡単だ。口の端っこから空気を漏れさせ、そこに裏声を混ぜるとトランペットに非常に似た音が鳴る。俺は適当によく聞くメロディーを吹いてみせた。
実演した瞬間、通りの喧騒が一気に消えた。全員、俺の方を見て首を傾げている。
「な……マジかよ」
街の人間が「空耳か?」と言って再び日常に戻った頃、メリヌは少し感動したように瞳を輝かせていた。
「ヒイロ、お前すげぇな! 確かに今のは魔力のこもったスキルとかじゃねぇ。っつうことは本当にただの技術なのかよ……!」
「そうそう。誰でも練習すれば簡単にできるようになるぞ――と。なんだなんだ?」
会話が盛り上がっているその最中、街中では再び喧騒が大きくなっていた。
見れば、先ほどメリヌが『実聞巡板』という世界の情報を張り出す掲示板、つまりは新聞のようなものに近い働きをすると教えてくれた場所から騒ぎが大きくなっているようだ。
「ヤバいぞ。ホティアの方でまた門が建てられたって書いてある。ほら、もしかしてこれも噂の連中が……」
話の細かい部分は違うが、誰もがホティア地方で『門』が作られたと騒ぎ立てているらしい。門、とはなんだろう?
「門っつうのはあれだな。バルコニー側とこっちの世界に結ぶ移動手段みたいなもんだ。大きければ大きいほど強い魔物が通ってこれる。話によりゃ、魔物の最終目的は魔王をこっちに連れてくることだなんて言われてっけど……ま真相は分からねぇが」
街中の噂を耳にして少し気になる素振りを見せると、面倒くさそうにはするもののメリヌは文句を言わずに解説を挟んでくれた。もちろん見慣れない街の施設や便利な店も紹介してくれたし、街が小さいこともあってある程度の散策はすぐに終わった。
「ふんふんなるほど……ありがとう。助かるよ」
「お前は本当に何にも知らねぇんだなぁ」
「そうなんだよなぁ。本当に何も知らないんだよ。俺が元々いた世界もバルコニーって呼ばれてる場所じゃない――痛!? なんで尾ひれビンタ!?」
「ば、バカ野郎! そういうことこんな人がいる場所で言うな!」
メリヌは一生懸命にシー、と口に指を添える。隙間からは俺のとは鋭利さが別次元のギザギザの歯が見え隠れしていた。
「ヒイロ、お前危機感なさすぎだ」
「ゴメン……」
ハァ、とメリヌはご機嫌斜めな雰囲気で腕を組む。
確かにちょっと危機感はなさ過ぎたかもしれない。反省しなければ。
「お、売店だ。アレなにやってんだ? 鉄板の間に肉を吊るしてる」
「あれはなんつったかな……ミートスだったかなんかっつうここら辺で有名な料理だ。火で炙った鉄板に香草をまぶして、その間に肉を吊るしてじっくり熱を通して……的なことをするらしい」
料理には詳しくないが、低温調理的な何かだったりするんだろうか?
「食べてみる?」
「……バカ。やめとけ」
「え? なんで? あ、すみませーん!」
「へいらっしゃい! …………ぅ」
とりあえず店主っぽい初老の男性に声を掛けると、なぜか顔を見合わせた瞬間、そっぽを向かれてしまった。
「あ、あのぅ二本買いたいんですけど」
「悪いね。今仕込み中なんだ」
「うわ! そうだったんですね。すみません」
なるほど。確かに時間が掛かりそうな調理器具だし、仕込み中なら仕方ないか。
なら他の店を当たろう。そろそろおなかも減ってきたし、ささっと昼飯に――
「な、なんで誰も売ってくれないんだぁ!?」
一時間。市場を巡ってあらゆる売店に声を掛けたがどの店も「準備中」だったり「売り切れ」だったりで何一つ買うことができなかった。
「だから言っただろ。やめとけって」
「うう、運が悪すぎる……」
腹が減りすぎてへたり込んでしまった俺を腰をかがめながら見下ろしていたメリヌは「こいつマジか」みたいな顔をして嘆息をする。
「じゃ、最後に冒険者ギルドについて軽く教えてやる。それで解散だ」
「そうだね……そうしよっか」
「…………解散したら、さっきの店戻ってみろ。次は買えると思うぜ」
「え……そうだけど、なんで?」
「仕込み中だったんだろ? 時間を空けりゃ普通に買えるようになるは当たり前じゃねぇか」
「ああ、そりゃそうか!」
「……マジバカ」
「マジバカ!?」
メリヌは俺の顔面に向かって人差し指を向けながら、
「マジバカマジバカマジバカ!」
「なんかの呪文!?」
この世界にも「マジ」って言葉があったのか。
◇◇◇◇◇◇
「ここがテニトス冒険者ギルドのオルバー南シジ支部だ」
支部は周りの建物よりも二回りほども大きい造りになっていて、天井はかまぼこ型で体育館みたいな作りだが全てが木組みであるためちょっとシックでモダンな雰囲気すらある。
メリヌの案内で入っていくと中には通りと遜色ないほどの人で溢れていた。
中の四ツ角から登れる階段が上の階に繋がっており、三階建てになっていて、ここで配布されている『冒険者ランク』によって行ける階層が違うらしい。
俺たちは一般客――つまりは何も資格を持っていないので、最低ランクのこの一階でしか出入りを許されていない。
「一階は酒場と連結してんだ。テニトスは商会も運営しててな。ここはそこの店でもあるっつうことだ」
「あぁ、あっちに大量のテーブルや椅子が並んでるのはそういうことか。でも、座ってる人はそんなにいないね?」
「席は限られてるからな。"小心者"が多いんじゃねぇの」
ここに入ってからというものジョッキを片手に持った冒険者らしき風貌の男女が立ちながら談笑している姿もう何度も見た。
立ちながら物を食べたり飲んだりするのって疲れると思うから、座った方が良いと思うんだが……。
と、そこで気づく。
なんだか視線が痛い。好奇、奇異、名前は何でもいいけど気持ちはよくない視線の数々。
「……見ろよ。アレ亜人じゃね?」
「うわ、ホントだ。また来たのかよアイツ」
「アレ? というか一緒にいるの新人?」
「つうかあの新人あれだよ! 祭司様が言ってた今年唯一の吟遊詩人選んだバカ!」
「バカと亜人! お似合いじゃねーか!」
えぇ、全部聞こえてるんだけど。
もしかしてこれ全部聞こえるように言ってるのか。気分悪いなぁ。というか、亜人ってなんだ? 新人は俺のこと言ってるのは分かるけど。
「あら、意外と早い再開になったわね」
突如、背後から艶っぽい声が聞こえて振り返ると、そこには昨日祭儀場で見たネイビー色のドレスのお姉さんが紫煙をくゆらせていた。
それと同時、スッとメリヌが俺の背後へ半身を隠すように回り込む。どうやらこのお姉さんを警戒しているようだ。
「ああ! 昨日の怪しいお姉さん!」
「ふふ、どうも。ここにいるということはもう楽器は買えたのね。でもまだ楽器が扱えないならここには来るべきじゃないと思うけど。それとも、予想外のことが起きたのかしら?」
「……ま、まぁ簡単に言うと楽器が必要じゃなくなったと言いますか最初から持っていたと言いますか」
「そ、それはどういうことかしら?」
「簡単に言うと俺イセカ――アダダダダ!!」
「オイ。そろそろ私は帰るけどいいよな?」
言葉の途中で髪の毛を引っ張ってきたメリヌは、どこか不機嫌そうにつま先を小刻みに床へ叩きつけていた。
メリヌは完全にお姉さんの方を刺し殺さんばかりの目つきで睨みつけているのだが、お姉さんの方は余裕そうに笑みを崩さずパイプを一吸いしてみせる。
「あら、こちらのお嬢さんは?」
「この子はメリヌ・サパール。パーティメンバーです!」
「誰がパーティメンバーだ冗談もいい加減にしろ!」
「…………パーティメンバー?」
う、とメリヌの髪を引っ張る強さが途端に弱まる。
心なしか顔も少しひきつっているように見える。何かに焦っているようだ。
「……少年と、お嬢ちゃんが?」
「い、いやちげぇよ! コイツ、コイツはアレだ! ブラックジョークが好きなんだよ。さっきからこんな感じで困ってんだっつの!」
「ジョークじゃないけど?」
「ぅううう! お前少しは察しろよぉおおお!」
「ふーん。そういうことなのねぇ」
お姉さんが観察するように少しだけ腰を落としてメリヌに目線を合わせる。
メリヌは相変わらず慌てふためき、その様子をお姉さんはじっと見つめ――
「いいじゃない。二人とも、頑張りなさい。お姉さんは応援してるわ」
「…………え? な、なんで」
「お、外堀が埋まったぞメリヌ! ということで、やっぱり俺とパーティーを組もう!」
「うるせぇ! なんだよこの姉ちゃんも変人かよ。ったくまともな奴はいねぇのか!?」
続くはずだった会話がここで止まったのには理由がある。
それは、少し俺たちがうるさかったと気づいたからだ。やっぱり周りの目もあるしそこまで大声を出すのはやめよう――アレ、でもさっきは周りが俺たちよりうるさかったからこの声量でも大丈夫なんじゃなかったか?
そうして遅れて気づく。
「ったく! いつも思うが南シジの酒場はカビ臭くて辛抱ならんなァ!」
どかどかどか、と開いていた机に座り込んできた銀鎧の重装備を着込んだ男と、軽装の弓持ち二人。そして黒いローブを着た女性の合計四人パーティらしき人たちが座ってから、それを避けるように人が散り、話し声も一切合切消えてしまったことに。
「オイ酒だ! 酒持ってこい! ド田舎のクセー安物でいいから早く持ってこい!」
「は、はい! ただいま!」
その中でもひときわ体格の大きい、坊主頭で目元に大きな傷のある男が喋るたび、支部の中から次々と人が消えていっている。
確かに声に威圧感もあり見た目も怖い。近くにいて楽しいのは本人だけで回りの雰囲気を壊してしまう俺の好きじゃないタイプの人種っぽそうだ
「……あの男はテグヌゥーイの『無敵城壁』と呼ばれるミステマ・バリカードよ」
お姉さんが耳元へ囁き声で補足してくる。
「テグヌゥーイってなんですか?」
「テグヌゥーイっていうのはこのオルバー地方でも四大勢力と呼ばれる巨大なギルドのこと。しかも、あいつはその中でも上級幹部なの」
「た、確かに偉くて強そうですもんね」
「強そうってもんじゃないわ。ポテンシャルだけで見たら世界でもかなり上位。次期テグヌゥーイの副マスターになる可能性が高いという声もあるらしいわ」
だけど、とお姉さんは続けて、
「性格は最悪。新人いびりなんてしょっちゅうよ。目を付けられたらきっとロクなことにならないわ。まずは目立たないようにここを出ましょう」
「――うん?」
「ちょ、ちょっと! 少年?」
いや、違う。
確かに今、ミステマはこちらを見ている。見ているが――目が合っているのは"俺じゃない"。
「おいおいおい! 誰かと思ったら、昨日のサメの亜人ちゃんじゃねぇか! 無事だったんだな? 俺は心配してたぜ」
「…………」
――目が合っていたのはメリヌだ。